第八十話(ラルフ)
人間の世界は時の流れとともに変化してゆく。
ラルフが願いを叶えた人間はとうの昔に死に、そんな人間がいたことすら忘れられていた。
結局ラルフが願いを叶えた人間は、幸せになったのかどうか分からかったが、今、彼らの死を悼む者はいない。
それでも世界は姿を変え、発展したり戦争や環境破壊で全てを失ったりを繰り返しながら回っていた。
「やはり俺のしていた事は間違っていたな」
ラルフは一人で苦笑した。
今まで願いを叶えることが人間の幸せだと思ってきた。
それが間違えであることに気付くまで、一体どのくらいの人間を不幸にしてしまっただろう。
そして、仲間に引き入れてしまったハイドやビンセントにも、ラルフと同じ『永遠の苦しみ』を味あわせてしまったことを今更後悔した。
ラルフにとって少女の笑顔が唯一の救いだった。
早く少女に会いたい。
会って、今度こそは自分の気持ちを伝えよう。
そう思い、ラルフはまた自分の世界へ戻った。
ラルフが自分の屋敷へ足を踏み入れると、食卓にいるはずのないビンセントがいることに驚いた。
外はまだ雪が舞っている。
「春が来たのか?」
「ああ。冬は終わった」
ビンセントが笑顔で答えた。
いつの間に……。
どうやって長年の苦しみを乗り越えることが出来たのだろう。
ハイドも過去の悪夢にうなされ、眠れなくて毎晩夜会へ入り浸る生活をしていたのに、少女の側なら眠れるようになっていた。
何故、少女は普通の人間なのに悪魔を癒せるのだろう。
少女は人間ではなく神なのだろうか。
ラルフは怖くなった。
神のように清らかな少女を悪魔の手で汚す事が。
「ラルフ、人間の世界へ戻りたい」
少女に反対することは出来なかった。
少女が人間の世界へ戻れば、これから先、何十人も何百人もの人間の心を救っていくだろう。
「ああ。お前の気持ちに従う」
ラルフは少女を自分のものには出来ないと思った。
ハイドは少女を人間の世界へ戻すことに反対した。
少女がいなくなれば、また元のつまらない生活を永遠に繰り返さなければならないと。
ラルフもハイドと同じ気持ちだったが、どうしても少女を幸せにしてやりたかった。
ラルフは少女が側にいるだけで十分だったが、少女は人間の世界に自分の居場所が無かったから、この世界を選んだのだろう。
もしアスランが少女をずっと待ち続けていたら……。
ラルフはアスランに勝つ自信が無かった。
出発の日の朝、ハイドとビンセントが一緒に付いて行くと言った。
あんなにも忘れたがっていた人間の世界へ、悪魔になって初めて足を踏み入れる。
それほどまで少女の存在はハイドとビンセントにとって大きくなっていた。
少女が気を失っている間、ラルフはアスランに案内されて城内を回った。
少女の生まれ育った城は、ラルフが初めて目にした荒れ果てた風景から、少女が夢に見ていた風景へと姿を変えていた。
「アスラン。お前は、帰って来ないかもしれないリリアを、ずっと待ち続けるつもりだったのか?」
「ああ。たとえ、自分が生きている間にリリアが帰って来なかったとしても、この国はリリアの国であることに変わりはないからな」
ラルフはアスランの返事を聞いて安心した。
今まで、ほんの些細な事で心変わりする人間たちを飽きるほど見続けてきたが、アスランは時空を越えて少女を想い続けていた。
「アスラン。リリアを泣かさないで欲しい」
「ラルフ、本当にリリアを返しに来たのか?」
「ああ。それがリリアの望みだ」
「ラルフ、本当にお前は悪魔なのか?」
ラルフはアスランの言葉に一瞬戸惑った。
悪魔でなければ、自分は一体何者だろう。
「ああ。人間を不幸にするために生まれた悪魔だ。
それより、そろそろリリアが目覚める頃だろう。
リリアと話をするが良い」
「ラルフ……」
アスランが何かを言おうとしているのを遮るように、ラルフは城の庭園へと姿を消した。




