第四十話
朝食を終えた後、リリアは日記を読み進めようと、自分の部屋に戻った。
「リリア、少し良いか?」
扉の向こうからラルフの声がした。
「あ、待って……! うん、いいよ」
リリアは慌てて日記を隠し、何事も無かったようにソファーに座った。
ラルフはリリアの不自然な様子に気付いていたが、何も言わず、リリアの向かい側のソファーに腰を降ろした。
「リリア。
俺は今夜から人間の願いを叶えに行かなければならない。
お前の住んでいた世界から少し離れた場所にあるが、良かったら一緒に行ってみるか?」
リリアは即座に返事をすることが出来なかった。
もちろんリリアはラルフと一緒にいろんな世界を見てみたいと思っていた。
しかし今、気になっている事が沢山ある。
日記の事、毎晩鳴り響く音の事、部屋に閉じこもったままのビンセントの事……。
ラルフは真剣な顔をして考え込むリリアの顔を見て、フッと笑った。
「分かった。お前を連れて行くのは次回にしよう。
ただ、しばらくの間リリアをハイドに任せておくのが心配だ。
あいつ、全てが雑だからな」
リリアもクスッと笑った。
「大丈夫。部屋で大人しくしておくから」
「ああ。屋敷の外へは出るな。いつ吹雪になるか分からない」
「うん」
リリアの部屋から退出したラルフは少し焦っていた。
『結婚する』と言ってリリアをこの世界に連れて来たものの、悪魔と人間の溝はなかなか埋めることが出来ない。
人間は永遠ではない。
リリアが結論を出すまで待つつもりではいるが、その間もリリアは少しずつ成長している。
夕食後、ラルフは黒いスーツに身を包み、人間の願いを叶えに行く。
「ラルフ、気をつけて」
リリアはラルフをぎゅっと抱きしめた。
人間の世界にいた頃も、リリアはアスランが出掛けるたびに見送っていた。
この世界に来てからラルフと離れて暮らすのは初めてだ。
「お前たちも気を付けろ。特にハイド」
「ああ、ハイハイ。分かっているよ」
ハイドはラルフが出掛ける直前まで、同じ言葉を言われ続けたのだろう。
うんざりした顔で返事をした。
ラルフは目を閉じ、呟くように呪文を唱えた。
思わず目を覆いたくなるような光がラルフを包み、やがてラルフの姿は消えてなくなった。
「ふぅ。やっと鬼たちがいなくなった。
しばらくこの屋敷は俺の天下だ」
「鬼たち?」
「ラルフとビンセントの事だよ。
アイツら、俺に注意ばかりしてくる」
「……それはハイドが悪いからじゃないの?」
「いや。アイツらが真面目過ぎるんだ。
あんな真面目な性格で、何が楽しいんだろう」
「……」
「それよりリリア。俺はお前の子守りを任されている。
今からシャワーを浴びてこい」
「え? どうして?」
「いいから、早く早く」
リリアはハイドに背中を押され、言われるがままバスルームに向かった。
ハイドの目がキラキラと輝いていた。
恐らくハイドは何かを企んでいるに違いない。
リリアはシャワーを浴びて着替えた後、おそるおそるバスルームから出た。
「リリア、こっちに来い」
ハイドはタオルを持って暖炉の前でリリアを待っていた。
リリアが暖炉の前のソファーに座ると、ハイドは隣に座り、持っていたタオルでリリアの髪をガシガシ乾かし始めた。
ハイドは加減が分かっていないので、ガシガシやられるたびにリリアの頭がグラグラと揺れた。
「俺が人間だった頃、家族なんかいなかったけれど。
もし妹がいたとしたら、こんな感じだったかな……」
ハイドはリリアの髪を乾かしながら、ぽつりと呟いた。
「私も小さい頃、兄様が死んでしまったけれど、もし生きていたらハイドみたいに優しかったと思う」
「……ハハ」
ハイドはリリアの髪を乾かし終えると、
「さぁ、子どもは寝る時間だ。早くベッドに入れ」
と、声のトーンを上げた。
リリアがハイドの言う通りベッドに入ると、ハイドもその隣に寝転がった。
「……ハイド、何しているの?」
「何って、添い寝に決まっているだろう」
「もし、私の兄様が生きていたら、添い寝なんかしなかったと思う」
「安心しろ。俺はお前の兄様ではない」
「……」
ここにラルフかビンセントがいたなら、ハイドを部屋から退出させていただろうが、今はハイドの天下だ。
リリアはラルフに付いて行かなかったことを少し後悔しながら、布団にくるまった。
ハイドがリリアの顔をじっと見つめる。
「やっぱりダメ! ハイドが隣にいたら眠れない 」
「そうか?」
リリアは首を縦に激しく振った。
「……仕方ないな。何かあったら直ぐ俺を呼べ」
ハイドはリリアの頭を撫で、明かりを消して部屋から出ていった。
これから数日間、こんなやり取りが続くかと思うと、少し不安になるリリアだった。




