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嫌われ者の生贄ですが、愛してくれますか?  作者: トシヲ
常世の章

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振り返ってはならない

 まほろは繰り返し繰り返し龍神と過ごす夢を見た。このところ毎日あの大きな扉の前へ行って会話をしているからか、夢を見る頻度も高まり、夢の中の龍神も少しずつではあるが正気を取り戻しつつあった。


 毎日同じ気温に変わらぬ景色で季節などはわからないが、そろそろ現世は秋ではないだろうか。

 秋は紅葉や銀杏いちょうがまほろを置き去りに鮮やかな色になる。冬の訪れに備えて防寒具を探し、今年こそどこかで凍死してしまわないかと青褪めていた自分は、もうあそこにはいない。


 夢の中で、まほろはごく当然のように龍神の長い長い体にぴったりと寄り添う。すりすりと、つるつると滑る鱗に顔を擦り付けると、時々龍神はまほろの名を呼ぶ。

 まだまほろを見付けていないのだろうか。大きな眼球はまほろには向けられない。


 龍神の絵図や彫刻を何度かまほろも見たことがある。

 古くから龍神を守り神と信仰している村では、どの家にも大抵龍神の掛け軸や彫刻などが飾られている。それはまほろが時々入ったあの母屋も同じだ。古く黒ずんでいたが、繊細な彫刻でできた欄間の龍神をまほろは何度か見ている。

 それらから、てっきり龍というものは空を飛んでいるものと思っていたが、夢の中の龍神は疲れ切った顔で地べたにとぐろを巻いて、まるで大きな蛇のようだ。

 まほろは、自分を見て驚いたように茂みへ逃げ去る蛇を観察したことがあるが、よく見てみればくりりと真ん丸の目は少し愛らしいものだった。一方、目の前の龍神は蜥蜴のように瞼があり、つまらなさそうに目を細めている。


「まほろ、ずっとここにいろ。どこへも行くな。俺はお前を放さぬ」


 これは呪縛だ。

 だが、それさえ愛おしく、嬉しい。

 龍神はまほろを殴ったり踏み付けたりしないし、いらないと言って遠ざけない。誰かに必要とされたかったまほろには、何よりも甘くて優しい言葉だ。

 まほろは目を細めて笑う。


「ここにおります。ずっと、ずうっとおります。ずっと放さないでくださいね。嫌いにならないでくださいね。いつか、もしもお気持ちが楽になって、扉のお外に出たくなったら……いいえ、龍神様、もし会えなくとも、わたしは永久にここにおります。龍神様が大好きです」


 龍神はきっとまほろがどのような我儘を言っても怒りはしないだろう。何か困ったとしても、まほろを凍えるような寒空の下に放り出さないし、冷たい池に突き落としたり、物差しで叩いたりもしないだろう。縄で縛って閉じ込めたり、大きな声で存在を否定したりしないだろう。

 まほろは薄々とそれに気付いているが、夢の中ではないとこんなお願いはできない。


「でも、本当は……龍神様にお会いしたいです……」


 父が継母にそうしていたように、笑いかけて抱擁して欲しい。兄がハツにしていたように優しい声音で甘い言葉をかけて、ロウがあの日額にしてくれたように……


 ふと気が付くと、いつの間にか龍神はまほろの前から消えている。そこには若々しく、一見女性にも見える美しい青年の背中があった。

 彼は見たこともない髪型で、耳の付近で長い髪を束ね、先を丸く折り曲げるようにして結んでいる。頭には植物の繊維を織った布を巻いており、まほろにはまるで異国の者のように思えた。


 美豆良みずらという髪型に植物の繊維を織った貫頭衣、被り物は、まほろの産まれた時代よりも遥か昔のもので、勿論彼女はそれを知らない。


「あの、龍神様……?」


 声をかけると、男は少し驚いたかのようにぱっと振り返るが、途端に眩しく視界の全てが真っ白に光ってしまい、その顔を見ることはできなかった。


「ううっ」


 あまりの眩しさに目が眩んで、まほろは腕で視界を覆う。

 何かがまほろの頬に触れていることに気が付き、まほろは穏やかな眠りから覚めて、眩しくもなんともない夜の閨で目を開いた。


「ロウ……?」


 さらりと綺麗な黒髪。いつも髪をあまり整えていないのに、珍しく櫛で梳いた後のような艷やかなそれに目を擦る。


「あらあら、強く擦ってはだめよ。腫れてしまうわ」


 ロウではない女性の声に、まほろは固まった。どこか鈴の声と似ていて、浴びせられてきた数々の尖った言葉が頭に蘇る。


「どちら様……ですか?」


 問いかけながら見つめると、女性はまほろととてもよく似た顔をしていた。しかしぱっちりと開いた、きらりと可愛らしい双眸が姉でないことを告げている。

 優しい、慈しむような眼差しと、まるでどこか恐れているような、しかし大切にしようとしているような手のひらがまほろの頭を撫でた。


「私は琴代。あなたの母さんですよ」

「……で、でもお母様は」


 亡くなっている。まほろを産んですぐに亡くなってしまったのだ。

 だが、この神の棲む常世の空間では寧ろ、生きている者がいる方がおかしなことだ。

 長い黒髪と優しい眼差し、冷たい手。もしかして、ずっと側にいてくれたロウが母親だったのではないかとさえ思うほど、ほんの一瞬で、一目で彼女に心を惹かれてしまう。そして、なぜだか悲しいような嬉しいような、言葉に出来ない想いが胸の辺りから溢れ出して、雫となって下瞼を零れ落ちた。


「本当に、お母様なのですか?」

「ええ、そうよ……お迎えに来たの。まほろさん、大きくなったのね。私が見られたのは、まだこんなにちいちゃくて、真っ赤で、元気に泣いていた時だけだったから……」

「お母様、ごめんなさい、私がお母様を……」

「まほろさん、それは違うわよ。悪いのは私だわ。弱い母さんでごめんなさい」


 ふわりと優しく抱きしめられると、どこか懐かしいような甘い香りが鼻に届く。ただただ愛おしくて、恋しくて、まほろは涙をたくさん流して抱きつく。母が悪いとなんて思ったことはない。今もやはり、そんなことはないと思う。


「さあ、行きましょう。たくさんお話もしたいわ。まほろさんのことを聞かせて頂戴な」

「……どこへ、行かれるのですか?」

「皆が行くべき場所よ。まほろさん、絶対に振り返ってはだめよ。途中で怖くなっても、知らない人に声をかけられても、母さんがちゃんと手を握っていてあげるから」


 言われるがまま、まほろは八重畳を降り、帳台を出る。琴代に程よく強い力で手を握られ、不思議と幸せな気持ちで歩きだす。誰かと手を繋いで歩くのは、とても幸せなことだ。

 言いつけを守り、まっすぐ前を向いたまま。気が付けば、もう見たことのない橋のような、廊下のような、暗くてよくわからない一本道を歩いていた。

 それでも、目の前を歩く背中と握った手が見た目よりも何故か力強いような、心強いような気がして不安が去っていく。


「良い? 絶対に振り返ってはだめよ」


 幼い子供に言い聞かせるような優しい声に、まほろはこくんと頷く。

 無理矢理ではなく、まほろと同じ歩幅と速度で、琴代はただ前をまっすぐ歩いている。進めば進むほど温かい気がして、このまま進んで良いような、その方が正しいような、そんな気がした。


「まほろさん、これからは母さんも一緒だから、もう大丈夫よ。次は、あなたをちゃんと胸に抱いて、大きくなる様を側で見守らせてね」


 泣いているのだろうか。琴代の声が段々と喉から絞り出すようなものになっていく。その声まで、まほろは自分とよく似ているなと微笑む。

 ほんのりと幸せな気持ちになるが、それでも、まだまほろには一つ気懸かりなことがあった。


「お母様、でも、私は……」

「まほろさん、人は皆死に、魂は天で浄化されるの。そうして命は廻るの。ここにいては永遠に寂しいまま、環る運命の輪から外れてしまう。今ならまだ間に合うわ。ね、私ね、次は必ずあなたのいい母さんになるわね。一緒にご飯を食べて、並んで眠りましょう。そうだわ、一緒にお風呂にも入りましょうね。背中をすすいであげる。髪だって毎日梳かしてあげる。あなたにしてやれなかった事、全部全部やってあげる。あなたが聞き飽きるくらい、毎日大好きって言わせてね」


 止まっていた涙がまた零れる。まほろは琴代の言う幸せそうな日常を思い浮かべて、そういう子供時代を送っていたらどれほど良いだろうかと考えた。

 継母と義妹のように仲良く手を繋いで歩き、良いことをしたら褒め、悪いことをしたらそれが悪いことと教えて貰う。熱を出して寝込んでいる時に、明日ちゃんと目覚められるだろうかと不安になることもないだろう。


 ――ああ、でも、熱を出した時は、ハツさんがお薬を貰って来てくれて、嬉しかったな。


 優しい人もいた。それでも、やはり本能がそうさせるのか、母親に縋ってみたくもなる。

 母親に愛されるような子ならば、もしかしたら父にも愛してもらえたかもしれない。

 鈴や唯華は幼い頃、元綱に肩車をして貰っていた。縁日で買って貰ったらしい赤や黄色の風車がくるくると回って、とてもきらきらして見えた。

 まほろは風車なんていらないし、縁日に連れて行って欲しいとも思わなかった。肩車だって、無理にして欲しいとも思わなかった。ただ、たった一度だけでも良いので、自分を彼の娘だと、小さくても愛情を向けて欲しかった。


 いつか愛して貰えるかもしれないという我慢や努力は報われなかった。贄姫に選ばれたのも、神に奉げても恥ずかしくない娘だからではなく、単にいらなかったからだ。二度と会いたくないと思われたのだろう。


 だが、これほど優しく愛おしい人を殺されたのだから当然だ。

 まほろも、もしそちらの立場だったら、琴代を奪った相手を憎く思っただろう。


「やっぱり、私は、愛されたいとか、そんな我儘を言って許される存在では無いんです」


 結局の所、行き着く結論はこれだ。

 まほろは足を止め、それまでしっかりと握っていた手を力を抜いた。

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