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嫌われ者の生贄ですが、愛してくれますか?  作者: トシヲ
常世の章

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希求

 度々二人で眠るようになったまほろだが、底知れぬ欲と言うものが自分の中にもしっかりとあると改めて実感して、自分以外には誰もいない帳台で肩を落とす。

 強欲な自分を恥ずかしく思うのだ。


 夜になるとロウは名残り惜しそうに、あの何度か妙な形で会話をした扉の向こうへ行ってしまう。

 役目を果たすために、人の姿よりも強く、早く動くためにロウは龍の姿をするらしい。それ以外は最低限その姿をしない。そのことを、まほろは最近やや不満に思っていた。


 ――龍神様に会いたい。ロウと龍神様は一緒だけれど、つるつるひんやりしたあのお体を触りたい……。


 だがこれは自分が勝手に抱いている不純な欲求で、ロウを困らせてしまうだろう。いくら部屋が広くとも、ロウにとっては窮屈に違いない。

 ロウが龍になりたい時に龍となり、人の形でいたい時はそうしていて欲しいが、それでもやはり欲求というものはふとした時に湧いて出てしまう。


 帳台を出て、手持ち無沙汰に一度部屋の中を歩いて一周した。それから鏡台の前に座って櫛を取り出し、髪を梳く。

 おそらく、まほろの周りにいた女たちはこれを毎日当たり前のようにしていただろうが、まほろはまともな櫛を持っていること自体あまりなかった。だから当り前のことというよりも、幸せを噛みしめるように、弾むような気持ちでついつい口元を緩ませながら櫛を通す。


 今では当たり前のように自分用の鏡台があり、その鏡にはひびの一つすらない。鏡に映るまほろは、もうまほろの存在を否定したりせず、愛する人と睦み合い、もしかすると生きていた頃よりも顔色が良い。

 ロウが好んで髪を触ってくるので、まほろはその嬉しさからこうして毎日しっかりと手入れをしているのだが、己の髪質が良くなるにつれて、あの龍の乱れた鬣を思い出してしまう。

 ロウの髪も、あの鬣も櫛で梳いてみたいのだが、それはやはりお節介というものだろう。自分がされて嬉しくとも、相手がそうとは限らない。

 ロウはいつも同じ服だ。汗もかかぬ神が毎日湯浴みをする必要はないし、外見を気にする必要もない。


 ――それでも、もう一度触ってみたい……


 欲望は連鎖する。反芻し、より具体的にはっきりと鮮明になっていく。

 まほろは龍に触りたくてたまらない。


 欲望を消し去れるよう、まほろは何か自分にも仕事が無いか、大きな居室をうろうろと歩いてみるものの、何度も繰り返したところで埃一つなく、掃除のしようがない。食事も必要ないうえ、生きていないのだから生きるために必要なことが必要ではない。

 煮炊きもしないし服を縫い修うこともなく、洗濯の真似事はしているもの、ロウと同様に体が汚れないまほろはそれすら必要性がわからなくなってしまった。

 まほろの体もそうだが、衣もまたロウの神力のもとにある限り、汚れぬ存在なのだろう。


 しかし禊ぎは時折必要で、体の表面ではなく魂そのものを洗うために、まほろは水浴びをする。ロウも帰ってくると時々、花の浮かぶあの池へ飛び込み、亡者に触れられて移った穢を落とすのだ。

 これは睡眠もある程度有効らしいのだが、幾分時間がかかるのだそうだ。これまでもロウが池に出入りする音をまほろは何度か聞いたことがある。


 丁度、そろそろ今晩あたりロウが水浴びする頃ではないかと気付く。いつもまほろが入るちゃぽんという音と違い、ざぶんと入っていくので、恐らく龍の姿のままなのだろう。


 あれやこれやと時間を過ごし、まほろは簾の隙間から光が漏れ出すのを待つ。

 唐服を着る練習をしていると、その時はあっという間にやってきた。

 まほろがまだ眠っていると思っているのだろうロウが、龍の体のまま帰ってきた事を知らせるように、簾がかすかに風に揺れる。


 まほろが簾を捲って外に出ると、回廊を風のように渡って池に向かう龍の姿があった。

 胸がドキドキと高なって、人の時と変わらぬ優しげな瞳にきゅんと疼く。


 穢というものが何なのかわからなかったまほろの目に、はっきりと赤黒い血の塊の様なものが所々、鱗にこびり付いているのが見える。

 パキパキと薄い硝子の割れるような音に、穢が鱗を傷付けているのだと気が付く。


 ロウの傷は過去に贄姫によって付けられたものだけではないのだ。

 ロウは守りたいと思っていたもののことを忘れても、守ってやりたいという意志だけは忘れずにいるのだ。

 傷を負い、負わされても尚、頑なに意志を捨てぬロウの姿に胸を締め付けられる。


 ロウの瞳がまほろを捕らえてから、ざぶんと音がたった。飛沫を舞い上げて、池の中へ龍の体のままで飛び込んだのだ。

 まほろも朱色の欄干に沿って駆けて、階段を下りた。


 砂利の上を数歩行って池を覗き込む。

 まほろに見えているよりも、池の中は深くて広く、まるで雲母や星のようにキラキラと輝く粒子のような水泡の先に、ゆらゆら揺れる水面の光を浴びる、巨きな龍を見つめる。

 くるくると円を二つ書くように水の中を飛んでいるロウもまた、まほろを見ていた。


 まほろが池に指先を浸けると、ロウは浮上してきて、その指を押し上げるようにして水面から顔だけを出した。ロウの頬を撫でて、まほろはもう片方の手も大きなその顔に触れさせる。


「今、いつもの姿に」


 ロウの声にまほろは首を横に振った。


「いいえ、このままで……このまま、触っていても良いですか?」

「……変わっている。お前は、本当に」


 腕を伸ばして、濡れた鬣を指で梳くように頭を撫で回していると、ロウの瞼がゆっくりと落ちて、気持ちがいいのか擦り寄ってくる。

 側にいること、触れることを嫌がらないロウに、まほろはすでに幸福で満たされている心を更にいっぱいに膨らませて、ドキドキしたまま破裂してしまいそうだ。


 ずっと誰にも愛されなどせず、誰かを愛する権利も無いと思っていたことが信じられない。

 ロウはまほろを慈しみ、同じように愛おしむことを許してくれる。

 それがどれほど幸せなことか、まほろは理解している。


「起こしてしまったのか」

「ずっと起きていました……ロウが、その……このお姿でお帰りになるんじゃないかと思って」

「……怖がっていないとは思っていたが……好いてくれているのか?」

「はいっ、好きです」


 一瞬間をおいて、ロウが池を蛇のように這い出る。

 もう穢は剥がれ落ちているようだ。

 安堵したまほろを囲うようにズルズル地面を這って、頭が一周して、再びまほろの正面に来た。

 巻き付かれているものの、締め付けるというよりも抱擁されているようだ。


 逃げようとすれば逃げられるように、まほろを潰してしまわぬようにと気を遣っているのだろう。

 まほろは笑みを浮かべ、自分からも甘えるように龍の鼻先に額を触れさせる。


「ロウは、お嫌じゃないのですか? 私、何もしないで、こうして甘えてばかりで……何をしたら良いのか、わからなくて」

「嫌なことなどあるものか。まほろがいてくれるだけで俺は癒される。もっと俺に甘えてくれ。人の畏怖や信仰より、お前の向けてくれる心の方が心地良い……」


 ほんの少しだけロウがまほろを締め付ける。かすかに温かいような気がするロウの胸を全身で感じた。止まっているはずが、いつも強く脈打っているように感じる己の胸の音が、彼にまで届いているような気がして眉を寄せる。


「まほろ?」

「……心の臓がおかしいのです。動いてるみたい」

「それは、お前の表情が動いて変わることと同じように、胸も動いているのだろう。俺もそうだ。お前といると生きているような気分になる。子を成すこともできぬのに、まるで生きているような……それにしても、やはりこの体ではお前の口が吸えぬ」


 まばゆい光を放ち、その光の源から、まるで鱗が花びらのように散った。

 そこには見慣れた人型のロウの姿があり、先程まで体に巻き付いていた大きな体が消えて、代わりに両腕がしっかりとまほろを抱いている。


 仕組みは全て神のみぞ知ることであろうが、水に入っていたはずのロウは乾いており、手櫛で整えていた鬣の代わりにさらさらの黒髪がまほろに降り掛かる。


「まほろ」


 屈むロウのその声に、まほろは期待に少し笑って目を瞑った。

 口を吸い、吸われて、唇で唇を食む。

 とろとろに溶けて混ざって、このまま一つになってしまいそうだ。


 力の抜けていく体をロウが軽々と持ち上げる。驚きつつ、抱きやすいようにとまほろはロウの首の後ろへ両手を回して抱きついた。

 ロウはそんなまほろを抱きかかえたまま、再び池の中へ飛び込んだ。

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