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嫌われ者の生贄ですが、愛してくれますか?  作者: トシヲ
常世の章

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別れ

 きつく握ったまほろの手を、琴代は放さなかった。

 琴代も立ち止まり、少しの間俯いていた。


「まほろさん、出産ってとても大変なのよ。いろんな場所で、今日も沢山の母親と赤ちゃんが亡くなってる。母さんねえ、それでも嬉しかったのよ。まほろさんが元気に産まれてきてくれて。母さんはそのまま、もうそれ以上頑張れなくて死んじゃったけど、でも、ちゃんと元気な赤ちゃんを産めたのよ。そのこと、まほろさんには褒めてほしいの」

「褒める……?」

「ええ。母さんはあなたに何もしてやれなかったけど、可愛い元気な女の子を産んだことだけは、誰にも責められたくない。自分勝手よね。まほろさんに、産まれたことを悔いて欲しくないの。これは母さんのただの自己満足だけど、あなたを無事に産めた私を、せめてあなたには誇りに思ってほしい。だめな母さんよね、お乳もあげられなかったのに」


 まほろはぶんぶんと首を横に振る。母は立派だ。琴代は立派に赤子を産んだ。自分を死なせた赤子にすら愛情を向ける彼女は、まほろにとっては余りにも偉大で、神々しい存在だ。何も責めるところなどない。

 ようやく、まほろは自分が産まれたことが罪では無かった、少なくとも母親には望まれて産まれてきたのだと気付き、また琴代の手を握る。

 琴代がそう言うのだから、まほろは母を誇りに思い、精一杯生きるべきだった。生きたつもりだが、もしかしたら、もっと貪欲に、幸せになるべきだったのかもしれない。母の分も。母が誇れるような立派な人間になるべきだった。


「お母様、ありがとうございます。産んでくれて……私、ずっとお母様に恨まれていると思っていました」

「恨むわけがないでしょう。まほろさん、産まれてきてくれて、私の可愛い赤ちゃんになってくれてありがとう。辛かっただろうに、立派に育ってくれてありがとう……ね、だから、また環りましょう。今度は母さんがもっと頑張る番よ。強い母さんになって、絶対にまほろさんを幸せにしたいの」


 暗くて寂しい夜空のような、始まりの朝のような、暖かくて眠たい昼のような、帰りたくなる夕焼けのような不思議な空間を、琴代とまほろはゆっくりと歩き出す。その間、琴代は理想の家族、夢の話をしていた。

 まほろにとってもそれは幸せな話で、母娘で考えることが同じだと笑うこともあった。

 若い母は随分大人に見えるが、今のまほろとは干支を一周すらしない齢らしい。

 いつかは都会の華族のような洋館に住みたいだとか、猫を飼いたいだとか、他愛もない話だが、まほろは琴代の話も声も心地よかった。


「私は結婚ばかりが女の幸せとは思わないのよ。結果的にまほろさんと出会える良いいきっかけだったとは思うけれど、まほろさんは無理にお嫁さんなんかに行かないで、ずうっと傍にいてくれてもいいのにって思うの」

「うふふ、でもお母様、私は、もう」


 まほろは再び足を止める。


「まほろさん、行きましょう?」

「お母様、私、もうお嫁さんになったんです」

「……まほろさん、もう、元綱さんや他の言いつけを守ったりしなくて良いのよ」

「違います、そうではなくて」


 それまで心地よかった世界にぽつりぽつりと雨が降り出す。それはみるみるうちに冷たい雪となった。

 真暗闇に白い蛍のような雪が舞い落ちる。見えていなかっただけで、ずっと降り続けていたのかもしれない。道には雪が積っている。

 まっすぐ先に、この道の終わりを示す門がある。鳥居よりももっと大きく荘厳で、特別なものだと一目でわかる。


 光へと続くその門からは、優しい歌声のようなものが聞こえる。小鳥や虫の声や、風のような音もする。

 それとは別に、足元からは川のせせらぎのような音がしている。まほろはようやくそれに気が付いて、一歩後ろに下がろうとした。だが、そうはさせまいと、よりいっそう琴代が強く手を握る。

 琴代の向かう先は暖かい。そちらが向かうべき場所と、帰るべき道だと確かに思いはするが、まほろはそちらに向かってはならない。

 まほろの背中をひんやりと冷していく大きな気配が、二人を追って来ている。


「まほろ、まほろ、行かないでくれ」


 愛おしい声がする。龍神の声のように思う。ロウの声に聞こえなくもないが、その悲痛な声は明らかに夢の中で何度も聞いた龍神の声だ。


「耳を貸してはだめよ。まほろさん、あなたは人間なのよ。また巡り巡って、生きるべきなの。酒を飲まされて、あんなふうに殺されて……永遠に悲しい過去を背負って閉じ込められるなんてだめよ! 怖いことなんて忘れて、今度こそ母さんにあなたを守らせて」

「でも、でも、お母様、私は」

「行きましょう、早く! 追いつかれてしまう! 振り返ってはだめよ!」


 初めて必死そうに声を荒らげた琴代がまほろの手を強く引っ張った。

 まほろはぐっと力を込めて、引っ張られないようその場で踏ん張る。


「だめです、これでは、龍神様がっ!」


 後ろから聞こえてくる龍神の声が少しずつ大きくなっていく。必死にまほろに戻って来て欲しいと願う声に振り返ろうとすると、琴代がそれに勘付いて再び大きな声を上げた。


「まほろさん! 振り返ってはだめ!」


 驚いたのもあり、また、何度もそう言い付けられていたのでまほろは動きを止める。

 振り返ろうとした時に、寒気のようなものも感じていた。足元から底なし沼に没んでいくような、あの穴から飛び降りた時と似た落ちていく感覚もあった。

 まるで、母と同じように、人間の本能がまほろにまっすぐ振り返らずに歩けと叫んでいるようだった。


「まほろ、頼む……どうか、戻って来てくれ。俺を一人にしないでくれ。まほろ、俺はずっとお前を大切にする。俺はお前を叩いたり蹴ったりしない。何があっても守り貫く。欲しい物があるなら探して来よう。お前に無理に触れようともしない。恐ろしいならば、もう姿も出さぬ。いてくれさえすれば、声が聞ければそれだけで……」


 龍神の言葉に、琴代が振り返らないまま涙混じりの嗄れた声を出した。


「お願いです、神様……どうか、このこは私の大切な娘なのです。もう自由にしてあげてください。後生ですから、人間として、ごく普通の幸せをお与えくださいまし」


 龍神の喉が鳴る。


「……まほろ、お前はどうしたい? 俺はお前が決めた道ならば……まほろの望みならば、何でも叶えたい。俺はお前がいなくなったとて、恨んだり憎んだりはせぬ……」


 まほろはまっすぐ琴代の背中を見つめていた。恋い焦がれた母親の背中だ。神にすら楯突いて、守ろうとする強いその背中は震えていて、小さい。

 短い時間だったが、たくさん話をして、夢について語り合った僥倖を噛み締めながら、心を決める。

 大きいと思っていたが、ロウに比べたらとても小さい。まほろよりほんの二寸ほど大きいくらいだ。榮と変わらぬだろう。

 まほろは緩んだ琴代の手を放して、整ったお太鼓結びの帯ごと、脇から手を通して後ろからその体を抱き締めた。


「まほろさん……」

「お母様、お会いできて良かったです。私、お母様の娘に産まれてきて良かったです。お母様とたくさんお話できて、とっても幸せでした。それでも、私はあの方のお嫁に行きます」


 抱き締めた琴代の体の震えと息遣いに、彼女が泣いていることに気付いた。


「まほろさん……よく聞いて。このままでは、あなたはあの場所に縛られ続けるのよ。永遠に生贄に捧げられたまま……わかる? 輪廻から外れてしまうのよ」

「それでも、あの方と一緒にいたいのです。まほろとして産まれた私を求めてくれて、守ってくれて……私も、あの方をお支えしたいのです」


 ぎゅうと母を抱き締めているまほろの手を、すべすべとした冷たい指が撫でる。

 怒らせてしまったかとも思ったが、優しい感触に安堵する。


「神様を愛しているのね?」


 柔らかい声だった。

 改めてそう言われてしまうと気恥ずかしくもあり、母との別れの決意に喉も詰まって、まほろはこくんと頷いたがはっきりと声が出なかった。

 後ろにその張本人がいる状況で、彼を愛しているのだと母に伝える勇気を精一杯振り絞って頷いた。

 泣きながら琴代はそれに返事するように己も頷いて笑う。


「……では最後に、忘れないでね。母さんはまほろを愛しているわ。私はこれから環り環りて、まほろさん以外の母さんにもなるかもしれない。それでも、まほろさんは私の娘。貴女が覚えていてくれる限り、私は……琴代は、まほろさん、あなたの母さんよ」

「はいっ! 私はこれからもずっと、お母様の娘です」

「大好きよ、まほろさん。どうか幸せになって。さ、ゆっくり振り返ってご覧なさい。そして、まっすぐ戻って行きなさい。大好きな人のもとに」


 ぴと、とまほろの手に生温かい雫が一粒落ちた。

 それでもその手をまほろは緩めて、本当の別れに涙を流す。

 別れはとても悲しく、寂しいことであるが、もしあの時琴代が死ななかったとしても、まほろが贄姫と呼ばれる人身御供でなくても、龍神が普通の人間の男であっても、まほろは彼のもとに嫁いで母の元を去っただろう。


 振り返ることが出来ない琴代に、まほろは最後に頭を下げた。ずっと抱いていた罪悪感、不安、恐怖などから解かれたまほろは、心からの笑顔を浮かべる。さようならの悲しみよりも、会いに来て、愛情を教えてくれた母への感謝の気持ちが大きく上回っていた。


「お母様、ありがとう! 行ってきます」

「ええ、お気を付けて行ってらっしゃい」


 踵を返すと、せせらぎの音も歌うような声も、月も太陽も何も無く、振り返ってはならないと鳴り響く早鐘のような耳鳴りも止んでいた。

 暗闇の中に仄かな光。その源に龍がいた。

 傷だらけの可愛相な銀色の龍が、静かに泣いていた。

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