部屋にいるもの
唯華は自室で泣いていた。まほろのせいで榮に冷たい目で睨まれたのだ。到底許せるはずがない。
母を殺し、兄を苦しめ、腹違いの妹まで悲しませるような者が家族などと受け入れられるわけがない。
榮が戻って来たら、まほろがどれほど残虐な者なのかを教えよう。榮はきっと騙されているのだ。
一旦心を落ち着かせようと鏡台の前に座り、櫛で髪を梳いていると、なぜか肩に一房髪の束が不自然に乗っているのが見える。艷やかな唯華の髪に比べて、やけにごわごわと傷んで見えるのだ。
鏡を見ながら、その束に手を乗せると、その感触は髪ではなく人の手のようだった。
「いやあああっ!!」
それを払い除けるように暴れて部屋の中を走り角まで行くが、振り返ったそこには唯華以外誰もいない。
「なに、なんで、どうして」
気のせいにしてはあまりにも人の手の感触が鮮明に残っている。ひんやりと凍るような手だった。
唯華は誰か人のいる場所へ行こうと後ろ手に障子戸を開ける。
素早く縁側に出て周辺を見渡し、何か異変がないかを確認した。
まるで先程の出来事が幻であったかというような、見慣れた場所。
胸を撫で下ろし、一歩部屋から外に出た時、唯華は背後から何者かの息遣いを感じた。それは耳元まで来ると、生暖かい息を吐き出しながら、声を絞り出すかのように音を立てる。
「きゃあああ!!」
叫び、再びどたどたと足音を立てて唯華は走り出した。
髪を振り乱し、裾がめくれ上がるのも気にせず走って、唯華は座敷へ駆け込んだ。誰か、人のいる気配があったのだ。
広い座敷の中央には元久の姿がある。
頼もしいかと言われればそうでもないような気がしたが、唯華にとっては味方の一人だ。
「お兄様!」
元久は何の反応もなく、坪庭の鹿威しを眺めていた。
チョロチョロと水音がやけに響いて耳に届く。
「お兄様……?」
鹿威しの何がそれほど気になるのだろうか。
唯華は元久の代わりに坪庭の方へ視線を向けたまま、ゆっくり歩み寄っていった。
水が溜まったら竹筒が傾いて心地よい音を鳴らすはずだというのに、延々と流水の音だけが続いている。
よく見ると、竹筒の下で水を受ける凹んだ石の中に何かが浮いていた。
何だろうかとよく見れば、桜柄の布切れだ。まほろが縫っていた着物の破片だろう。
なぜか、それがとても美しく風流に見えて、唯華は濡れるのも気にせず手を突っ込んで引っ張り上げた。
唯華はこれを元久に渡さねばと思った。なぜそう思ったのかはわからないが、そうしなければならないという焦りがあった。
「お兄様……これ……持っていて下さい」
立ったまま動かない元久の手に、唯華は水を吸ってぐっしょりと濡れた布をしっかりと握らせる。ボタボタと水は滴り落ちて、座敷の畳を濡らしていく。
縁側を、足袋を擦るようにして歩いてくる音が唯華を追って近付いてくる。それと、何かが坪庭の砂利を鳴らした。
衣擦れの音と混ざる足音、ズリズリと畳の上を這い寄ってくる音、水がジョロジョロと流れる音、唯華の心臓の音、元久の発作のような激しい息遣い。
唯華は元久に渡してしまった布が、まほろから奪い取ったものと自覚は無い。披露目の儀式をきっかけに、まほろごとそれを得た龍神が、渋々譲ったものとも知らずに持ち帰り、元久に渡してしまった。
唯華は自分の過ちに対して、どれの一つも悪気もなく、自覚はない。これまで通り、そのまま生きるのだ。
唯華は自分ではない女の毛が、また自分の髪の間から出てきていることに気付くと、元久を置き去りに座敷を後にした。




