7話
ペシミウスがガエザル戦死の報を受けたその日、イリスとエルカは干ばつに苦しむ村のリストの最後のひとつを片づけ終わったところだった。
アリディスとガエザルを倒し、いったんの危機を乗り越えたことをふたりはもっと早く祝いたかったのだが、訪れた村の危機的状況と、その村人たちが話す「となり村はもっとひどい」という話を無視できず、先に仕事を終わらせることを優先したのだった。
◆
「カンパーイ!」
「乾杯」
酒を飲む魔女は少ない。しかし、例外は必ずしもひとりではない。
「よく飲むね、こんなの」
ふたりとも一気にジョッキを空にした。反応は対照的だ。顔をしかめるエルカ。笑いながら新しい一杯をすぐに注文するイリス。
「私、お酒大好き―! エルカは嫌いなの?」
「嫌いだね。まずいし。気持ち悪くなる。まぁでも、あんた一人に飲ませるのもなんだから、一杯だけ飲んであげた」
「優しいなぁエルカは」
「そういう性分なだけ」
「エルカはさ、責任感が強くて、面倒見がよくて、すごく頭がよさそうに見えるのに、実は馬鹿だしおっちょこちょいだし、一度寝たら全然起きないし、遠くをじっと見つめて何考えてるのかなって思ったらたいてい何も考えていないし、そういうところすごい好き」
「それ貶してるよね?」
「褒めてるんだよぉ」
イリスはもう一杯飲みほした。エルカは空になったジョッキに魔術で水を足す。
「ともあれ、仕事も終わったことだしやっとポータレストに帰れる」
「えー。帰るのぉ? 私もっと旅したい!」
「私は早く帰りたい。心配してくれている人もいると思うから」
「んー。確かにね。それは確かに。でもさ、元のように生活はできないかもよ? 戦線にそこがエルカの住処だってバレてる可能性もあるし、街の人だってエルカが魔女で、しかも戦線の追手を退けた強い魔女だなんて知られたら、前みたいに静かには暮らせないかもよ?」
「なんでそんなこと言うわけ」
「んー。だってぇ。エルカが頑固なんだもん」
「頑固も何も、最初から言ってるじゃん。私はひとりの方が好きだし、厄介ごとには巻き込まれたくないって」
「でも、戻るのが危ないのは事実じゃん。状況は変わって、これだと戻らない方がむしろ安全っていうか、街の人たちにも危険が及ぶかもしれないよ?」
ムキになるイリス。エルカも引かない。
「たとえ街に戦線が来ても、ガエザルは死んだし、普通の戦線の兵士たち程度なら私一人でも追い返せる。町の人に迷惑をかけるのは嫌だけど、戦線の連中だって無関係な人を傷つけたりはしないでしょ。連中が嫌いなのは魔女だけなんだから」
「そうかなぁ。魔女がいなくても、人と人は傷つけあうものだよ?」
「なんなの、イリス。酔ってるからってちょっと変だよ。どんだけ私を街に帰したくないわけ?」
「そりゃそうだよ! だってエルカ、楽観的過ぎる! ガエザルが死んだのだって、どっちに転ぶかわかんないじゃん! もっとやばい敵が私たちを追ってくるかもしれないじゃん!」
「しつこいなぁ。もう黙れよ」
エルカの顔が赤くなってきている。酔いが回ってきたのだ。イリスはそれに気づかない。
「黙れって、ひどいよ! 私はエルカのためを思って言ってるのに!」
「違うでしょ。ただあんたは、ひとりぼっちになりたくないだけ」
両者の手が止まる。偶然か、それまで雑音に満ちていた酒場に一瞬だけ静寂が走った。
「それはそうだけど、でも、エルカだって今は私と一緒に旅を続けてた方がいいよ」
エルカは机を叩き、急に席を立った。
「あんたは! ただひとりになりたくないだけ! 私にしがみついてるだけ! あんたに必要なのは、『誰か』であって『私』じゃない!」
「ち、違う! わ、私は……」
イリスは慌てて言い返そうとするが、エルカはその言葉をさえぎって続けた。
「私には私の人生がある。あんたの寂しさを埋めるための道具じゃない」
次第に言葉は冷たくなっていく。エルカは、首を横に振って、もう一度席についた。
「私は、人間に殺意を向けられるのも、他の魔女に依存されるのも、好きじゃない。私は魔女であることを隠して、ひとり人間の中で生きていく。そう決めてこれまで生きてきたし、これからもそうだ」
イリスは、エルカが初めて本気で怒ったのを見て、驚いて、ぽろぽろと涙をこぼしている。
「ご、ごめんなさい」
「ずっとそう言って来たよね。私は元の暮らしに戻りたいって。でもあんたは話を聞かないし、自分の都合のいいように勝手に解釈して、自分の選んだことを人に押し付ける。あんたは善良だけど、そういうところは他の魔女と一緒」
唇を噛んで黙りこむイリス。その目は虹色に輝いて潤み、ぐるぐると回っている。エルカはふと、あの目は魔術に反応しているのではなくて、感情に反応しているのだと理解した。
同時に少し酔いがさめて、冷静になって、罪悪感が湧いて来た。
「ねぇイリス」
「うん」
「ちょっと言い過ぎた。ごめん。でも、今のが私の本音。それはわかってほしい」
「わかった」
「それに、イリスの言うように、街に戻るのが危険だっていうのはあってると思うし、私が楽観的過ぎるのもそうだと思う。だから、私が街に戻って、戦線が退いていったのがわかるまでは……一緒にいてほしい」
「え?」
「あんたが、嫌じゃなければだけど」
「嫌じゃない。嫌じゃないよ。でも」
結局それは、エルカが勝手に決めたことを、私に押し付けてるだけなんじゃないの?
しかしイリスは、そのでかかった言葉を飲み込んだ。
「でも、何?」
「ううん。なんでもない。ごめんね。エルカ。それじゃ、明日は早く起きて、すぐに出発しよう。きっと戻るのは、早い方がいいから」
◆
次の日の朝、エルカは寝坊した。いつもならイリスがいじったり馬鹿にしたりするところだったが、イリスは特に何も言わず、せかすこともなかった。ただ先に旅の準備をエルカの分まで終えて、静かにエルカが起きるのを待っていた。
帰り道は、静かだった。それまでのふたりみたいにくだらない軽口を言い合うこともなく、ただ必要に応じて言葉を交わすだけだった。
ふたりとも、自分の心の中で、これからのことを考えていた。何をするか。どう生きるか。
「あんたに必要なのは、『誰か』であって『私』じゃない」
イリスは、エルカから言われた言葉を反芻していた。それくらい、重要な一言だった。
エルカの方は、もしものことを考えていた。
もしも、街が完全に包囲されていたら。
もしも、街の人間が、自分を戦線の英雄を殺した恐ろしい魔女だと考えて、受け入れてくれなかったら。
その時は、果たして自分一人で生き残っていけるだろうか、と。
今の自分を受け入れてくれるような別の場所はあるだろうか、と。
凍えるような孤独を想像すると、アリディスが干ばつを引き起こした理由がわかるような気がしたのだった。
◆
「あぁ、やっと追いつけた」
後ろからかかる声。
いつの間にか連絡役となっていた元潜入調査員カイネだ。
「あ、お疲れ様です」
イリスがペコリと頭を下げてそう言った。
「うん? イリスさんって、そういうキャラでしたっけ」
「ちょっと反省したの。私、調子に乗り過ぎだったなって」
「え、な、なんか不気味で嫌ですね。まぁいいや。ええと、今ってどこに向かってます?」
エルカが答えた。
「港町ポータレスト。私の家がある街」
「はぁ。ですよね。引き返した方がいいですよ。戦線は筆頭断頭官の死を受けて、この付近の兵の配置を大幅に増やしました。当然、ポータレストにも数十人の兵士が数日前に入っていて、大規模な聞き込みをしたそうです」
「なら、そいつら全員倒せばいい」
そう言ったのは、イリスだった。
「私ならできる。もし無理でも、私が暴れてそのあと逃げ出せば、戦線はこっちを追うだろうし、エルカは街に戻れる。それでいいでしょ?」
「え? 何を言っているんですか?」
困惑するカイネ。いくら魔女とはいえ、そこまで強引な作戦を立てているとは想像していなかった。
「それで、私が逃げた後なんだけど、ソロリウムに私は入れるの?」
勝手に話を進めるイリス。ため息をつきつつ、カイネは、本来魔女はそういうものだったと思い出し、気を引き締める。
「いえ。お二人はソロリウムに入ることは姉妹団から禁止の通達が出ています。戦線との直接的な戦闘を避けるためです」
「だろうね。なら私はポータレストで何人か戦線の兵士を倒したあと、南に逃げる。エルカは何もしなくていい。逃げ切れさえすれば、魔術がなくてもどうとでもなると思うから」
「わかった」
「勝手に決めないでくださいよ。こちらにも予定というものが」
「そういえば、依頼は達成したけど報酬は? ちゃんと村は全部助けたよ」
「あ、はい。それはこちらになります」
「うん。約束通りだね。エルカ、半分ずつでいいよね?」
「全部あんたのでいいよ。私はいつでも稼げるけど、ひとりで逃げ続けるなら路銀は多い方がいいでしょ」
「うん。ありがとう。厚意に甘えるね」
イリスは受け取った貨幣の袋をそのまま懐にしまって、また歩き始めた。
カイネは説得を諦めてため息をついた。こういうモードになった魔女には、何を言っても意味はない。勝手にすべて自分で決めて、勝手にその通り動く。そういうものなのだ。
◆
「ここが北方第六拠点か。中央と比べたら本当に貧相だな」
ゾルン・ペシミウスがそう言った。副官レルが、顔をしかめてこう言った。
「ペシミウス様。デリカシーに欠けていますよ。ここで生まれ育った者もいるんです」
「あ、あぁそうだな。すまない。また私が何か間違ったことを言ったら教えてくれ」
「もちろんです。それよりも、兵士たちを鼓舞してあげてください。ガエザルを殺すほどの魔女が相手です。彼らも毅然としているように見えますが、内心では恐怖と戦っていますから」
「あぁ。そうだね。お前たち、よく聞け」
「は!」
「お前たちは、ただ私についてくるだけでいい。何もしなくていい。物資を運び、報告を行い、記録を残す。それだけでいい。魔女を殺すのは私、ゾルン・ペシミウスひとりで十分だ。お前たちはただ、ついてくるだけでいいのだ」
皆が想像して、期待していたのとは全く違う演説。しんと静まり返る中、副官レルが、ゆっくりと拍手をし始めた。他の兵士の何人かも、つられて拍手をしたが、気まずい雰囲気は変わらない。
「素晴らしい! この前よりもはるかによくなっていますよ! ペシミウス様!」
「そ、そうか?」
「えぇ! 少なくとも、今回は誰も怒っていません。悲しそうな顔もしていません。ただ困っているだけです。人間の兵士がいかに魔女と比べて無力かとか、上層部の決定がいかに不合理かとか、そういう話をしなかっただけで上出来です!」
「ふふ。そうか? 少し照れるな」
「指揮官として、大きな成長ですよ。私は感動しました。このまま行きましょう。伸びしろは無限大ですよ」
「そうか! それはよかった。ではこの調子で、進軍だ。目標は虹目の魔女エルカ。水の魔女イリスだ」
「ペシミウス様」
「なんだ?」
「逆です。虹目の魔女イリス、水の魔女エルカです」
「……どちらでもいいだろそんなの。どうせふたりとも殺すんだ。ほら、行くぞ。お前たちついてこい!」
「あの、方向も逆です」
◆
港町は完全に戦線に封鎖されており、出る者も入る者も厳しい検問を受けていた。
二人は、すぐに近づくのではなく、港町の外をぐるりと周り、近辺でもっとも高い丘の上に陣取る戦線の一時拠点に目をつけた。港町を一望する絶好の立地。あそこを崩さないことには、街の封鎖を解くことはできない。
「ねぇイリス」
「なに?」
「さすがに数が多いんじゃない? 日を置いたっていいと私は思う」
「いや、さっさとやろう。もしうまく釣れなかったら、また何度か襲撃すればいい。私を信じて」
「そこまで言うなら、わかった。あんたに任せる」
「ありがとう、エルカ。私、今度はちゃんとうまくやるから」




