第六十四話(閑話・マルゴー)
マルゴーは小さい頃から母と二人で暮らしていた。
マルゴーの母は溜め息ばかりついていた。
「マルゴー。アンタの父さんは、私とアンタを捨てて他の女と何処かへ行っちまったよ」
マルゴーは母からその話を聞かされるたび、胸が苦しくなった。
「マルゴー。
アンタだけは私を見捨てて何処にも行かないと約束して」
マルゴーの母は毎日その言葉を繰り返す。
幼いマルゴーは、
「母さん、心配しないで。私は何処へも行かないよ」
いつもそう答えていたが、母の目にマルゴーは映っていなかった。
やがて、マルゴーは恋をした。
あまり良い噂を聞かないグループのリーダーだ。
それでも彼はマルゴーにだけは優しくて、この男となら地獄へ堕ちても構わないとさえ思った。
そんなマルゴーを母が許すはずがなかった。
「あんな男と付き合って、世間の笑われ者だよ。
回りから何て言われているか知っているかい?
『母娘揃って、どうしようもない男に騙された哀れな女たち』だって」
マルゴーは彼の事を、どうしようもないと思った事は一度も無かったし、自分を哀れだと思った事も無かった。
マルゴーは母や村で噂をする人間から逃げるように、彼と一緒に出ていった。
「マルゴー! 人でなし!
アンタも父親みたいに私を捨てて出ていくのか」
母の悲痛な叫び声が響いたが、小さな鞄と彼の手を握りしめ、一度も振り返らなかった。
「マルゴー、お願い。母さんを一人にしないで……」
母の声は次第に小さくなっていったが、それでもマルゴーは振り返らず、村から出た。
最初の一年は楽しかった。
彼も真面目に働き、マルゴーは彼を支えた。
母が一度も言ってくれなかった『愛している』という言葉を何度も言ってくれた。
マルゴーのお腹に新しい生命が宿り、マルゴーは日増しに大きくなっていくお腹の子に喜びを感じた。
しかし悲劇は突然訪れた。
彼が昔対立していたグループのリーダーが現れ、彼を殺した。
マルゴーが駆けつけた時には、彼は既に冷たくなっていた。
マルゴーは、彼に別れの言葉を言えないまま、幸せな生活は終わった。
マルゴーは彼の仇を討つため、彼を殺した人間を探す旅に出ることにした。
その為に、生まれてきた我が子を危険に晒せない。
マルゴーは実家を訪ね、赤ん坊を預かってもらうよう、母に頼んだ。
「アンタは母親を捨てた上に、赤ん坊まで捨てるのか。
悪魔め。二度とこの家に帰って来るな!」
マルゴーはいろんな村を転々としながら働き、仇を打つ相手を探した。
毎月、母と娘のために仕送りもした。
数年が経ち、ついに仇を見つけたが、相手を目の前にして殺すことが出来なかった。
仇にも妻と小さな娘がいた。
たとえ殺せたとしても、二度と彼は戻って来ない。
仇を討てば、自分と同じ思いをする人間を作ってしまう。
マルゴーは後悔した。
仇の事などさっさと忘れ、娘と二人で暮らしていたら、娘に父親の事を沢山話せていたら……。
今頃どんなに幸せだっただろう。
今さら悔やんでも、時間は元には戻ってくれない。
マルゴーは一度だけ、娘に会いに行った。
姿を見ただけで、すぐに自分の娘だと確信した。
髪も瞳も、彼にそっくりな色をしていた。
マルゴーは思わず娘に声をかけた。
「お姉さん、誰?」
無邪気な顔をして首をかしげる娘に、自分が母親だと名乗れなかった。
「アナタのお母さんの友達よ。
アナタのお母さんは亡くなったわ」
「知っている」
「……そう」
「一度も会ったことが無いし、おばあちゃんがいるから。
寂しくなんかない」
「……そう。元気でね」
「お姉さん、さようなら」
「さようなら……」
マルゴーは振り向かず、その場を去った。




