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嫌われ者の生贄ですが、愛してくれますか?  作者: トシヲ
常世の章

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35/41

真実

 晴れやかというよりは、やや憂鬱そうな白い朝。目覚めてすぐに、まほろは一つだけ後悔をした。

 もったいない事をしてしまった。あのふわふわとした龍の鬣をもっと堪能しておけば良かった。まほろはため息を溢す。


 簾の外は薄朦朧とした霞が漂い、白んだ空からは白い花びらがひらりと舞い降りる。まるで坪庭の中に広く花霞が広がっているかのようだが、霞の向こうには朱色の欄干があり、完全なる外ではないのだと改めて思う。


 いつも通りのぼやけたような世界だが、今日は幾分か湿気を帯びて重みがある。やや元気のない天気かもしれないとまほろは思った。

 龍神の不安な心を示すように、空から落ちてくる花は数も少なく、小さい。

 それでも完全には止まぬことが、彼の幸福に対する期待や希望を示しているのだと、くるくる回りながら落ちてきた花がまほろに知らせる。

 決して、龍神は不快な思いをしてはおらず、怒りもしていない。穏やかな日常の中を今日も過ごしている。


 それからいつものように顔を洗い、そして、いつものように手拭いに顔を埋めて水気をとる。どこからか現れて、まほろの斜め後ろの辺りに立つロウに朝の挨拶をしようと、手拭いを肩にかけて半濡れの髪を素早く整えた。

 いつしかこれが日課となったまほろは、両腕だけでは有り余るほどの幸せで胸をいっぱいにして、口元にやんわりと笑みを浮かべる。


「おはようございます」


 振り返って言うと、ひらりと顔の紙を揺らす姿があった。今日はつついたり擽っては来ないのだろうか、ほんの僅かだけ遠く見える場所でロウが頷く。


「ああ、おはよう」


 さらりと髪を揺らし、心地のいい柔らかな声で挨拶を返される。

 出会って間もない日は、この声を恐ろしく感じていた。

 今はそれが不思議でならないほど愛おしく、ロウの声は耳朶から頭、胸まで甘い稲妻のように走り抜けてまほろを蕩けさせてしまう。その声で名前を呼ばれる度に、憎しみの込められた自分の名前すら好きになっていきそうだ。


 しかし、まずは詫びねばならないことがある。ロウはきっと怒っていないのだろうが、それでもしっかりと詫びようと思ったまほろは、一度ぴんと姿勢を正してから頭を下げた。


「昨晩は、ご心配をおかけてしまって、申し訳ございません」

「……いや、気にするな。それよりも、まほろ、実は……俺は……」


 少し戸惑うような、困っているような調子の声。いつも、あまり感情をはっきりと出さないロウにしては、珍しくはっきりとした不安が伝わってきた。


 ロウが何を打ち明けようとしているのか、まほろにはもう見当がついている。

 紙に隠されている素顔を見なくても、夢の中で見聞きした青年の仕草や声で、そんなものはすぐにわかってしまうのだ。

 だが、未だにまほろに嫌われやしないかと心配そうに言うか言うまいか、言いたいがどう言えば良いのかとまごついている彼に、まほろは柔らかく笑って歩み寄った。


 ロウが不安がるのも無理はない。何度も何度も、長い時間を虚しく生きてきたのであろう。ようやく手にしたと思ったものを、あっけなく失ってしまうだけでなく、傷を負わされたのだ。


「ロウのお顔、見ても良いですか?」


 夢の中の青年が、まだ傷を負っていなかったことを思い出す。

 やはり死した後、あれからずっと悲しいことに耐え続けていたのだ。その証が、彼の顔に痛ましい傷として残っている。


 ロウは逃げ出したりなどせず、近寄ってくるまほろに向かって頷いた。


「良いが、本当に醜いぞ」

「そんなことありません」


 ひら、と手の甲で紙を暖簾のように持ち上げると、やはりあの青年と同じ顔がそこにある。

 火傷の痕のような赤黒いところや、切り傷の痕がいくつかあるものの、そんなものは気にならないほど、あの時と変わらぬ綺麗な瞳をしている。

 長いまつ毛に、すっと形の整った鼻梁。だが、どこか少し眠たげで、鋭さのない穏やかな顔。全て、まほろが愛おしいと思う者のそれだ。

 龍神と同じ場所に付いている傷に、まほろは夢の内容が真であったと改めて確信した。


「いつも側にいてくださったのは、龍神様だったのですね」


 まほろの言葉にロウはほんの小さくだが目を見開いた。表情の変化は僅かなものだが、不思議なことにしっかりと伝わってくる。

 ロウは申し訳なさげに目を細めた。


「……ああ、隠していて、すまなかった」

「いいえ、私も気付かずに、何度も龍神様のこと拒んでしまって……申し訳ございませんでした……ふふふっ」


 ――ロウが、龍神様。ロウも、龍神様も、私の旦那様。私の大好きな人。


 謝っているものの、つい、そうとは思えぬような態度になってしまった。

 いくら嬉しいとはいえ、これほど緩みきった笑顔で謝っても誠意は伝わらないだろう。

 だが、どうしてもその気持ちを隠しきれず、ロウの顔を見て笑ってしまう。


 どちらも大好きだから、選ぶことが怖かった。どちらも同一人物で安堵した。これほど嬉しいことなどない。

 外見など、どんなものであっても構わない。彼が彼ならばどんな時代、どんな名前、どんな背格好でも、何人かに分裂してしまっていても、まほろは彼を好きになってしまう。

 ずっと会いたくて会いたくて堪らなかった。まほろ自身の記憶として残ってはいないが、魂があの青年を探し続けていた。

 今はただのまほろとして、目の前の男を愛している。決して遠い過去の誰かのために愛しているのではない。まほろはまほろとして、この男に恋心を抱いている。


「まほろ、怒らないのか? 怖くないのか? お前を騙して散々悩ませ、苦しませて、挙句こんな顔で、ニョロニョロの龍だぞ」

「怒りません。怖くもないし、今はとっても幸せです! 龍神様、もっと屈んでください、もっと近くに……」


 頼むと本当にまほろの言いなりのように男が屈んだので、その肩にそっと手を置いた。

 まずは、火傷の痕のある額のあたりにゆっくりと唇の表面をくっ付ける。それから細かい傷跡、はっきりと残ってしまっている傷跡にも全てに口付けていく。

 目の下のあたりから頬を伝い、唇の横の辺りまである裂傷の痕をなぞるように数回に分けてちゅ、ちゅと口付けていると、最後に唇の真横に触れた所で男の手がまほろの腰を強く抱き寄せた。

 掻き抱くようにもぞもぞと腰や背中を、やがては首の後ろと後頭部まで撫でられて、

「まほろ」と甘く呼ばれる。


「龍神様……」


 返すと、男は小さく首を横に振った。


「ロウ?」


 言い直すと、一瞬ふわりと微笑んだロウの方から唇を奪われてしまった。

 ちうちうと下唇を吸われ、徐々に快楽に蝕まれるよう、ねっとりとしていくその行為に耽溺してしまう。

 上唇も同じようにされて、その後は啄ばむように唇をまるごと食べられてしまった。


 鼻から漏れ出てしまったうっとりとした声が琴線に触れたかのように、ロウがまた角度を変えては性急に喰らいついてくる。

 逃げるつもりなど毛頭ないというのに、まるで逃さまいとしているかのようにまほろの背をロウがしっかりと抱いて捕まえていることにときめいて、瞳が潤んだ。


「愛している」


 少し唇が離れたその隙に囁かれた言葉に陶酔する。

 まほろも彼を片時も放したくなくて、必死にその体にしがみついて唇に吸い付いた。


 口吸いという行為はあまりにも甘く、まるで頭の中身を溶かし、口内でとろとろにかき回しているようだ。

 その後も唇を重ね合ったり、手を繋いだり、見つめ合っては笑い、ただのほほんと回廊をぐるぐると歩いた。


 宮の外は霞が漂い、坪庭よりも少しだけ薄暗い。

 木々や岩、山に囲まれた空間に、夕焼け色の灯籠や松明、提灯がチカチカと光っている。

 空から降りしきる花びらは以前より多く増え、時折桃色や紅色のものが舞う。それがまほろに対してのロウの気持ちと察して、愛されているのだと教えて貰えるのが嬉しく笑う。


「綺麗」

「俺の下心がか」

「下心のお色なんですか?」

「ああ。だが残念だ。今日はもう実行する時間がない」


 もう少しすると夜になる。夜になるとロウはあの門の前へ戻り、亡者をなす仕事がある。

 だからそろそろ帰った方が良い。まほろにとっても、彼が神としての役目を放棄せず取り組むのは好ましいことだ。


 まほろはまだ見足りぬものがあっても、ずっとここにいられるのだから、明日でもそれ以降でも良い。

 ロウは何やら名残惜しそうに焼き物や落ちてきた供物を少し漁っていたが、目的のものが無いと察して諦めたのか、ようやく重たい踵を反した。


「もう近ごろは勾玉は作らないようだな。恐らく千年ほどは見ていない」

「勾玉? わたしも見たことがないです」

「それは勿体無い。勾玉は良いぞ。今度見せてやろう」

「楽しみにしています」


 勾玉という名前だから、丸い玉状のものなのだろう。

 ロウの好きなものを知ることができるのは、この上なく嬉しい。


 まほろはロウに教えるような好きなものがあまり無い。

 それは少し恥ずかしいことのように思えた。

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