6話
砂と水はよく似ている。
滞留も、凝集も、ある場所に固定するという意味では似ている。
でも、本質的には全く違う。
広がって留まる砂粒。一か所で固まる水滴。その意味も、美しさもまったく違う。
本来は混ざることのないふたつ。でも私なら。
生成本質――流砂。
生成本質――水。
転化本質――凝集。
99パーセントの砂と、1パーセントの水。もっとも砂が固くなる黄金比。
私、たくさん勉強したんだ。固有心象に頼らず、みんなに認めてもらいたくて。
でもうまくいかなかった。何も。
転化本質――滞留。砂の剣を展開。
「本当はわかってたんだよね。自分の魔術が嫌いな私にできること。それは、この身体を使って戦う事」
地面に突き刺さった大小さまざまな無数の砂の剣。そのうち一本を引き抜き、ガエザルに向けた。
「かかってこい! 筆頭断頭官!」
「それがお前の固有心象か。虹目の魔女」
「いいや、違うね。これは私の、努力の結晶だ!」
ガエザルが握っているのは鋼鉄の刀。銀で傷つけ、魔術を阻害するためではなく、一刀で魔女の首を落とすためのもの。
素早い斬撃。イリスは正面から自ら生み出した砂剣で打ち合う。
剣と刀が触れあった瞬間、砂が爆ぜた。そして瞬時に、一か所に固まる。イリスの魔術が、鋼鉄を砕く。
しかしガエザルは、砂が爆ぜた時点で、すでに刀を手放していた。
眩む視界。とっさに抜いた武器は、刃渡り50センチほどの両刃剣。これは銀製だった。
低い姿勢から飛び込むイリス。振り下ろされる剣。振り上げる、新たな砂の剣。打ち合う。火花が散る。二人の視線が混ざる。
人を惑わす、虹の瞳。憎しみを宿した、黒の瞳。
互いに一度距離を取る。二人を遮る。砂の煙。
一息つく間もなく煙から突如現れる銀の短剣。その投擲を、イリスは一本ずつ丁寧に、砂の手甲と脛当てでさばいていく。最後に飛んできた短剣をつま先にあてて上に弾いた。それを掴んで、その勢いのまま投げ返した。
ガエザル。居合の一刀。返された短剣を真っ二つに裂いた。その剣撃によって、一瞬だけ砂煙に穴が開いた。そこから、新たな砂剣を握って突進してくるイリスの姿が見えた。
居合刀を捨てるガエザル。拳を握る。
イリスが狙うのは、当然鎧に守られていない頭部。砂の刃がその無防備な口元を襲う。
ガエザルは避けなかった。目を伏せ、腰を下げた。
剣はガエザルの額を裂いた。しかし、突き刺さりはしなかった。ガエザルはその勢いのまま、開いた拳で、イリスの首を掴んだ。そのままねじ切ろうと力を入れる。
イリスはとっさに砂で守ったが、それでもなお締め付けられ、骨がきしむ。
首を掴んだのとは反対の手でとどめの武器を抜いたガエザル。銀の杭。絶体絶命。
「エクリプシスを起動するか。虹目の魔女」
イリスの脳裏に、かつて自分が引き起こした惨劇が見えた。もう、二度と見たくない景色。
生成本質――凝集。
ガエザルは掴んだ魔女の首に違和感を感じた。あの魔女の首は、こんなに細くなかった。だらんと垂れる魔女の身体を見る。その時には、首元に砂の剣が迫っていた。
ガエザルが掴んでいたのは、イリスの首ではなく、腕だった。砂を固めて偽装していたのだ。
伸びるように迫りくる砂の剣。だがガエザルは、迷わなかった。今必要なのは、防御ではなく、刺し違える覚悟。
銀の杭をそのまま魔女の腹に押し付けた。ガエザルの首に砂の剣が突き刺さっていく。それが血管を断ち、気道を塞ぐその直前、さらさらと崩れ落ちた。
銀が魔術を阻害したのだ。
砂埃が晴れていく。イリスの腹部に刺さった杭には、抜こうとすると返しが開く機構が仕組まれている。
イリスはそれでも力任せに引き抜いた。血が洪水のように流れていく。
うずくまり、必死になって凝集で傷を塞ぐイリス。痛みと出血で意識を保つのもやっとな状況。身体を動かすことなど少しもできない。
勝敗を決したのは、一瞬の迷いだった。相手の命を絶つことに対する。
「は、ははは。まただ。また失敗した。私、やっぱり弱いのかな」
敗者はそんなことを言って時間稼ぎを試みる。苦しまぎれの策だった。
「いや、お前は私が相対し、殺してきた26人の魔女の中で、もっとも手ごわい魔女だった」
「そりゃ、どうも。君も、私の知る中で一番強い人間だった」
「これで終わりだ。虹目の魔女。最後までお前の本質が見られなくて残念だ」
決着の一撃。ガエザルの部下が放り投げた銀の矛。ガエザルをそれを片腕で確かに掴み、ひざまずくイリスに振り下ろした。
容赦なく。確実に。
銀の矛は確かに肉と骨を断った。
「死に損ないが」
ただ、そこで真っ二つになって死んでいたのは、イリスではなく、一つ目一つ足の怪物だった。その怪物が、イリスを突き飛ばして守ったのだ。
アリディスの召喚本質、バツである。片腕を失ったばかりのアリディスが、ひどい汗をかきながら立っていた。
「ガエザルとやら、お前が本当に殺すべきなのは私なのではないか?」
残った腕を、それに張り付いた砂を、ベロっと舐めた。
ガエザルは地面に突き刺さった銀矛を簡単に引き抜き、横で倒れているイリスに即座に振り下ろした。イリスはすんでのところで転がって回避。何とか腹の傷を凝集で塞ぎ終えた。
「感謝はしないよ! アリディス!」
「モノマネが取り柄の雑魚は引っ込んでいろ。あいつは私が殺す。この太陽の魔女、アリディスが!」
イリスが生成したよりはるかに多い量の砂が瞬時に空間中に満たされる。エルカもイリスも、背後にいるガエザルの部下たちも、砂を吸い込んでしまって、せき込んでいる。
ガエザルだけは、完全に息を止め、目を塞ぎ矛を持ったまま脱力して立っていた。
「バツ。殺せ」
再召喚されたバツたちが一斉にガエザルにとびかかる。しかし同時に、その肉片が周囲に散らばった。濃い砂の霧の中、ガエザルは両腕をあげて、上半身をひねっている。しかし視線だけは、まっすぐアリディスに向けられていた。
エルカは、その矛の持ち方に見覚えがあった。
「アリディス! 避けろ!」
乾坤一擲。矛の軌道は誰の目にも留まらなかった。
代わりに、たったひとつの事実だけがそこに残されていた。
消滅したアリディスの頭部。
司令塔を失った肉体が、空しく立ち続けている。
立ち込めていた砂煙が一瞬にして地に落ちて、小さな砂の山を築いた。
ひとりの魔女の名が、魔女目録から消えた瞬間だった。
「次はお前だ。虹目の魔女」
「ううん。もう終わりだよ。ガエザル」
イリスはそう言って、目を閉じた。身体を小さく丸めて、衝撃に備えた。
その瞬間、相対する両者が戦っていた間、アリディスが上空に生成し続けていた大量の砂の塊がガエザルの頭に降り注いだ。
低い位置には小さな粒を。高い位置には大きな粒を。理不尽なほど縦に厚く積み上げられた砂の層が、地面に到達するその一瞬にひとつの致命的な面を作り出し、断頭官の頭蓋を粉砕した。そして、周囲にいた他の者たちすべてを砂の山の中に完全に埋めてしまった。
アリディスの置き土産が、この戦いを終わらせたのだ。
◆
生成本質――凝集。生成本質――凝集。
「ぷはぁ! エルカ! エルカ無事?」
返事がない。足元の砂を固めてそれを蹴り出しながらなんとか脱出したイリス。エルカからの返事はない。
エルカがいたはずの場所を必死になって掘り返す。
「エルカ! 生きてる?」
「う、うぅ」
「うわ、こいつやっぱり馬鹿だ! 水で流そうとしてかえって砂が固くなって動けなくなってる!」
「う、うるさい! それよりあんた、お腹の傷は大丈夫なの?」
「……痛い。泣きそう。でも、ぎりぎり内臓には届いてないみたい」
「それならよかった」
ふたりは何とか砂の山から脱出し、逃げていくひとりの兵士の背を見送った。
「にしても、恐ろしい相手だったね。エルカ」
「どっちの話?」
「両方」
「はは。そうだね。もう疲れたよ。今は休みたい」
「うん。早くここを離れよう」
◆
酒を飲む魔女は珍しい。ほとんどの魔女は、酒を飲むくらいなら自らのアイデンティカに浸るからだ。その方がよっぽど気持ちがよいし、二日酔いに苦しむこともない。
魔女の生存をひとりたりとも許さない魔女絶滅戦線の事実上の最高戦力は、皮肉なことに、魔女である。
ゾルン・ペシミウス。魔女を殺す魔女。その長い生を、魔術に頼らない戦闘の技術にささげてきた。
彼女は魔女と魔術を憎んでいた。当然、自らの魔術も禁じており、それゆえ、酒を飲む。
「急報です。ガエザル筆頭断頭官が戦死しました」
部下が慌てて酒場に入ってきて、そう叫んだ。
「あぁ。知っている。今日の昼頃早馬から聞いた。三日前のことだそうだな」
「惜しい人を失いました。北方第六拠点ではすぐに葬儀が執り行われたそうですよ」
一緒に酒を飲んでいた副官がそう言い添えた。ペシミウスは、飲み干して空になったジョッキを音もなくテーブルに置いた。
「やつには妻と、幼い子供がふたりいたはずだよな? 私からも哀悼状を書かねばならん。文は苦手だ。嫌になる」
「手伝いますよ」
「あぁ。ありがとう。だがそれより、筆頭断頭官を殺したのはどの魔女だ。アレを殺せそうな魔女というと……天秤の魔女か、強欲の魔女か。それとも灰の魔女か」
息を整えた部下が答える。
「いえ。3人の魔女と同時に戦い、敗れました。太陽の魔女アリディス。水の魔女エルカ。そして、虹目の魔女イリスの三名です」
「虹目の魔女? 聞いたことがないな」
「北部の第六拠点に侵入した魔女です。本質は不明です。ただ、その場にいた別の魔女の魔術を組み合わせて使っていたことから、模倣ではないかと言われています」
「模倣か。奇遇だな。我々が現在追っている災厄の魔女と同じだ。いや、待てよ。それはおかしい。もし模倣の魔女であれば、ガエザルは『虹目の魔女』と目録に書かせないはず。『模倣の魔女』でいいのだから」
「気づかなかったのでは?」
「いや、あの男の直感は本物だった。それがヤツを英雄にしたのだからな。そうだ。その名には、何か理由があるはずだ」
「理由、ですか。検討もつきません」
「虹目の魔女イリス。不気味だな。何か隠しているのは間違いない。ともあれ」
「はい」
「すべての魔女は殺さなければならない」
「もちろんです」
「虹目の魔女イリス、水の魔女エルカの情報をすべての拠点に共有し、討伐優先順位を両名とも二段階引き上げる。北方第六拠点は増員。また、この二名の討伐のための特別部隊を編成する」
「わかりました。特別部隊の隊長には誰が適任でしょうか。筆頭断頭官以上の人物となるとかなり限られると思いますが……」
「私だ。私がやる」
「わかりました。しかし、災厄の魔女であり、模倣の本質を持つ、百相の魔女を追えという未達成の任務はいかがしましょう」
「後回しにする。この一年、百相の情報収集の片手間に、31の魔女を殺した。この結果だけでも司令部は十分満足するだろう」
「ペシミウス様。34です。あなたが今年殺した魔女の人数は」
「はぁ。数を数えるのは苦手なんだ。ともかく、上には、ガエザルを殺した魔女を殺しに行くと伝えておいてくれ。長くはかからないはずだ」
「はい。承知しました」
席を立つ副官。
仕事をしに酒場を出てゆく部下であり友人でもある者の背を眺めながら、ペシミウスは想像した。
魔女が絶滅する日のことを。
最後の魔女である自分が、迷いなく、何の悔いもなく、誇りと人類への愛と共に、自らを殺す。
その瞬間、世界は完璧になる。だから。
「すべての魔女は、殺さなければならない」




