3話
「死ぬ。私たち」
深刻な表情のイリス。一方呑気に欠伸をしているエルカ。
「そんなに焦ることもないでしょ。消せばいい。あれくらいの火」
生成本質――水。
「ちょちょちょちょ待ってエルカ! それダメ! 絶対ダメ! マジで死ぬ! やめて!」
「え?」
「炎の勢い! 絶対油とかかかってる!」
「どういうこと?」
「水が蒸発! クソ熱い蒸気が風下のこっちに流れ込む! 私たち蒸し焼き!」
「あー。なるほど。確かに」
「馬鹿すぎるこの魔女」
「じゃあどうすればいい? 賢い異世界の魔女さん。早く教えてよ」
エルカは、顔を真っ赤にして怒鳴るイリスの頭にじょぼじょぼと水をかけながらそう言った。
◆
「無茶かもしれないけど、これで行くしかない。他に助かる道はない」
「わかった」
ふたりは全身に水の膜を何重にもまとった。その後、せーので息を止めて、火に飛び込んでいった。
瞬時に蒸発する水の膜。ふたりは構わず体を前へ前へと押し進める。燃え滾る火の中を行く。迷いなく、まっすぐと。それはまるで、これからのふたりの旅路を暗示しているかのようだった。
視界が開けた。やっと息ができる。ふたりは大きく息を吸い込んで、笑い合った。目が合ったとき、エルカはこうつぶやいた。
「虹色……」
「ん、あぁこの目ね。興奮するとこうなるの、っていうかあっつ! やばい! 服に燃え移ってる!」
「あ、えっと。水かければいい?」
「早くかけて! あっつ!」
なんとか火を消し止めることはできた。煤で濁った水がふたりの足元に溜まっている。
「うぅ。服が燃えてちょっとエッチな感じになっちゃったんだけど! 君たち、どうしてくれんの?」
木や岩の影から次々と姿を見せる山賊たち。それぞれ別の武器類を持っていたが、どれも十分には整備されていないようで、錆びていたり、獣の血が固まって黒くなっていたりしている。
「やはり魔女か。ついてるぜ俺たち。戦線に突き出せば金になる」
「殺しちまうのか? へへっ。捕まえて色々しちまおうぜ。どっちも若くて綺麗だ」
「見た目に騙されんな。こいつら魔女は腹をすかした虎よりも獰猛で、象をひと噛みで殺す蛇よりもヤバい毒を持つような連中だ。死にたくないならこいつらを『女』として見るな」
「へいへい。じゃあ殺して売って、その金で、ちゃんとした人間の女を買って、酒を飲もう!」
「そうだ。それでいい」
上機嫌に鼻をならすイリス。無邪気な少女のように、にんまりと笑った。
「いいねぇ。こういうやつらをぶっ飛ばしてみたかったんだよね! 元いた世界じゃ絶滅しちまった種族!」
「何言ってんだあいつ」
「相手にするな。魔女に話は通じない」
「エルカ。私に任せてもらっていい? こいつらぶっ飛ばす」
「お好きにどうぞ」
「よし。じゃあ何人でもかかってこい!」
当然、魔女に無策で殴りかかるような馬鹿はいない。
山賊たちは、毒を塗った矢を放った。ただ速度は、戦線のクロスボウよりも遅く、狙いも雑だった。イリスは軽やかに躱しながら、山賊のひとりの懐に飛び込む。振り回された斧は空を切った。突き出されたたナイフは叩き落とされた。
「くそっ……こいつっ!」
イリスは、利き手の中指の関節を突き出して握りこみ、それを山賊の額にめり込ませた。男は叫びながら転がった。
「何してる! 早くあいつをやれ!」
各々の武器を握って襲い掛かる山賊たち。
喉。脇腹。みぞおち。そして股間。ひとりにひとつずつ、急所を突いていくイリス。そのたびに山賊たちの野太い悲鳴が山に響いた。
「な、なんだこいつ。魔女なのに動きが速っ」
「そういう魔術か? くそっお前ら逃げ」
イリスは山賊のひとりの腕をひねって地面に押さえつけながら、不敵に笑った。
「君らごとき、魔術なんていらないよお」
後ずさるリーダー格の男の顔面めがけて拳を振り上げる。しかし山賊のかしらは、冷静に拳の軌道を見極める。イリスの大ぶりなストレートは空を切った。
カウンターのフックが魔女の無防備な顎を狙う。しかし、イリスは反対の手で簡単にその拳を掴んで止めた見せた。
「ほう。私のパンチを躱すとは、なかなかやるねぇ。じゃあ君には、特別に魔術を見せてあげよう!」
「くそっ! 離せ! え……み、水?」
イリスの拳に水が集まる。ガエザルを吹き飛ばし、その分厚い鎧を陥没させた一撃だ。
「きっと痛いよお」
「や、やめろ! やめてくれ!」
「本気でやったら頭が水風船みたいに弾けるんじゃないかなぁ。試してみよう。3、2……」
「イリス」
エルカがいさめるようにその名を呼んだ。しかし、イリスは無視。
「1、0。パァン!」
男の顔面に衝撃が走る。
激しい炸裂音。飛び散る水滴。
しぶきが周りの男たちにまで届き、脳裏に浮かんだ光景のおぞましさに身震いした。
男の顔面は無事だった。水でびしょびしょに濡れただけ。
イリスが爆ぜさせたのは男の頭ではなく魔術で生成した水の方だった。
「こ、降参だ。み、見逃してくれ」
怯え切った表情で両手をあげる山賊のかしら。
「どうしようかな。これからも君たちが、か弱い魔女や、無力な人間たちを襲って生きていくなら、世の中のためにも、ここで殺すか、二度と戦えないように腕か足を折っておいた方がいい気がするんだよなぁ」
「イリス。人間たちのことは人間たちに任せよう」
エルカはそういってイリスの肩に触れた。
「まぁエルカがそういうなら。よかったね。私たちが人間に甘い魔女で。あ、そうだ。ついでだし、私たちを案内してよ。姉妹団の本拠地がある街、ソロリウムまでさ」
「あ、あぁ。わかった。早く放してくれ」
「イリス。私は暴力で人を従わせたくない。どうしてもそうするなら、ここで別れる」
「え! えー……だってこいつらが先に攻撃してきたんじゃん! 別によくない? 命を奪うわけでも、お金を巻き上げるわけでもないし、殺されそうになったことの対価としては少ないくらいだよ!」
「関係ない。私はこいつらとは違うし。対価がどうとかも知らない。この件が解決したなら、それでしまい。私はもう行くから、そいつらに案内してもらうか、私についてくるかすぐに選びな」
「いやいやいやいや! わかった! わかったよ。もうほんとに頑固すぎるよエルカ。絶対曲げないじゃん自分の意見」
「魔女なんだから当たり前でしょ」
「も、もう行っていいか?」
「あ、うん。いいよ。でも君らも、まっとうに生きられるならそうした方がいい」
「簡単に言いやがって。俺たちゃお前ら魔女とは違うんだ」
捨て台詞をはきながら逃げ出した山賊たち。その背中を見送りながら、イリスはため息をついた。
「これって善行ですらないけど? あいつらまた誰か襲うよ」
「だとしても、それも人の選択でしょ。私とは関係ない」
「エルカ。この件はこれ以上議論しないし、今回は君に従うよ。でもね、生きてる限り、何事も関係ないっていうことはない。私はそう思うけどね」
◆
姉妹団が実質的に統治を行っている辺境都市ソロリウム。なんとかそこまで辿り着いたふたりは、ほっと息をついた。
戦線の追手もここには容易に入ってこれない。戦線と姉妹団は敵対関係にあるが、互いに直接的な武力衝突を避けるため一定の距離を保っているのである。
エルカは、姉妹団本部の入り口に立って、こうつぶやいた。
「はじめて来たけど、思ってたよりも立派だな」
実際、姉妹団の本部の門は巨大だった。門の周りは壁で囲まれてはいたが、子供でも簡単に乗り越えられそうな高さしかなく、防犯性能はほぼなかった。等間隔に赤い旗が並んでいて、それぞれに、姉妹団のエンブレムが描かれていた。
左側に、鍬を持った人間。右側に、とんがり帽子をかぶった魔女。手には食べかけのリンゴ。両者が互いに向かい合って握手をしている紋様だ。
「あ、無事だったんですね」
別ルートで脱出した諜報員カイネが二人に声をかけ、中に招いた。彼女に言われるがまま、ふたりは簡易的な報告を終えた。
そのあと、久しぶりのまともな食事に舌鼓を打ったあと、個別に与えられた客人用の寝室でぐっすり眠った。
翌日。
「ふぁあ。おはようエルカぁ」
「うんおはようイリス。私たち呼ばれてるみたいだよ」
「お、早速だね。それじゃ行こうか」
応接室に通され、ソファに座る二人。机を挟んだ反対側には、ふたりの職員。その背後には二人の武装した警備員。扉のそばにもひとり警備員が立っている。
職員たちはふたりに質問した後、姉妹団の規則だの理念だの小難しい話をし始めた。
「ふあああ。いつ終わるんこの話ぃ~」
「私寝るから聞いといてイリス」
「いや私だって、もうすでに何の話をしてるかわからないんだけど」
欠伸したり鼻をほじったり雑談したりとひどい態度で時間を過ごすふたりの魔女。
職員たちは、構わずマニュアル通り話を続けた。
「ですから、我らが姉妹団はすべての人類とすべての魔女が、その可能性を最大限発揮できる社会を目指しているのです」
「うんうん。わかったよ。なんとなく」
「この理念に同意していただけますか?」
「同意する!」
「エルカさんは?」
「私? 私はなんでもいいかな。よくわかんなかったし」
「ありがとうございます」
最後に職員は、広げた書類を集めてとんとんと揃えたあと、こう言った。
「それでは、虹目の魔女イリス、水の魔女エルカ両名の、我らが姉妹団(Sumus Omnes Sororitas)への入団を許可します」
「え、ヤッター!」
「私入るなんて一言も言ってないんだけど」
「そして」
「ん?」
「両名に永続的な追放処分を言い渡します」
「えええー!」




