『家庭』
家庭という漢字は、『家』に庭と書く。『家』という括りを土地(位置)で表した言葉だ。これが家族であれば、血の繋がりや同じ『家』に属する人を指している。
その構成人数はそれぞれだが、戦後は意図的に分離分断されて、今では最小単位である個人にまでなってしまった。社会という意味も、ただの個人の集合体と化している。
その誘導は巧みであった。終身雇用、年功序列を否定して、キャリアアップ等と横文字を使い、日本社会を構成していた会社体制を解体。元々は平等に仕事を割振る役目を担っていた、談合制の否定。男尊女卑、男女平等という言葉を利用した、男女の対立構造。学校教育やスポーツで刷り込まれる、点数制と順位制。
まだまだ上げればキリがない程に、我々は孤立に誘導を受けてきた。
それと同時に、不安と不満、不足等を煽られ、「足るを知る」という、現状に満足と幸福を感じる事を否定されていった。
僕自身でさえ違和感を感じながらも、まんまとその罠にハメられて生きていた。
『家』に縛られることを苦痛に感じ、田舎の人間関係が煩わしく思い、他人が自分に無関心な事を、心地よいと感じていた。
だが、内観を進めていくにつれて、「個」では成立しない単位で自分が構成されていることに行き着く。
「個」では何も感じられない。自分が確立し得ない。
アングロサクソン系の民族はまた違った感覚なのだろうが、日本の地に生まれ育った人は、この地に沿った感覚をその身に宿している。
『家庭』…衣食住を共にする、日本人本来の最小単位だ。一人暮らしの人達は、『家族』が最小単位になるはずである。天涯孤独の人は、最も親しい人を思い浮かべて欲しい。僕達は決して一人では生きていないのだと、理解して欲しい。




