第七十一話
三人が馬車の中でぐったりとしている間、リリアは窓の景色を一人で眺めていた。
馬車は町を抜け、北へと向かった。
馬車が進むごとに民家は減ってゆき、舗装されていない道が続いた。
やがて道のない森の中へ入って行くと、馬車はガタガタと揺れだした。
「……!」
馬車が大きく揺れるたび、リリアの体が飛び上がる。
リリアは体が浮かないように、座席にしっかりと掴まった。
「……大丈夫か?」
声を掛けてきたのは、ビンセントだった。
「あ……、うん。大丈夫」
リリアは少し驚いたが、笑顔を作って返事をした。
ビンセントはリリアの様子を見てフッと笑い、
「リリア、馬車を降りて少し歩いてみないか?」
と、聞いてきた。
「え……? でも……」
リリアはそっとラルフの方を見た。
「馬車の中で、じっとしているのも退屈だろう。
行って来ると良い」
ラルフは腕組みをしたまま、笑顔で言った。
ハイドはまだぐったりとして動けないようだ。
「……うん。……行ってくる」
リリアはハイドがくれた猫のぬいぐるみを背負って、ビンセントと一緒に馬車を降りた。
馬車はそのまま二人を置いて出発した。
「あ……!」
「心配するな。馬車の行き先は知っている。
歩く方が近道だから、俺達の方が先に到着するだろう」
「う、……うん」
「行くぞ」
ビンセントは構わず先を歩き出した。
リリアはビンセントの後を必死で追いかけた。
リリアはいざビンセントと二人きりになると、何を話せば良いか分からなかったが、小鳥のさえずりや虫の鳴き声が聞こえてきて、次第に緊張感も解けていった。
時折ビンセントは立ち止まり、空を見上げたり、しゃがみ込んで小さな草花をじっと見つめた。
「……?」
リリアはビンセントが何を考えているのか分からなかったが、話しかける勇気がなくて、ただ黙ってビンセントの背中を見つめた。
「この花」
「え?」
ビンセントが急に口を開いたので、リリアは驚いた。
「名前を知っているか?」
そこには淡い青色の小さな花が咲き乱れていた。
リリアは何か見たことがあったような気がしたが、何の花かは分からなかった。
「わすれな草。今でも咲いているんだな」
「小さくて可愛い……」
リリアがビンセントの隣にしゃがんで小さな花を見ていると、ビンセントの日記の中にあった押し花を思い出した。
「この花……」
「ん?」
「ううん。何でもない」
リリアがそう言うとビンセントは立ち上がり、また黙って歩きだした。
リリアはまた、ビンセントからはぐれないよう、ずっと小走りで付いて行った。
ビンセントはそんなリリアに気を遣うこともなくスタスタと歩き、先を急いだ。
「あっ……!」
リリアが苔で滑って転びそうになった時、ビンセントがリリアの腕を掴んだ。
「……ごめんなさい」
ビンセントはフッと笑った。
「お前はいつも俺に謝ってばかりだ。
こんな時は『ありがとう』で良い」
「ごめんなさい。……あ!」
ビンセントが再び笑った。
「多分、俺が言わせているのだろうな」
ビンセントはリリアから手を離し、また歩き始めた。
途中、咲いている野花や薬草、鳥や小動物を見つけては立ち止まって、その名前をリリアに教えた。
「俺は、人間に育てられて咲く花より、自分の力で勝手に咲いている花の方が好きだ」
ビンセント方からそんな話をしてくるのが初めてだったので、リリアは少し返事に困った。
さらに歩いて行くと、水の流れる音がした。
「何の音?」
「近くに小川が流れている。
暗くなると蛍が飛んで、辺り一面が蒼白く光る」
「蛍?」
「知らないのか?
なら、少し暗くなったら見せてやる。
今でも蛍がこの辺りに生息しているかは分からないが」
「うん」
リリアはビンセントが何をしようとしているのか、何故自分を誘ったのか、全く分からなかったが、ビンセントの新しい一面が見られたようで、嬉しかった。
「リリア、そこで待っていろ」
ビンセントは大きな木を簡単に登って行った。
ビンセントが木に登る姿を見るのも初めてだ。
「ビンセント?」
ビンセントの姿が見えなくなり、リリアが少し不安になっていると、上から赤い木の実がパラパラと降ってきた。
木からストンと飛び降りたビンセントは、赤い実をリリアに手渡した。
「食べてみろ」
リリアは恐る恐る、赤い実を一粒口の中に入れてみた。
「あ……。甘い」
ビンセントが微笑んだ。
「だろう? 人間だった頃、空腹を満たす為によく食べた」
リリアは落ちている赤い実を拾って、猫のぬいぐるみのお腹の部分に入れた。
ビンセントは緑色の葉をじっくり観察したあと、何枚か採り、また先へ進んだ。
リリアはこんなにも長い距離を歩いた事がなかったので、次第に足が重くなっていったが、それでも黙ってビンセントの後に付いて行った。
ふとリリアが前を向くと、とても小さくて古い小屋が見えた。




