7 おっさん、尊さに死ぬ
五十嵐とのカラオケデートから数日間、俺の心は五十嵐に縛られっぱなしだった。毎日毎日、寝ても覚めても五十嵐のことばかり考えている。かといってあの日以来とくに進展はなく、むしろ変に意識してしまい、前よりもよそよそしくなっている始末だ。
嗚呼、毎日が苦しい。
そんなある日、俺と菅沼に風紀委員の広報誌づくりの仕事がまわってきた。俺たちふたりは風紀委員会室にひきこもり、風紀委員各自からわたされた記事を一枚のプリントのなかにおさめるべく、ああでもないこうでもないと格闘していた。
「文章をけずらないと入り切らないな。どの記事のどこを省略すればいいと思う?」
と俺が訊いても、
「う~ん、そうだね……」
と、菅沼はそっけない返事ばかりでまともに対応してくれない。
——なんかトゲトゲしてるな。
今日の菅沼は目も合わせてくれない。理由はわからないが、菅沼は俺に怒っているようだ。
——俺がなんか機嫌を損ねるようなことをしちまったのかな?
と、あれこれ考えてみたが思い当たる節がない。作業は進まず、気まずい空気だけがながれる——
そんななか菅沼が唐突に、
「伊福部くんって、五十嵐さんと仲いいんだね。もしかして付き合ってる?」
と訊いてきた。不意を突かれた俺は飲みかけのコーヒー牛乳を吹き出した。
「ゴホッゴホッゴホッ、な、なんだよ、それ」
菅沼はギロリと俺を睨みつけると、
「この前、ふたりがカラオケ店から出てくるところを見ちゃったんだけど」
とドスの効いた低い声で言った。
——こ、怖えェ。
「そ、そうなんだ。べつに、たまたまだよ」
「たまたまって、どういうこと?」
菅沼の思わぬ迫力に俺の金玉は完全に縮み上がった。
「か、帰りにたまたま一緒になって、たまたま『カラオケ行こうか』って話になったんだよ」
「ふぅん。じゃあ、付き合ってるとかじゃないんだね」
「ああ、当たり前だろ。なに言ってんだか、ハハハ」
俺の乾いた笑い声が風紀委員会室内にむなしく響く。
なぜこんなことになっているのか、俺は困惑の極みに達していた。これじゃまるで、浮気現場を押さえられて問い詰められた男が、うろたえながら苦しい言い訳をしているようではないか——俺はだれともお付き合いしたことないのだから、浮気もクソもないのだが。
「どっちがカラオケに誘ったの」と菅沼の追及はつづく。
「えっと、五十嵐さんのほうからかな、たしか」
「そうなんだ。五十嵐さんは伊福部くんのことが好きなのかな」
俺はおもわずドキッとしてしまう。五十嵐が俺を好き、だと?
——そうか、そうだよな。考えもしなかったが、向こうから誘ってきたんだよな。そう考えてもいいよな。
などと夢想のなかに沈殿したが、ふと気づくと、菅沼が目を細めて俺を凝視していた。俺は慌てて、
「な、なわけないだろ」
と否定した。本心としてはそうであったら最高なのだが。
「そうかな?」と菅沼。「好きでもない人をカラオケに誘ったりするかな、五十嵐さんみたいなひとが」
「す、するんじゃないか。友達多そうだし、社交的な性格っぽいし」
俺はなんとか取り繕う。
「……うん、たしかにそれはそうかも」
菅沼は納得したようだ。
ふぅ。なんとか危機は乗り越えたようだ、と安心していると、
「伊福部くんはどうなの? だれとでもカラオケに行けるひと?」
と、菅沼の追撃が止むことはなかった。俺は、「え、まあ、そうかな」と曖昧に答えた。
「じゃあ、わたしが誘ったら一緒に遊んでくれる?」
「え」
予想もしなかった問いかけに俺は固まってしまった。
——ど、どういうこと?
俺が答えに窮していると菅沼は俯いて、
「駄目なんだ。わたしとは遊んでくれないんだね」
と零したあと、上目遣いで俺を見た。
——可愛い!
あまりの可愛さに心臓が止まりそうだ。
「そんなことない!」
思わず大きな声が出てしまう。
「ほんとに?」
菅沼の上目遣いはつづく。
「ああ、ほんとに」
「伊福部くん、五十嵐さんのことが好きなのに?」
「!」
言葉に詰まる。否定できない。嘘がつけない。
「否定しないんだね」
「……」
ふたたび緊迫した空気がながれる。しばらく沈黙がつづいた。
——なんだ? この修羅場感は。
俺は前の人生でもこんな修羅場を経験したことがない。どうすればいいか、まったくわからなかった。
沈黙を破ったのは、また菅沼だった。
「わたしは二番目でもいいよ」
「え」
——いまなんて?
ハッと、われに返った菅沼は、急に慌てふためいた。
「あ、え、ちが、ちがうちがう。なに言ってんだろ、わたし。やだやだやだ」
自分が口にした言葉の重大さをいま認識したのか、菅沼は顔を真っ赤にして見たことないくらい取り乱していた。
そして、空中に放ってしまった言葉を掻き消そうとでもするかのように、目の前の空間を両手でパタパタと払っている。可愛い。
「さッ、はやく仕事終わらせちゃおう」
菅沼は態度を急変させてそう言うと、なにごともなかったことにして、作業を再開した。顔を背けてしまったので顔色はわからないが、耳は赤くなったままだった。
しかし、一分もしないうちに限界がきたのか、菅沼は両手で顔を覆うと足をバタバタさせて悶えはじめた。
「伊福部くん、広報誌はわたしがやっておくから、今日はもう帰っていいよ」
「いや、でも——」
「ひーん、おねがいします。ひとりにさせてください」
いまにも泣き出すんじゃないかと慌てた俺は、
「じゃあ、帰るね。あとはよろしく」
と席を立った。
「うん。また明日ね、伊福部くん」
菅沼は顔を覆ったままだ。
「ああ、また明日」
俺は風紀委員会室を出た。頭がぽわぽわする。廊下を歩きながら風紀委員会室であったことを何度も何度も反芻した。
——いったいなにが起きたのだ? 二番目ってどういうこと?
しかし何度反芻しても消化することはできなかった。




