6 おっさん、恋に堕ちる
あんな夢を見たせいで、その日の学校では五十嵐と菅沼を過剰に意識してしまった。
授業中に五十嵐の横顔をチラチラと見ては——かなり挙動不審だったにちがいない——、夢で見た大学時代のモラトリアムで甘く無責任な同棲生活を思い出す。五十嵐の引き締まった身体の造形と感触を思い出し、俺はひそかに勃起していた。
一方、菅沼の小柄な後ろ姿を見ると、可愛いふたりの幼児を思い出し、あたたかくも切ない気持ちになった。俺は仔犬や子猫を見ても可愛いと思ったことがなく、むしろ鬱陶しいと感じる人間で、そんな情の薄い俺があの小さくて柔らかい生き物にはどうしようもない愛おしさをおぼえたのだ。その可愛いふたりを俺と菅沼でつくったことに思いが至ると、急にスケベなこと——たとえば、低身長のくせに不釣り合いなほど大きな胸や、ラッキースケベで目撃した深い谷間のこと——が脳内に溢れかえり、俺はさらに勃起した。
授業終了のチャイムが鳴る。
——ヤバい!
「起立」
日直の号令で全員が立ち上がる。俺は、ピンッと張った股間を隠すため、不自然なほどの前傾姿勢になって、起立した。
「礼、着席」
席に着くと心と体を鎮めるため、しばらく座ったまま瞑想に入り、精神統一に努めた。
休み時間。五十嵐は友人たちと連れ立って教室を出ていった。連れションだろうか。
菅沼は生徒会委員の真鍋と話しこんでいる。ふたりは仲がいいのか?
——ふぅ、股間もやっと落ち着いてきた。
そう思ったとき、またべつの煩悩がフツフツとわき上がってきた。それは、
(嗚呼、五十嵐と菅沼、ふたりとも可愛いなァ。それぞれにまた違った〝良さ〟があるんだよなァ。でも俺は、ふたりのうち、どちらかを選ばねばならないのかァ)
といったものだった。まるで付き合うことが確定しているかのように、ひとりよがりに悩んで勝手に悲嘆に暮れていた。
(俺にはひとりを選ぶなんてできない! 両方ともほしい! どうにかしてふたり同時に付き合う方法はないものか……)
と、ひとでなしの結論に到達し、俺は「ああでもない、こうでもない」と頭を悩ませるのだった。
放課後、俺は今日の授業の復習をするために、いつものように図書館へ行った。図書館には先に五十嵐がいて、俺を見つけると軽く会釈してきた。俺は、五十嵐を必要以上に意識してしまい、妙にぎこちない会釈を返す羽目になった。
(くうゥ〜、かっこわりィ〜)
と、自己嫌悪になりながら席についた俺は、できるだけ五十嵐の方を見ないようにして、数学の復習に集中した。
一時間くらい経っただろうか、ひと息ついて顔を上げると、五十嵐の姿はすでになかった。
——なんだ、帰っちゃったのか。
と、自分でも不思議なくらいガッカリしていた。たかだか夢を見ただけでその気になっていた俺はなんという愚か者なんだろう、と激しく自分を責めた。
勉強する気も失せた俺は、勉強道具をまとめて席を立った。
だが図書館から出るときに信じられないことが起きた。なんと五十嵐が図書館の玄関口で俺を待っていたのだ!
「ど、どうした?」
俺はドギマギしながら五十嵐に尋ねた。
「うんとね……」五十嵐はやけにモジモジしていた。「……伊福部くんを待ってたの」
あまりの衝撃に鼻血が出そうになった俺は、「ゥエ」と変な声を出したあと、「なな、なん、なんで?」としどろもどろに訊いた。
五十嵐の話によると、彼女の家は父子家庭らしく、ふだんは五十嵐が弟や妹たちの面倒を見たり、家事をしているそうだ。
しかし今日は彼女の父親が平日休みをとったそうで、
「今日の家事はお父さんに任せて、果帆は友達と遊んでおいで」
と言ってくれたらしい。
「だけどわたし、いっしょに遊ぶ友達がいなくて」と五十嵐は自分を卑下した。
俺は「そんなことないんじゃ、あんなに……」と言いかけたところでやめた。いつも五十嵐は友人たちにかこまれている印象があるが、そうじゃないのか。いままでの話をきいて察するに、五十嵐は家事や弟妹たちの世話に追われて、友人と遊ぶ時間なんてなかったのだろう。
五十嵐は、上目遣いで俺を見上げながら、照れくさそうに、
「伊福部くん、わたしといっしょに遊んでくれない?」
と言ってきた。
五十嵐の言葉と仕草に、俺の脳味噌は完全にブッ飛んでしまった。
「え、あ、い……いいけど」
俺なりに精いっぱい気取って答えたつもりだが、うまくいかなかった。
夕方とはいえ、日が長く、外はまだ明るい。俺と五十嵐は駅前のカラオケ店に行くことにした。
狭い空間に女子とふたりっきりというシチュエーションは、俺を完全に舞い上がらせ、フワフワと宙を浮いているような、離人症のような感覚に陥らせた。
たった小一時間のカラオケだったが、記憶がぼんやりとしており、自分がなにを歌ったかさえあまり覚えていない。
「たのしかったー」
と、五十嵐はとても充実した顔をしていた。
「そうか、それはよかったよ」と俺。
「伊福部くん、また誘ってもいい?」
また、だと! 二度目があるのか! 俺は、
「ぅえ、あ、ああ、いつでも誘ってくれ。つ、付き合うぜ」
という最高にダサい返事をした。
「うん。そのときはよろしくね。今日は本当にありがとう。また明日ね」
と言って手を振ると、五十嵐は駅に向かって歩いていった。
俺は五十嵐の後ろ姿を見つめながら、今朝の夢を思い出す。胸が押し潰されて、どうしようもなく苦しい。俺は思う。
——これが〝ひとを好きになる〟ということなのか?
どうやら俺は、五十嵐果帆にすっかり心を奪われてしまったらしい。
そして、このとき俺は気づいていなかった。俺と五十嵐がカラオケ店を出てから別れるまでの一部始終を、あの人物に目撃されていた、ということに——




