花嫁と柘榴
まほろは夢を見ていた。
薄暗い、御影石のようなひんやりと硬い石でできた大きな部屋の中央に、鋭い氷柱のような、硝子細工のような静かな銀色をした龍が鎮座し、音も無く泣いている。
えんえんと子供のように声を上げたりせず、まほろが泣く時のようなしくしくという声すら出さない。
ただ、傷だらけの大きな顔の、まほろの頭くらいありそうな目から絶え間なく涙が溢れ出ているのだ。
まほろは彼が龍神だとすぐにわかった。
夢だからか、五感とは違う不思議な感覚で、それをこの場所に棲む神だと感じとったのだ。それに、何よりもまほろは彼が神であることをすでに知っていた。
「龍神様」
ひしひしと伝わってくる独特な存在感。抱くのは畏怖の念。
緊張を覚えるが、じっとただ泣いている姿に無条件の愛が湧き上がる。これもまた、もともとあったものかもしれない。
大きな顔に角、鬣と、とても恐ろしいようにも見えるが、何より美しくて綺麗だとまほろは思った。
よく見れば顔だけでなく、いろいろなところに傷がある。全て癒合しており血は出ていないものの、歪んでいる鱗や、痣か火傷の痕といったものなのか一部変色したところもある。そのあまりの痛々しさに、気が付けば自分まで涙が出てしまっていた。
「龍神様、私は……」
目を覚ますと、まほろは納屋でもなく座敷牢でもない場所に横たわっていた。
それはまるで一国の城に住まう、高貴な者が眠るような立派な閨だ。
ちくちくした薄い筵ではなく、広い帳台の中、一人で眠るには大きすぎる八重畳にふわふわの綿が詰められた上筵、そして肌触りのいい絹のような褥。
とはいえ胸を張れる教養や知識がなく、古ぼけた布団と蚊帳しか知らないまほろには、まるでこれだけで一つの家のように見えた。
足の長いちゃぶ台の上から良質な反物をかぶせたかのような屋根があり、その下に分厚く畳を重ね、藁よりもずっと寝心地のいい布団を置いたような寝床だ。
どれの名称もいまいちまほろにはわからず、変わった寝床だと思ってしばらくぽかんとしていた。
蓑でも襤褸の上掛けでもなく、美しい花の柄がついた夜着を被って固まっているまほろの耳に、 几帳の向こうから優しく落ち着いているが、少し冷たくも感じる男の声が届いた。
「目覚めたか」
ようやく状況を少し理解したまほろは、慌てて帳台を飛び出し、滑り込むようにしてその場に額づいた。
「は、はいっ、あ、あの、わわわ、私は、此度、龍神の元へ贄として、あっ、お、お日柄も、本日は良く」
「落ち着け。楽にしてくれて構わない。お前はひれ伏さなくて良い」
「え、ああっ、はいっ、も、申し訳ございません」
「喉が乾いていないか。まずはこれを食べろ。柘榴だ」
妙に親しみやすい、聞いたことのある声だと思いながら、まほろは顔を上げる。
「あっ……ゆ、幽霊さん!」
こんな場所まで付いてきてしまったのだろうか。それとも、前に彼が言っていたように、自分は拉致されたのだろうか。
柘榴を受け取りながらも、落ち着きなく何か言おうと口をパクパクしたりいろいろと考えたり、きょろきょろと周りを観察するまほろに、幽霊がもう耐えきれないと言うように吹き出し、笑い始めた。
「ふふっ、驚かせてしまったか。俺はもともとここに棲んでいる。ようこそ、まほろ、穴の底に」
「あっ、そ、そうだったのですね……あ、あの、あの、神様は」
「まずは、それを食べて落ち着け、まほろ」
「い、いただきます……」
袋のような果物の皮の裂けたところから、今にも溢れ出そうな粒状の赤いものを恐る恐る口に入れた。
薄皮を剥いだ蜜柑もつぶつぶしており、同じと思えば怖くないかもしれないが、どうにも赤い粒状の物がぎっしり詰まっているそれが、少しだけ不気味だった。
だが口に入れてしまえば、その甘酸っぱい果実に夢中になって、幽霊にぽんぽんと頭や背中を撫でられているうちに全て食べ終わった。
「全部食べたな。偉いぞ」
「ごちそうさまです……あの、幽霊さんは、どうしてここに」
「ああ、日が暮れると、夜闇に紛れて亡者が逃げ出そうとする。それを見張り、諌めたり、元の道に戻す役目があるからここにいるのだ」
「では、どうして……あの……上? にいらっしゃったのですか?」
もともといた場所を何と呼べばいいのかわからず、人差し指を上の方に向けて頭を傾げる。
穴に落ちたから、単純に上の方に元いた世界があるのだと判断をした。
「現世にいたのは、お前がここに来ても寂しくないよう、先に仲良くなろうと思ったのだ。そうしたら、お前があんまりにも可愛いので、つい会いたくなって入り浸ってしまったな」
「か、可愛い、なんて、そんなこと……あ、あの! 私、ずっと聞きたかったのですが、幽霊さんは何というお名前なのですか?」
「ああ……そうだな……タ……ロン……いや、ロウはどうだろう」
「どうとは……どう、というのは……」
「ロウだ。ロウと呼べ」
時々幽霊……改めロウは妙な話し方をする。そのことにまほろはもう慣れてしまったので、これ以上追求するつもりもない。
本人がロウと言ったら、ロウなのだろう。
「ロウ様」
「様はいらぬ」
「では、ロウさん」
「呼び捨てが良い。まほろと俺は仲良しこよしだろう」
「は、はい……その……ロウ……」
紙に隠れていても、にこーっと満足気にロウが笑っているのがわかる。
まほろは人を呼び捨てにするのも、仲良しこよしと言われるのも初めてだ。既に抱き合ったりなどしている仲ではあるが、それでも照れくさくて頬が熱くなる。
――いけない。わたしは龍神様に……
それからふと、まほろは自分の格好が花嫁衣装でないと気が付き、不思議に思って頭を傾げた。
淡い空色のひらひらした着物は、絵に描かれる天女が着ているものに似ている。
漢服という、昔大陸の国で着られていたもので、今までまほろが着てきたものよりも帯が細く、着物の上に薄い布が何枚も重なったような、きらびやかな衣装だ。草花の刺繍が散りばめられており、ロウが身につけているものとも少し雰囲気が似ている。
もちろん、この衣服もまほろは初めて見て、名前も知らないのだが、動くとふわふわ揺れて雲母のように光る衣に心が踊る。
ロウはいつも、まほろの周囲の男とは異なる格好だった。恐らく神に仕える者の服なのだろうと自分なりに納得し、袖にある繊細な刺繍を見つめたり、帯締めにあたる装飾品を観察してお辞儀のような姿勢をとった。
「着慣れないものを着せてしまったな。苦しかったりはしないか」
「いえ、とても素敵な御衣で……きっと、神様にお仕えしてる方のお召し物ですよね? 私なんかが着てしまって良かったのでしょうか……」
「それは、まほろに合わせて用意したものだ。まほろの好きな色、好きな柄、何でも言え。それと同じ唐服に十二単、袴、毛皮でも何でも用意するぞ。勾玉は好きか? 西洋のドレスというものも良いな。俺はあまり詳しくないのだが、ふっくらしていて、花を逆さにしたような形をしている」
「私は……なんでも、織物や刺繍が好きで……あ、あの、龍神様は、どういうものを好まれるのでしょう? ロウは何か知っていますか?」
「龍のことはいい。まほろが好きなものを着て欲しい」
まるで龍神を蔑ろにするようなロウの言葉にまほろは眉を寄せる。
だがあの身窄らしい格好で、暗い顔ばかりをしていたまほろが贄姫に選ばれたことを知っても機嫌を悪くしたりせず、ロウは傍にい続けた。まほろにとって、ロウは誰よりも誠実で優しく、意味もなく誰かを故意に傷付けるようなことはしないだろうと思っている。
白無垢に、見慣れぬが美しい衣装。まほろは自分に対して僅かに、驕りを持ってしまったと気付く。
身なりだけ少し綺麗にしたところで、乞食のように食べ物を求め、働きにも出ずに卑しく家に寄生していたまほろの人生が消えるわけではない。
以前から、ロウはまほろに対して龍神のことは気にしないようにと言っている。
それは彼なりの優しさで、まほろのためを思ってのことだろうか。
まほろは、龍神が自分には興味すら無いのではないかと不安を抱く。
だから寂しくないようにと、優しいロウが気遣ってくれているのかと思うと胸がきりりと痛んだ
――やっぱり、私は龍神様に相応しくない……。




