11 おっさん、忘れる
——ああ、終わった……
俺の人生、終わった。きっと、なんべん人生をやり直したところで、俺みたいな奴の人生はたいして変わらないのだろう。そんなことを思い知らされながら、俺は現国の授業を受けていた。
親が死のうが、好きだった女の子に無視されようが、好きだった女の子に怖がられようが——そんなことはおかまいなしに世界は通常運転でまわっていくし、授業もどんどん進んでいく。
——こんな状況で、あと一年以上もこの高校に通わないといけないのか。いっそのこと、辞めちまおうかな。
教室の窓越しから見える秋空を眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
昼休み。五十嵐と菅沼の視界に、俺みたいは人間が映りこむことが申し訳なくて、俺は早々に教室を出て誰もいない場所を探し求めた。しかし百メートル走のコースも直線でとれないような狭い校庭しかなく校舎も小さいこの学校のなかでは、至る場所にだれかしらいて、誰もいない場所など存在しなかった。
——ハァ……面倒くせえし、このまま帰っちまおうかな。
「伊福部じゃないか」
だれかに声をかけられた。見ると、柔道部員でありながらパンクロック好きでドラムも叩く、伊藤こと〝イヨピー〟だった。
「おい、しばらく見なかったな。休んでたのか」とイヨピー。
「いや、親父が死んじまってさ」
俺がそう言うとイヨピーは、
「ご愁傷様です」
と、頭を深々と下げた。
俺は狼狽えてしまった。こういうときはどう返事すればいいんだっけ……
「あ、いや……どうも……」
イヨピーは頭を下げたまま五秒間ほど微動にしないものだから、俺はますます困惑した。
「おい、もういいよ」
と、俺が声をかけるとイヨピーは唐突に頭を上げて、こう言った。
「で、スタジオいつ行く?」
と——
イヨピーのこうした態度や接し方——空気の読めない鈍感さと率直さ——はいまの俺にとってありがたかった。
俺はイヨピーの誘いに乗っかり、その日スタジオに行くことにした。
楽器を取りに一旦家に戻ってからスタジオにむかい、きっちり二時間、ドカドカうるさいドラムに合わせて、ギターを掻き鳴らしながら大声を張り上げて、俺は暴れた。
すこしスッキリした。
× × ×
その後の数週間といえば、五十嵐には存在を無視され、菅沼からは怖がられ避けられる、といった代り映えのない学校生活が淡々とすぎていっただけだった。
そんなこんなで、九月もなかばを過ぎ、文化祭の季節が近づいてきた。わがクラスでも出し物をなににするかの議論が交わされ、女子生徒たちの「可愛い服が着たい」という純真な承認欲求と、男子生徒たちの劣情とが合致して、『メイド喫茶』をやることに決まった。
きっと五十嵐と菅沼のメイドは可愛いんだろうな——などとおもってみたり。でも、俺ごときが二人のメイド姿を好奇の目で見たならば、二人に嫌悪と恐怖をあたえかねない。自重さねば……
そんなある日の昼休み、イヨピーが息を切らせて俺のところへやってきた。手にはなにやらチラシを持っていた。
「ハアハア……伊福部、これ……」
と言って渡されたのは軽音楽部主催の文化祭ライブのチラシだった。大きく『参加者募集中!』という見出しが踊っている。
「……俺たち、これに出ようぜ……ハアハア」
× × ×
夜——
だれもいない部屋で、——隣から親父のイビキがきこえてこないことを不思議に感じながら——アンプにつなげていないテレキャスターをペケペケ鳴らして、昔つくった曲を思い出そうとしていた。
文化祭ライブに出るにはレパートリーが四、五曲は必要で、いま二人で練習している既存の三曲とあわせて、もう一曲くらいは必要だった。なので、どうせならオリジナル曲をやろうとおもったわけだ。
前の人生ではまじめにプロミュージシャンを目指していたのだ——自作のオリジナル曲だって〝百〟を超えるくらいはつくっていた。自信作だっていくらかはある。
——あれ?
だが奇妙なことに、俺は自分のつくった曲を一曲も思い出すことができなかった。忘れるはずがない自信作でさえ例に漏れず、だ。
「……記憶が……消えている?」
前々から薄々気づいていた。前の人生の記憶がどんどん消え失せている、と。
最初はただのもの忘れかと考えていたが、そうではないと確信した。いや、以前からわかっていたのに、自分から現実を見ないようにしていたのだ。
前人生の記憶は、現人生の記憶に浸食され、上書きされ、消失している。
いつしか「この人生が二回目だ」ということ自体を忘れてしまいそうで、俺は一瞬恐怖におそわれた。恐怖の理由は、あのゴミクズみたいな人生を忘れ、失敗から教訓も活かせず、またおなじゴミクズ人生を繰り返すのではないかという〈予感〉がよぎったからだ。
——それだけはいやだ!
俺はその〈予感〉を頭から拭い去ろうとした。
ゴミ屋敷と化した部屋で、精神病を患い、経済的にも追いこまれた孤独な男の姿が脳裏に浮かぶ。なにひとつ報われず、だれにも相手にされずに生きてきた五十年間を生きた男。なにかひとつでも成し遂げられたらよかったのに、それすら許されず、惨めな一生を送った男。それが俺だ。
きっと俺には生また価値なんてないのだろう。本当にゴミみたいな人間だった。それは二週目でも変わらない。そして、いつしかそんなことも忘れて、俺は何度も何度もおなじような人生を繰り返し生きつづけるのかもしれない。
そのとき俺は、あるひとつの考えに到達し、はっとした。
——もしかしたら、すでに何度も人生を繰り返している?
あり得なくはない。前の人生の記憶が消失してしまうものならば、今が人生何週目かわかるはずもない。
——だったらこれは……この人生は……いったい何度目なんだ……?
俺は言いようのない恐怖に呑みこまれた。窓もない狭い部屋に閉じこめられたような息苦しさがともなう恐怖だ。きっと閉所恐怖症の人間とはこういう感じなのだろう。「永遠にこの部屋から出られないのでは」という強迫観念に取り憑かれ、動悸、発汗、息苦しさ、焦燥といったパニック症状をあらわれる。
——マズイ。精神が……心が……壊れる。このままじゃ、あのときとおなじように……
突然脳ミソが悲鳴をあげて、心が壊れたあの日……それは〈死の恐怖〉といっても過言ではなかった。
俺は、抱えていたテレキャスターを放り投げ、体を両手できつく抱きしめてパニックを抑えつけようとするが、うまくできない。この混乱が過ぎ去るまで、俺は奥歯を噛みしめて耐えることしかできないのか。
「いやだいやだいやだいやだ……この輪廻から抜け出したい……」
まるで念仏でも唱えるように、俺はブツブツと言葉を繰り返す。そして、いつのまにか失神するかのように眠っていた。
翌朝、目が覚めると、啓示が降りてきていた。忘れないうちに、と俺は急いでテープレコーダーをひっぱり出して録音ボタンを押した。次に、床に転がっていたテレキャスターを拾い上げると、メロディーにあわせてコードを探した。展開をつけて構成を組み立てたあとは、いよいよ歌詞をつける作業だ。歌いたいことはもう決まっている。あとは、俺の拙い語彙のなかから言葉を搾り出して紡がなければならない。
この日は学校も休み、食事を摂ることも忘れて一日中作業に没頭することになった。




