龍の恋煩い
龍の体は人に比べて大きい。ロウは昔のことを忘れてしまったが、ここに存在し始めた時からその体に反して、ほとんどの部屋が小さく感じていた。
そもそもなぜ部屋という空間を仕切るものを用意したのかもわからないが、ロウは自分の棲む領域内でも外と中を区別した。そのために外には植物や岩を置き、建造物を一つ、冥の道へと続く門を中にしまうように置いている。
人間の暮らしを模したのは贄姫のためか、それとも己のためかは過去の自分に聞かぬ限り、答えは無いだろう。
その建造物の部屋の一つを、死後も人間としての習慣を忘れぬだろう贄姫のために整えた。
いつか、朝から夕方まで共に会話を楽しむかもしれない。貝や双六など遊ぶことがあるかもしれぬと、ロウがいても狭くないようにと、やや大きめにいろいろと用意した。だが、結局ロウはこれまでのほとんどの時間を冥の門の側で過ごしている。
まほろが来て、ようやくいろいろと見て歩いた。自ら用意したはずだが、やはり記憶が古すぎて覚えていないので、新鮮な気持ちで見て歩いた。
改めて見ると少しばかり古臭い造りに、まほろがこの空間に満足しているのかが気になったが、彼女は龍に会えるという期待と緊張からかあまり周りを見ていない。
ここへ来て目が覚めた時は新しい寝床に驚いており、それからもずっと寝床の話しかしないので、帳台で眠る衝撃でまだ宮どころでは無いのだろう。藁の上で眠っていたまほろが不憫で堪らない。
「本来ならば、この扉の先に龍はいるのだが……」
そのまま黙ると、まほろがそわそわとロウと扉に視線を行き来させる。それから、沈黙の意味を悟ったまほろが無理矢理誤魔化すような笑顔を浮かべる。
「今日は、いらっしゃらないのですか?」
まほろの悲しそうな顔を見てしまうと、どうにもそうだとは言えず、
「いや、問題ない」と答えてしまう。
嬉しそうだが、緊張で耳を赤くしてぎこちなく足を小さく一歩だけ進めるまほろに、
「待て」とロウは慌てて立ちふさがり、その細い両肩をそっと押して下がらせる。
いないことはないが、龍は扉の先ではなくここにいる。
「も、申し訳ございません、私、無礼なことを」
「いいや、そんなことはないぞ、大丈夫だ」
「私、礼儀作法がわかっていなくて……」
「まほろには何一つ問題ない。龍が悪い。まほろ……どうしても会わねば気が済まぬと、そう言うのだな」
ロウの言葉に、それまで薄紅に染まっていた可愛らしい顔がみるみるうちに蒼くなっていく。口元にはなんとか笑みを浮かべているが、視線が落ちてあちこち彷徨っている。
まほろが傷付いた時の顔だ。父や兄を相手にした時の恐怖とは違う、唯華などの言葉に反論せず、何とか相手の機嫌を取ろうと考えている時と同じその顔に、ロウは言葉を誤ったと気付いてひやりと汗を滴らす。
「龍神様とロウのご都合も知らず、つい、我儘ばかり言ってしまいました。その、ご、ご迷惑ばかりおかけしてしまって、本当に申し訳ございません……あ、あの、龍神様にも、お詫びの言葉をお伝え願えますでしょうか」
「まほろ、違う、違う、まほろは何も悪い事はしていない。まほろ、大丈夫だ、バカタレはまほろが可愛すぎて臆しているだけだ。すまないが扉越しでいいか? 扉越しであれば阿呆な龍も話くらいはできよう」
「ロウ、あの、ご無理は」
「無理などしていない。龍も首を長くして待っていた。元より首は長いものだが」
神ともあろう者が人間の女子一人にここまで翻弄されようとは。
思えば、自分は勝手に妻と思い込んで一方的にしつこく絡んでいたものの、まほろに夫と認識された状態で話すのは初めてだ。
しかし何とかまほろの龍への興味を削がせ、ロウとして人の形をしている方と恋仲にさせねばならない。
龍もロウも同じであると打ち明けたとしても、まほろが証拠を見せろと言い出すのも恐ろしいと思った。
――この際だ。まず、龍がまほろに少し冷たくし、失恋をさせる。落ち込むまほろをロウの姿で慰め、その後龍が二人を祝福しているように言えば……。
別人のふりをするためにロウは数回咳払いを繰り返して、少し低い声を扉の向こうから出す。口からしか声の出ないまほろが、扉の向こうに龍がいると思い込むのは必至だ。
『よく来たな、まほろ』
「はっ……あ、はじめっ、ああっ……畏みかみもみもうみ上げ、も、い、いたしまする、わ、わたくしは、ここ此度、龍神様の、龍神様に……」
あれほど自分から会いたいと言っておきながら慌てふためいて、まるで転ぶように素早く地べたに額づく。あまりの緊張からか舌を噛み、上手く話せていないまほろのいじらしい姿に、ロウは可愛いのと可哀想なのとで、そのたどたどしい言葉を遮った。
『落ち着け、まほろ。楽に話せ。夫婦とは対等なものだ。あと、跪かなくていい』
「もっ、申し訳、ございません……あ、あの、ずっと、ご挨拶もできぬままで……ここに来る前も落ち着きがなく……不義で、ご無礼な真似ばかり……ご不快な気持ちにさせてしまい、申し訳ありませんでした」
『不快ではない。それに、まほろに非も無い。悪いのは龍だ』
「わ、悪くなんてありませんっ! あの、龍神様、あの時は怪我を治して頂いて、ありがとうございました。それから、私をこうしてお迎えして下さってありがとうございます。不束者で、たくさんご迷惑おかけするかとは存じますが、精一杯妻としてお役に立てますよう、精進してまいります!」
『何も迷惑などない。こちらとて、お前がここまで来てくれたことに感謝している。これほど可愛い妻を娶れて幸せだ。ありがとう……その格好も可愛いな、こんなに愛らしいものを俺はこれまで見たことがあったか』
「……龍神様は、扉越しでも私が見えるのですか?」
『……まあ、そうだな』
まほろが真っ赤に染まった頬を手で蓋い隠すように触れる。
――しまった……。
ロウはやはり、どうしてもまほろに冷たくできず、いつもの調子で本音がぽろぽろと口から出してしまう。
「りゅ、龍神様は、私を……お、お嫌いではないのですか……?」
『ああ。嫌い、なわけがない。お前のことを、とても好ましく思っている』
嫌いなどと言えるものか。
そもそも、神がそう簡単に幾つも幾つも嘘を言えたならば、世界の真と偽りの理が崩れてしまう。神にとっては些細な嘘、戯れだとしても、冗談一つで生き物が死ぬ。あまり死にすぎると、こうしてロウのように各地の門を見張っている神が過労で眠りについて亡者を放ったらかしてしまうし、冥がいっぱいになってしまう。
ロウにとってはまほろが愛らしい、まほろを愛している、まほろと睦み合たい、嫌われたくないというのが真なのだ。神ゆえに嫌いと言うことができない。それに、何よりも言いたくない。
「ま、また、もしよろしければ……お時間のある時で構わないので、こちらに来ても良いのでしょうか?」
『それは……』
「……私……また、会いたくなってしまいそうで……」
ロウは拒めない。拳を握りしめ、歯を食いしばる。
ロウとしても、早くあの小さな手を握ってそこらを歩き回って笑い合ったりなどしたい。だが、自分に会いたいと言っているまほろを、どうしたら拒むことなどできようか。
『日中ならば、いつでも来ると良い』
「よろしいのですか? 龍神様、私、とても嬉しいです……もっと、良き妻になれるよう頑張ります」
まほろの頑張るという言葉には、恐らく不貞を働かぬというものも入っているのだろう。
――どうしたものか……
夫から愛情を受けて、それはそれは幸せそうに笑うまほろに、ロウは唸る。
いざ声まで変えて他人のふりまでしてしまうと、こっ恥ずかしいものだ。ロウと龍が同一であると、さらに言いづらくなってしまったように思えてならない。
曲がりなりにも神ともあろう者が、何をしているのだろう。
このようなことになるのなら、下手に誤魔化さず最初から自分が龍と伝えれば良かったのかもしれない。だが、そんな心の準備は結局できないままだ。
龍神の恋は前途多難である。




