8話
「任せて、エルカ。私、ちゃんとうまくやるから」
◆
さっそく哨戒兵のひとりを昏倒させて、待機するエルカのもとに戻ってきたイリス。
「殺したの?」
「気絶してるだけ。多分サイズは合うはずだから、エルカはこの鎧を着て、私が騒ぎを起こしているうちに街に入る。そこで鎧を脱いで、知り合いに匿ってもらう。それでいい?」
「銀の鎧を着ている間は魔術は使えない」
「わかってる。だから、変装は絶対にばれちゃいけないし、もし十分に私が兵士を釣ることができていないと思ったら待機するか、この鎧を着ずに動いたっていい。判断は任せる。それじゃ、私は今から丘の拠点をつぶしに行くから」
「わかった。でももし厳しそうだったら、戻ってきなよ。もうしばらく別の場所で潜伏したっていいんだから」
「うん。大丈夫。うまくやるから」
イリスはひとり、丘の上に登って行った。鎧を脱がせた気絶した兵士を抱えて、それを放り投げて宣戦布告とした。
「私は虹目の魔女イリス。君たちが追っている魔女。筆頭断頭官を殺した魔女であり、今から君たちを一方的に制圧して屈辱を与える魔女でもある」
魔女の奇行は、珍しいものじゃない。わざわざ敵の前に現れて、意味の分からない名乗りをあげるというのも、戦線の兵士たちにとって想定外のことではなかった。
すぐにクロスボウを構える後衛の兵士たち。槍や剣を背負った者たちもいる。ただ、すぐには攻撃を開始しない。統率が取れている。指揮官がどこにいるのかは、イリスにはわからなかった。
日が落ちていく。空が紅に染まるとき、カラスの一匹が鳴いた。その瞬間、側面から一矢。伏兵だ。
魔女は人間より頻繁に過ちを犯す。しかし、決して愚かな生き物ではない。彼女らは優れた記憶力と学習能力を持つ。二度、同じ轍を踏むことはないのだ。
イリスは、視点をまっすぐ前に向けたまま、側面から飛来する矢を片手で掴んだ。
そしてそれを、兵士の一人に向かって投げ返した。矢は兵士の腕に命中し、深く刺さった。悲鳴は上がらなかった。他の者たちも、イリスから視線を逸らさなかった。よく訓練されている。
このまま逃げたとしても、兵士たちに自分を追わせることはできなそうだとイリスは判断。さらに一歩、敵の中に入り込んでいく。
兵士たちは魔術を警戒する。虹目の魔女イリス。水の魔術を使うことが記録されているが、それ以外の魔術を持っている可能性も高い。
ただ実際は、エルカがそばにいないときは水の魔術は使えない。しかし、イリスは自分が魔術を使えない状況を不利だとは思っていなかった。もともと、生きていくのに魔術など使うつもりはなかったからだ。
それなしでも、生きていけるから。生きていけるように鍛えてきたから。
じゃあなんで、エルカと一緒にいたの? 水の魔術の多様な使い方をエルカに見せたりしたの? 自問するイリス。
無数の矢が同時に飛んでくる。ある矢は掴んで止め、ある矢は体をひねってかわした。避けることも掴むこともできないと判断した矢は、身体の固い部分にかすらせて軌道を逸らしたが、そのたびに、血が飛び散り、骨を削った。
クロスボウは装填に時間がかかる。一度の斉射をかわしたならば、しばらくは飛んでこない。戦線の兵士たちも当然それをわかっている。クロスボウを持っていた半数の兵士は再装填を。もう半分の兵士はその場で武器を持ち換えて、近接戦闘に備えた。剣と盾。槍を持っている者もいる。体格に合わせた武器の選定。陣形の配置。どれも適切だった。
イリスは、手に掴んだ矢を投擲する。銀の盾とぶつかった。矢は貫通せず、盾をへこませるにとどまった。ただ、一瞬だけ兵士たちの意識が逸れた。イリスはそれを見逃さず急接近、盾を思い切り蹴飛ばすと、後ろにいた兵士ごと吹き飛ぶ。あわてて剣を振り上げる隣の兵士。その空いた顎に拳を叩き込むと、握った剣を落としてしまう。それが地面に着く前に、イリスは足で柄を蹴って、曲芸のように回転させて、華麗に掴み、そのまま薙いだ。血しぶきがあがる。
そこからは一方的だった。獲物を手にしたイリスは、兵士たちの剣を、同じ剣で叩き折り、一人ずつ拳や剣の柄で殴り気絶させていった。再装填を終えたクロスボウ兵も、混戦の中、同士討ちを恐れて矢を放つことができない。
戦線の兵士十数人を気絶させてなお、涼しい顔で立っているイリス。その右手には奪ったばかりの銀の剣。左手には、いくらか凹んだ銀の盾。まだ兵士は何人か残っていたが、遠くから様子をうかがうばかりで、戦闘を継続する意志は見られない。
十分だと判断し、イリスは背を向けて、拠点から走り去った。
◆
ポータレストにいる全戦線の兵士たちに、ひとつの情報が行きわたった。
丘の上の拠点が、虹目の魔女イリスに襲撃されて壊滅。魔女は武器を奪って逃走。
戦線も愚かではない。
死者がまだ出ていないこと、また、イリスの動きが不可解であることを考え、兵士たちのほとんどはイリスを追わなかった。
それに、兵士たちは知っていた。規格外の対人戦闘能力を持つ魔女を仕留めるための策がすでに仕掛けられているということを。
それも、最上の策が。
とはいえ、街を巡回していた兵士たちのほとんどは丘の上の拠点の立て直しと負傷した兵士の手当てに駆り出され、街は手薄になっていた。
◆
「ん。お前、どこに行く」
変装したエルカは、丘の上の拠点に呼び出された兵士に声をかけられた。
「特別な任務だ。お前は自分の仕事に集中しろ」
ずっと考えていたセリフ。有無を言わせぬ断固とした口調。嘘は魔女の十八番だ。たとえ嘘を嫌う魔女であったとしても。
「あぁ。わかった。お前も頑張れよ」
気圧される兵士。エルカは返事もせずに街に入っていった。
◆
自分の家のあった場所に戻ると、そこはもうすでに更地になっていた。
魔女が住んでいた忌むべき土地。何人も入るべからず。そう書かれた看板が建てられている。エルカは引き返し、街の有力者の家に向かった。
「戦線の兵士か。何の用だ」
「違う。私」
エルカは兜を脱いでその顔を見せる。互いの表情は険しかった。
「入れ。話がある」
その男は、漁師仲間内のリーダー格であり、街の決め事で必ず存在感を発揮する立場であった。エルカは彼が少年であったころから知っており、早逝した彼の妻との結婚式にも出席していた。
「え、エレミア? どうしたのその顔」
不安そうに居間からひょこ、と顔を出した彼の娘、エレミアは、エルカの顔を見るなり自室に戻って行った。
「戦線の兵士に殴られたんだ。お前の名誉を守ろうとしてな。連中は俺たちを憎んでいる。魔女を長年助けてきた裏切り者だといってな」
昔のように、気安い雰囲気ではなかった。エルカは、もうすでにここが自分の居場所ではないことを察した。
「私は、この街に戻りたいと思っている」
「それは無理だ。あんたは確かに、数週間前まではこの街の一員だった。何も問題を起こさなかったし、街の者の多くも、何度もお前に助けられてきた。俺もそのうちのひとりだ。感謝はしてる。助けたいとも思ってる。だが無理なものは無理だ。怒り狂った魔女が密告者ごと街を滅ぼすのではないか、と言う者もいる。お前のことをよく知らない連中だが、彼らの恐れも理解できなくはない。俺だって、お前じゃなければ恐れていた」
「理解できる。ほとんどの魔女はろくでもない」
「あぁ。それに本当は、お前がここにいることは今すぐにでも連中に通報しなくてはならないんだ。そういう取り決めをした」
「わかった。すぐ通報しないでくれてありがとう。今は、出て行くことにする」
「今は、じゃない。二度と戻ってくるな。俺たちは、ただ普通に、平和に暮らしたいだけだ。お前はこの街に、すでに一度、普通じゃない状況をもたらした。この街は、二度と魔女を受け入れない。みんなで、すでにそう決めた。これは決して覆らない」
そう言って、ひどい顔になってしまった娘を見て、目を伏せた。
エルカは黙って席を立った。銀の兜をもう一度身につけようと思ったが、手が震えてしまったせいで落としてしまう。大きな音が家に響き、陰から覗いてたエレミアがびくっと肩を震わせた。
「エレミア……ごめん。私のせいで」
エルカはそう言って、深く頭を下げた。
「エルカ、私こそ。私こそ……弱くてごめん。助けて、あげられなくて」
そう言って、泣き出したエレミア。肩を抱いて寄り添う父親。
「早く出て行ってくれ、この子のことを思うなら」
「わかってる」
エルカは、落ちた兜を今度はちゃんと拾って被った。
「おい、何か必要なものはあるか? この家にあるものは何でも持って行け。お前には返しきれないほどの恩が……」
「いらない。何も」
「エルカ! これ……」
エレミアは、父親の手を振りほどいて、エルカの手を掴んだ。その手の中に、小さな欠片をひとつ残した。
「うん。ありがとう。あなたのこと、みんなのことは忘れないよ。何十年も、この街にいさせてくれたこと。ずっと忘れない。これ以上、迷惑はかけないよ。ごめんね。ありがとう」
エルカはそう言って、扉を優しく締めて。息を止めた。心を落ち着かせる。自分の固有心象が世界を侵そうとしているのを感じた。
水の楽園。あるいは牢獄。自分の世界に閉じこもりたい気分だった。
この不条理で、不愉快な現実を、自分にとって都合のいい形に塗り替えてやりたい。きっとそうすれば、どれだけ気持ちがいいだろうか。
このひどい悲しみと孤独を癒すには、それ以外の方法はないように思えた。
「エレミア」
もし、小さな友人からの贈り物がなければ。掌の中の小さなサファイアの耳飾りを見て、エルカは歯を食いしばった。
ここで現実浸蝕を起動すれば、自分はただの『邪悪な魔女』になり、自分の感情のために人々の生活を犠牲にしたあげく、戦線の連中にあっけなく殺されるだけ。
エルカは前を向いた。理性によって抑えきれなかった魔術の奔流が、液体となってどうしようもなく彼女の視界を塞いでいた。
それは少ししょっぱくて、ひどく苦い味のものだったが、誰を傷つけることもなく、誰の歩みを遮ることもなかった。
◆
「すぐに、ここに水の魔女エルカが来たことを通報する」
「お父さん! そんなのって……」
「違う。あの魔女は、私たちを脅し、この街のどこかに隠れると言った。戦線の連中には、この街の隅々まで捜索するよう進言する」
「あ……わかった。時間を稼ぐんだね」
「それくらいしか、俺たちにはしてやれないから」
その後、戦線の兵士たちはイリスを追う者たちと、街に潜伏したエルカを捜索する者たちに別れて展開した。
エルカは、通報があるより先に港街を出ていた。
再び丘の上から港町に戻っていく兵士たちとエルカは再びすれ違ったが、気づかれることはなかった。
エルカは、父娘が流した誤情報によって手薄になった包囲網を容易に抜け出すことができたが、ふと振り返って、兵士たちで溢れていく自分の街を見て、唇を噛んだ。
彼らがエルカのためにしたことを、エルカ自身が知ることはなかった。
◆
「あぁ。本当にいいタイミングだったようだな」
ひとりの魔女が、馬を降りた。身長ほどの刃渡りを持つ剣を軽々片手で持ちあげた。ゾルン・ペシミウス。戦線の兵たちが、無理にイリスを追わなかった理由が、ここにあった。
イリスは立ち止まり、兵士から奪った剣と盾を構えた。
「君、誰?」
「魔女殺しの魔女。ゾルン・ペシミウス」
「魔女? 戦線に魔女がいていいの?」
「我々には優先順位がある。私は最後だ。他のすべての魔女を殺したそののちに自らを殺す」
「何のために」
「人々の、永遠の安寧と幸福のために」
重層鎧を着こんでいるにも関わらず、まるで転移でもしたかのようにイリスの目前に現れた。風神のごとき速度。
イリスは盾を構えて待ち受けたものの、振り下ろされたツヴァイヘンダーは、その盾を両断した。鬼神のごとき膂力。
空間は真っ二つに割れた。
盾の後ろに隠された、イリスの肩から腰にかけての白い肌が、その服ごとひき裂かれた。
魔女殺しの魔女。
決して戦ってはならないとされる魔女のひとり。
事実上戦線の最高戦力にして、災厄の魔女さえ恐れる、最悪の魔女。
あるいは、最善の。
「ほう。よく躱したな、虹目の魔女。ガエザルを殺しただけはある」
イリスが顔をあげた時には、すでに次の一撃が振り下ろされんとしていた。




