10話
振り上げられた大剣。容赦のない真っ黒な眼差し。
魔女殺しの魔女の、最後の一撃が二人の魔女の命を奪おうとしたその時だった。
絶体絶命のふたりの視界に映ったのは、赤だった。赤い布。それは、棒にくくりつけられていた。旗だ。大きな旗。それが、ふたりの目の前ではためいていた。
「吾輩は、我らが姉妹団の長姉っ! ロード・ルヴェルティカである! 友の窮地に華麗に参上! である!」
「だ、誰?」
「え?」
「貴殿らは下がっていろ」
倍ほどもありそうな身長のゾルン・ペシミウスに相対する。
「おお。誰かと思えば、ペシミウスじゃないか。久方ぶりであるな。どうしておったか。今も魔女を殺して回っているのか?」
「ロード・ルヴェルティカ。はぁ。どいてくれないか。貴様は殺せない。貴様の討伐優先順位は私と同じ最下位。すなわち、特に理由がなければ殺さず見逃されなければならない」
「なら退け。ペシミウスよ。吾輩はこの二人の友と約束した。必ず助けになると」
「ルヴェルティカ。落ち着いて考えろ。たとえ貴様がこの場で私を退かせたとしても、私は任務をやり遂げるまでそこの魔女どもを追い続ける。今貴様がこの魔女どもを守れたとしても、最後には必ず死ぬのだ。貴様にだって他にやるべきことはあるだろう。こうしているのは時間の無駄だ。互いにな」
「ぬわぁ! 説明が長い! 何を言ってるのかわからん! おぬしがこの二人を諦めればそれで済む話だろうが! なぜ吾輩やおぬし自身が許されて、この二人が許されんのだ! 筋が通らん!」
「それは、中央司令部が魔女目録を通じてそう定めたからだ。規則は守らねばならない」
「知らぬわそんな規則! そんなくだらん規則、吾輩が打ち倒してやる!」
「自分の口から出た言葉すら理解できない狂人が」
「狂人はお前だろうが!」
「あの、ペシミウス様」
フォローに入ろうとしたペシミウスの部下。しかし。
「姉妹でもない人間は黙っておれ!」
ルヴェルティカが一喝。人間に対する見下したような態度に激昂したペシミウスはさらに言葉を激しくする。
「黙るべきは貴様だルヴェルティカ!」
「黙れ黙れ黙れ黙れ!」
狂人ふたりの言葉にあっけにとられるふたりの魔女。
「えっと……この隙に逃げよっか、エルカ」
「いやでも、これは私たちの戦いであって、関係ないこの人を巻き込むのは嫌だな」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「貴殿らもうるさいぞ!」
ルヴェルティカがそう叫んだ。その目は燃えるように赤く輝いている。ほとんど正気じゃない。
「あ、はい」
イリスは反射的にしゅんと小さく縮こまった。エルカは対照的に、ならせめて、と言った。
「ルヴェルティカ、だっけ? 私たちも加勢する。何ができるかわかんないけど」
「黙れ黙れ黙れ黙れ! 貴殿らは下がっていろと言ったであろう! 魔女同士の戦いは一対一と決まっておろう! この無礼者が!」
「え?」
「そんなの聞いたことない」
「黙れ!」
「はい」
「ゾルン・ペシミウスよ。吾輩はもう我慢ならん。すべての魔女がその固有心象を自由に表現できる世界を作ること。これが我らが姉妹団の掲げる理想である。当然、この吾輩の理想に、おぬしの魔女殺しという狂暴な固有心象も含まれてはおるが、それでもやりすぎである! ここらでひとつ、懲らしめてやる!」
「貴様に私の本質が理解できるものか。知った気になるな、狂人風情が!」
生成本質――旗。
無数の旗が、ペシミウスを囲うように出現した。それらにはすべて、姉妹団の紋章が刻まれている。地面にも、上空にも、旗、旗、旗。ひらめきはためく無数かつ単一の象徴。
「吾輩は、ロード・ルヴェルティカである! 我らが姉妹団の長姉っ!」
転化本質――結束。
ルヴェルティカの小さな手の中にある旗竿は何本も束ねられ、その先端の重なった布は、巻かれ、捩じられ、槍のような形状となってゆく。
「おぬしも私の妹になれ! ペシミウス!」
旗と旗の隙間から現れる小さな体と偉大な魂。
突き出された旗槍。
ペシミウスはいとも簡単にその魔術の武器を切り落として見せた。
「気色悪いことを言うな」
「ははは。はじめは皆そう言うのである! だが私の旗に抱かれてまだ、同じことが言えるだろうか!」
結束された槍の先が解ける。舞い散る無数の旗身。
転化本質――結束。対象変更、ペシミウス。
竿から離れた旗身がペシミウスの肉体に巻き付き、締め上げていく。
「相変わらず神経に障るな。貴様の魔術は」
魔術の拘束をものともせず、即座に布を引きちぎって自由を取り戻すペシミウス。
「ははは! 楽しいなペシミウスよ! 吾輩は戦うのが好きだ! 戦いを通じて互いを理解する。これぞ魔女である!」
戦いは、意外にも拮抗していた。いや、殺さないよう加減していた分、ペシミウスが若干不利ですらあった。
「ペシミウスよ。お前の悲しみが伝わってきたぞ。もう少しである。もう少しで、お前を理解し、妹にしてやれる」
「不愉快だ。上が許すなら、今すぐここでお前の首を断ってやるところだが……ここは、退いてやる。加減を誤って殺してしまってはいけないからな」
「哀れな負け惜しみであるな!」
「黙れ!」
そう叫んで、ゾルン・ペシミウスは去って行った。呆然と立ち尽くすエルカとイリス。
「はははは! また吾輩の勝利である!」
「あ、あの……ありがとう」
「礼はいいのである。当然のことをしたまでであるからな! それより、貴殿らふたりともひどい傷であるが、大丈夫か? すぐにソロリウムに戻って治療を受けさせねば」
「いけませんよ。ルヴェルティカ様。本部から、彼女らに対する、ソロリウムへの立ち入り禁止の命令が出ております」
そう言ったのは、ずっと隠れて見ていた姉妹団情報部所属、連絡係のカイネだった。
「そんなの知らぬわ!」
「もし破るようであれば、ルヴェルティカ様もソロリウムへの立ち入りが禁じられてしまいますよ」
「そんなの無理やり入ればよかろう。吾輩は誰の命令も聞かぬ!」
「じゃあ、他のすべての団員に、ルヴェルティカ様を無視するよう命令します」
「え、そ、それは……」
「いいんですか? じゃあこれからみんなで無視しますね」
「ちょ、ちょちょちょちょ、待ってくれたまえ! それはひどいではないか! え、も、もう無視は始まってるのであるか? わ、わかったのである! わかったのであるから、口をきいてくれたまえ……」
「であれば、このふたりをソロリウムに無理やり入れるなどと言わないでください。姉妹団と戦線は、ずっと適切な距離を保って衝突しないようにやってきたんです。今の殿下とペシミウスのちょっとしたじゃれ合いでさえ、大きな外交上の問題になるんですよ」
「うっ。わ、わかった。なら、このふたりをソロリウム以外の別の安全な場所に運べばいいのであるな?」
「え? まぁ、そうではありますが」
「なら任せろ! ひとっ飛びである!」
「ま、待ってください! ルヴェルティカ様はこのあと大事な会議が……あ、行っちゃった」
残された苦労人カイネはひとり呆然と立ち尽くすほかなかった。
◆
ロード・ルヴェルティカの生成本質は旗、転化本質は結束、召喚本質は鳥である。大きく広げた旗を無数の鳥に結び、彼らの飛ぶ力によって旗は空を舞う。3人の魔女を乗せて。
「うわー! すごく気持ちいい!」
「そうであろう!」
「ルヴェルティカ様、マジで偉大!」
「よくわかってるじゃないか、肛門の魔女、イリスよ!」
「肛門のじゃなくて、虹目、です! 人を変態みたいに言わないでください!」
「あぁそうだったな、虹目の魔女! 虹目ってなんであるか?」
「虹の、目!」
「ねぇこのやり取り何回目?」
呆れるエルカ。幸運にも、彼女の足の傷は深くなかった。神経が一部損傷していたが、後遺症は残らなそうだった。
「それで、どこに向かってるの? ルヴェルティカ様」
「吾輩が市長を務め、吾輩の名を冠する偉大なる都市、ルヴェールである! 吾輩はそこで、姉妹団に入れてもらえなかったかわいそうな魔女たちをかくまっているのである!」
「えー! めっちゃよさそう! エルカ、楽しみだね!」
「え? いやその都市って……」
◆
辺境都市ルヴェールの中央区は荒れ果てていた。広場の真ん中にぽつんと立ったルヴェルティカの銅像。枯れた噴水。窓ガラスが全部割れた4階建ての立派な市庁舎。
かつての栄華の名残がかえってこの荒廃を際立たせていた。
こうなってしまったのには理由がある。
仕事をしないどころかいつも不在の市長。自由に暴れまわる魔女たち。逃げ出したほとんどの人間たち。人間がいなければ制度は保てない。魔女たちだって、秩序なき土地には寄り付かない。
この都市国家が実質的に国家としての体を保てなくなったのは、今から150年前。それ以降、この都市は奔放な魔女と、ならず者たちの楽園であり続けたのだ。
遠くの方からは爆発音。それを聞いて、ルヴェルティカは嬉しそうに叫んだ。
「ははは! 今日もみんな元気そうだな!」
誰も返事をしない。というかこの場所には3人の他に誰もいない。
この光景を見て、誰がここを偉大な都市だと思うだろうか。
「ふたりとも、達者でな!」
颯爽と去っていくルヴェルティカ。人っ子ひとりいない廃墟の中、取り残されたふたりの魔女。
「ま、まぁ。なんとかなるでしょ!」
イリスのから元気に、肩をすくめたエルカ。それでも表情は、明るかった。
◆
人の声が遠くから聞こえてくる。ルヴェール市では、港のある南東区と北東区、そしてその間に位置する中央区の東側は、かろうじて秩序が保たれていた。ふたりはそちらに向かいながら、他愛のない会話を続けていた。
「あ、エルカ、その耳飾りどうしたの!」
髪の隙間からのぞく青く輝く小さな宝石。エルカを自分の耳を触りながら答えた。
「餞別にくれたんだ」
「あ、港町の人?」
「うん」
「えー! じゃあ追い出されたわけじゃないんだ」
「いや、追い出されはしたけどね」
「あ、うん。なんかごめん」
「仕方ないことだった。でもみんなが敵になってしまったわけじゃない。これがその証拠でもある」
そう言って、エルカは人間の友人を思い出し、優しく笑った。
「でも、髪で隠れてもったいないね。綺麗なのに。ちょっとこっちの髪だけかきあげてみてよ」
「こう?」
「うわぁ! 綺麗! 似合ってる!」
「そう? ありがとう。でも髪質が合わないんだよね。手を離すと耳が隠れる」
「結ぶのは?」
「ほどけちゃう。直毛だから」
「じゃあ髪留めだね」
「髪留めも昔試したけどダメだったな。ちゃんと留まらない」
「ねじる系だったら多分いけるよ。港の方は人が多そうだし、アクセサリーの店もきっとある。私が選んであげる!」
「じゃあ、お願いしようかな」
◆
「キャー! かわいい!」
アクセサリーを売っている露店の前。
こぶし大ほどの大きさの緑色の蝶を模した髪留めをエルカにつけて叫ぶイリス。街の人々はその声の大きさにびっくりして振り返った。
「うるさ」
「これにしようよエルカ!」
「目立つ。それに、でかいのはなんか子供っぽい」
睨みつける店主。エルカは気づかない。
「私童顔だから、舐められないようにもっと大人っぽいのがいい。たとえば、こういうのとかさ」
そう言って小さい髪留めを選んでつけてみようとするが、するするっと髪を抜けて地面にカランと落ちてしまう。
「あっ」
「お客さん。商品ですから、大切に扱ってください」
「あ、うん。ごめん」
「舐められたくないとか逆に子供っぽいよエルカ」
「なんだって?」
「なんでもない。あ、じゃあこういうのは?」
「あー。それならいいかもね」
控えめな黒色の光沢が輝く、横に長い髪留めを手に取ってつけてみる。金具の質がいいのか、重いうえに大きくはなかったが、しっかり留まった。
「どう? イリス」
「え、似合ってる! 急におしゃれな大人のお姉さんになった! さっきまでふさぎ込んだ思春期のガキって感じだったのに!」
「怒っていい?」
「お客さん」
「あ、はい。なんですか?」
「70銀貨です」
「はい? え? 何が?」
「それの値段」
「え? そんなわけなくない? こっちのちょうちょが10銀貨でしょ? これ7個分ってことある?」
イリスがケチをつける。店主は首を横に振った。
「黒曜石ですから。元々は南の帝国の貴族が使ってたもので、70銀貨でも安い。よく見てください。ここに彫刻が彫ってあるでしょう?」
「うえ、本当だ。エルカ、別のにしよう」
「いや、これにする。私はこれが気に入った」
「ねぇエルカ。姉妹団からの依頼で、12の村を干ばつから救うの大変だったよね? あれ全部終わらせて、ふたりで100銀貨。で、ここまで来るのにもう20銀貨使ったよね? 足痛いからちょっと高い宿に泊まって休みたいとか言ってさ」
「だから? 関係ないでしょ。ほら、イリス。70銀貨出して。財布はあんたに預けてるんだから」
「お客さん、魔女なんですか?」
「あ……えっと」
躊躇するイリス。ルヴェールはあぁ言ったが、人間が魔女に反感を持っていないということは珍しいから。
「私たちは魔女だよ、店主さん」
エルカは堂々とそう言い放った。
「何? 魔女には売れないって?」
「いえ、魔女なら50銀貨でいいですよ。代わりに、何かあったら助けてください」
「え! ラッキー! ありがとう店主さん。はいこれ50銀貨ぴったり。ちゃんと数えてね!」
急に元気になるイリス。確かに魔女が好きな人間はいる。変人が好きな人間がいるように。
「はい、確かに。あとこちらにお名前を」
「なんで?」
「店に箔がつくのと、いざというときの後ろ盾にもなるので」
◆
ふたりは上機嫌で店を後にした。
「ええ! いいなぁエルカ! 似合ってる! かっこいい!」
「ふふん」
「そのイヤリングもめっちゃ映えてる!」
左耳につけたサファイアのイヤリング。アシンメトリーな髪形も合わせて、かなり大人びた印象になった。エルカは水を生成して簡易的な鏡を作り、自分の外見を何度も確認しては上機嫌に鼻を鳴らしていた。
「ふふん」
「っていうか、この都市はやっぱり魔女に友好的なんだね。ルヴェルティカ様の言ってたことも半分くらいは間違ってなかったんだ」
「その様っていうのやめなよ」
「え、なんで?」
「なんかうざい」
「えー。だってあの人、様って感じじゃん、吾輩はなんとかである! なんとかなのである! とか言って」
「ふふ」
「あの人ちょっとおかしいよね!」
「ちょっと、ではないかな。ふふ」
「結局百回言っても私の名前覚えてくれなかったし! 見た目はあんなだけど、おばあちゃん過ぎて頭がぼけてんじゃないの!」
「ぶふっ。耳もちょっと遠かったしな」
「がはははは!」
「おい、そこのふたり。今我らが愛すべき市長、ルヴェルティカ様を馬鹿にしたか?」
「え?」
その鋭い一声に、振り返る二人。右手に槍。左手にクッキー。サクっと一口。指についた欠片を舌でぺろりと舐めた後、服でごしごしと拭いた。口元には食べかすが残っている。
このだらしなさ。魔女だ。どう見ても。
「私はルヴェール市長親衛隊、第十六分隊、隊長! いや、第十五分隊だったかな? もうどっちでもいい! 槍のアマルセルだ! お前たちは不敬罪! 捕まえて謝らせる!」
「ええ! なんかこの人やばそう! エルカ! 逃げるよ! 走って!」
「走れない。足痛い」
「あ、そうだった! じゃあおんぶ!」
「くるしゅうない」
「待てー!」




