第99話 合流
アレクシアが上陸してから半刻ほどで、孤島は秩序を取り戻そうとしていた。
監獄内を荒らし回っていた傭兵たちを片っ端から倒して回り、遅れて上陸してきたリートベルクの騎士たちと協力して拘束する。
看守たちとともに避難を促し、父のヴィクトルや騎士団長のニコラウスの待つ対岸へと誘導する。
(しかし……)
アレクシアは一瞬、躊躇するように立ちすくんだ。
この収容所を建造したのはリートベルク辺境伯家ではない。ペルレス王家だ。
場所こそ許可もなく勝手にこの地に決められて大いに悶着を生んだらしいが、建設に関しては国が全面的に責任を負い、指揮を執った。当時の最先端の技術を駆使して、堅牢強固とした要塞のごとき獄舎を築き上げた。
その頑強不抜な砦が、こうも短時間で陥落するはずがないのだ。
いくら悪名高い他国の精鋭であっても、一介の傭兵団だけの力でこの監獄を落とせるはずがない。
「何か、ある……!」
剣や弓や投石のたぐいでできることではない。
この島をこれほどまでに蹂躙せしめた、もっと危険で凶悪な何かが必ずあるはずだ。
「それに、最初に聞いたあの轟音は……?」
原因を究明したいとは強く思うが、今は何の用意もない状態だ。
父やニコラウスとも詮議した上で、体勢を立て直して再び調査に乗り出すしかない──と考え、いったん城へと引き返すことに決める。
傭兵たちが打ち捨てたと思われる数艘の小舟を回収し、水面に浮かべた。
負傷した看守たちをそれぞれを舟上に寝かせ、騎士に櫂を取らせて、アレクシア自身は再び泳いで湖を渡る。
たどり着いた対岸は閑散としていた。
先に避難した服役囚たちは父のヴィクトルがすでに連行していったらしい。街に入れることはないだろうから、行き先は騎士団の駐屯地だろう。
自分も取り急ぎ合流しようと、駐屯地の方向へ足先を向けた時だった。
「──アレクシア様!」
呼びながら、湖畔へと駆け降りてきたのはルカだった。
アレクシアを見てほっとした表情を浮かべたのも束の間。ルカはすぐに顔色を曇らせて、悄然と頭を下げ、深々と詫びた。
「……マティアスの身柄はユリウスさんたちが連行してくれました。アレクシア様、本当に申し訳ありません……」
「なぜルカが謝る?」
「まさかマティアスがこんな暴挙に及ぶとは予想していませんでした。……いったいなんとお詫びしたらいいのか……謝罪の言葉もありません……」
マティアスは昔から、ルカの大切にしているものは何でも奪い取ろうとする性格だった。
自分はもっと高価で上質な私物をいくらでも持っているのにも関わらず、ルカの粗末な服や安価な本にまで目をつけて、無理やり取り上げてきたことが何度もある。
そんな弟の悪癖は知っていたが、対象はあくまでも「物」だけだと思っていたのだ。
まさか人にまで、歪んだ執着を見せるとは思っていなかった。
今さらながら思い返せば、ナタ-リアに近づいたのもルカの婚約者だったからなのかもしれない。
ルカが一度はナタ-リアと将来を誓い合い、ともに歩もうと決めていたから。だからマティアスは彼女に言い寄ったのだ。
そして狙いどおりにルカに婚約破棄を突きつけた後は、一年経っても結婚の話がろくに進まないほどに、ナタ-リアに興味を失った。
かつてルカから奪った持ち物を、もういらないとあっさり捨てたように。
「……弟が僕の大切なものを壊そうとする可能性があることを……僕はもっと予測して、警戒すべきでした……」
マティアスは母親のヘルミーネから、ルカはいくら虐げてもいい存在なのだと教えられて育った。
兄ではあるが、卑しい平民の血を引く私生児。家督も爵位も継ぐことのない、役立たずの冷や飯食い。
マティアスは常にルカを下に見て、踏みにじって、自分が上だと勝ち誇っていた。
だから先日の王宮でのパーティーで、ルカが幸せそうな姿を見せてしまったのがいけなかったのだ。
誰よりも美しいアレクシアをエスコートしたこと。宮殿の大広間で彼女とダンスを踊ったこと。
あの時はアレクシアのパートナーになれたことがただ嬉しくて、マティアスの目など微塵も意識していなかった。
弟が自分を見てどう思うかなど考えもしていなかったが、それが甘かった。
幸福に満たされたルカの姿は、そんなつもりはなくともマティアスを煽ったはずだ。
弟を刺戟し、焚きつけ、こんな大それた犯罪にまで手を染めさせた。
いくら悔やんでも、悔やみきれない。
「弟の不始末は僕の責任です」
「それは違う」
アレクシアはきっぱりと否定した。
いくら血縁関係があろうとも、成人した人間のしでかしたことは本人の責任だろう。
ルカに予測できなかったように、誰にも予測できなかった。こんな非常識な真似に及ぶ人間がいるなど、思いもつかない方が普通なのだ。
「ルカのせいだとは思わない。むしろ……私のせいだ。……私があの男を挑発した……」
忸怩たる思いがこみ上げて、アレクシアは拳をにぎりしめた。
「アレクシア様は何も悪くありません!」
そうルカに言われても、アレクシアは王宮のパーティーの日、自分がマティアスをわざと煽り、挑発した事実を知っている。
乗ってきたのはあの男だが、アレクシアははっきりと自滅させてやろうとの意志を持って、あえてあの男を愚弄する発言をした。
プライドの高い男の鼻をへし折れば、逆上するかもしれないことは想像できた。
できたにも関わらず、意図的にあの場で騒ぎを起こすよう誘導したという点において、ルカよりも自分の方が責任が重いとアレクシアは思う。
「ルカこそ悪くない。自分を責めないでくれ」
アレクシアの狙い通り、マティアスは宮中で抜刀するという事件を起こし、現場は第二王子リュディガーにも目撃された。
王家所有の剣を無断で持ち出し、上位貴族の令嬢に切っ先を向けるなど、本来であれば厳罰に処されても仕方のない不祥事だ。
自分が意図的にあの男を罠にかけた自覚があったからこそ、アレクシアは事件を公にすることはせず、破格といっていいほどぬるい温情で済ませたのだ。
それにも関わらず、あの男は感謝も反省もすることなく、アレクシアを逆恨みしてリートベルクに甚大な被害を与えた。断じて許せる所業ではない。
「一番悪いのは張本人だ。厳重に取り調べを行わなくてはな」
「はい」
領地と領民を害されることは、アレクシアにとってもっとも許しがたい大罪だ。決して容赦する気はない。
マティアスと傭兵たちとのつながりを洗い、正確な裏を取り、言い逃れなどできないようにしっかりと物証を集めなくては──と心に誓う。
「それに、ルカには話しておきたいことがある。エヴァルトが報告書を持ってきてくれたのだが……」
言いかけて、アレクシアは停止した。
緑の生い茂る森の中に、燦然ときらめくものがある。
「……あれは……?」
豪華絢爛という修飾語の似合う、贅沢な馬車だった。
風雅な飾り窓には上質の玻璃が入っていて、車体だけでなく車輪にまで、きらびやかな金箔が惜しげもなく使われている。
マティアスが乗ってきた、ヴァルテン男爵家の馬車。
先ほども見たはずのその豪奢で場違いな車体に、アレクシアは瞬刻、ぞっとするほどの寒慄を覚えた。




