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嫌われ者の生贄ですが、愛してくれますか?  作者: トシヲ
現世の章

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止まらぬ怪異

 元久は井戸での一件以来、怪異に悩まされていた。

 夜明けになると必ずと言っていいほど、元久は肌寒さを感じて目を覚ます。酷い耳鳴りの後、金縛りにあう。瞼を閉じることさえできなくなると、何者かがドタドタと天井裏を歩き回る音がする。


 あの日井戸で見た黒髪の何かが自分を探している。

 天井に雨もりでできたようなシミが広がり始め、黒く黒く染まっていく。

 そこから死の臭いが立ち込める。生臭さ、何かが腐った酷い臭いだ。あの井戸で嗅いだものと同じ激臭に、元久は呻き声をあげた。


 声を上げるべきではなかった。それまで天井裏で鳴っていた足音がぴたりと止んで、天井板の隙間から、何やら黒い繊維が互いに絡み合いながら元久の方へと伸びてくる。


 ――やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろ……


 大きくなっていく耳鳴りが、まるで鐘のように頭の中で打ち鳴らされる。

 その瞬間、ようやく目を閉じることができ、元久は覚醒した。

 全て夢の中での出来事なのだ。天井にシミなどなく、もちろん足音もしない。天井板の溝に髪は一本も挟まってなどおらず、元久は安堵しつつもその夢に何度も魘され、精神を病み始めていた。


 元久はこれを全て呪いではないかと考えた。元久に呪いをかける心当たりは十分にある。それはまほろだ。まほろ以外に恨まれる理由はないし、何よりあの忌ま忌ましい愚妹が贄姫として披露目の儀を執り行った直後から、この怪異が続いているのだ。

 まほろは母殺しをするような者だ。兄までも殺そうと神に祈ったのかもしれない。


 元久は寝床を飛び出し、寝衣のまま屋敷の敷地内を歩き回る。この数日で痩せて、 穏やかにいつも微笑んでいた双眸はぎょろりと殺気立っている。

 これまできゃっきゃと声を上げていた下女や唯華の客人らも、そのあまりの変貌ぶりに恐れをなし、軽く会釈はするものの声をかける者はいなかった。


 髪も乱れたまま、歩き続けてようやく元久は母屋から離れた洗い場の近くでまほろの背中を見つけた。

 竹の長椅子に腰掛け、何やら一人で喋る不気味なまほろの様子に悪寒がし、肌が粟立っていく。

 まほろはうっとりと恋人でも見るかのような瞳を隣の空虚に向けて、喋ったり笑ったりを繰り返している。


 あれが呪いだ。そうに違いない。人身御供にされる恨みや恐怖で気がおかしくなって、呪いをかけたのだろう。

 元久は恐怖よりも、煮えくり返る腸と憤りから来る震えを抑えきれず、一人だけ幸せそうに笑っているまほろに距離を詰めていった。


 いつもならまず簡単に当たる平手を、まるで未来を先読みしたかのように避けられる。しかしまほろの表情にはしっかりと恐怖が侵食していて、それがまぐれであると物語っていた。


「お前! よくも!」


 すかさず左手を伸ばし、まほろの蒼白い手首を引っ掴んだ。右の拳を振り上げ、ガタガタと震えて怯える愚昧を嘲笑う。

 しかし不思議だ。先日あれほど痛めつけたというのに、まほろには傷一つ無いどころか、以前よりも髪に艶が増して、肌にも潤いがあるのか陶器のように綺麗だ。

 気に食わぬその顔に拳を叩き込もうとしたところで、元久の鼻をあの臭いが突いた。

 呼吸が激しくなる。ざわざわと悪寒に体が震え、まほろの手首を掴む腕を何者かに握られるような感触がした。


「な、何をした、まほろ! お前の呪いか! まさか、祟りを」


 まほろを突き飛ばし、元久は腕を掴む者も振り払おうと暴れる。だが、臭いが強くなるにつれ腕にめり込むものの力が増し、激痛が走った。


「ぐあああぁっ!! やめろォ!!」


 もがき、暴れ狂ううち、視界の隅にあの黒髪の何かが入り込む。

 元久の腕を掴んでいるそれは、あの日井戸で出くわした怪異そのものだ。


「そう……私の、兄……」


 か細く消えてしまいそうな声は妹のものだ。

 先ほど迄あれほど恐怖に歪んでいた表情が消え、虚ろな瞳のまほろが呟く。それに反応した怪異が雑踏のようなはっきりとしない声、言葉で何かを言う。


「アニナナアニノニノノノナ」


 元久にはわからぬ言語だというのに、意味だけは瞭然と伝わってくる。アレは元久の名を知りたがっている。

 元久はまほろを睨みつけ、余計なことを言わぬように目で訴えたが、目を開けたまま眠っているかのような愚昧は無表情のまま怪異を見つめている。

 

「……名は……元久お兄様……住み処……あの、母屋に……」

「やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」

「モトトモモトヒサ、もと、ひさ、元久」

「呼ぶな、俺を呼ぶな!!」

「元久、まほろの兄の名は元久。母屋に住んでいる。あそこに住んでいるのだな」


 男の声がはっきりと耳に届く。放された腕にはまだ掴まれていた感触が痛みと共に残っている。

 まほろは一体何を呼び出したというのだ。贄姫に関する祟りは、奉げられた生贄に問題があった年に起こるものではないのか。まだ披露目の儀のみで、まほろは奉げられていない。

 何より、記録として残っている祟りは日照りと大雨、伝染病。悪霊が現れて人を襲うなど、聞いたことがない。


 元久は無様にも尻尾を巻いて逃げ出す子犬のように駆け出す。途中、小石に躓き転びかけたが、金縛りにも合わずなんとか母屋に飛び込んだ。あの霊は夢にこそ出たものの、家の中には入ってこなかったはずだ。

 それから元久は一心不乱に家中の帳場箪笥や櫃を開けて先代らの日記などを探した。まほろの横にいる物の怪が何なのか、贄姫の儀式と関係があるのか、名と住む家を知られても無事でいられるのか、これまでにあれを見たことのある者はいるのか……。


 震えが止まらない。

 元久はただ、今までどおり生きたい。それだけだった。

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