第97話 孤島にて(2)
マティアスの目的はほぼ読めている。
収容所内で大規模な暴動が勃発し、囚人たちが集団で脱獄したとなれば、リートベルクが管理責任を問われる。
辺境伯家は非難を浴び、厳しく追及を受け、当主としての去就さえ取りざたされる。
──それが狙いだ。
あの男はアレクシアを引きずり下ろすため、この監獄を生贄に──囚人たちを人身御供にしようとしたのだ。
「万死に値するな……」
およそ令嬢らしくない発言をつぶやきながら、アレクシアは剣をにぎる手に力を込めた。
「やれ! あの女を潰せ!」
指示が飛び、あちこちから囚人に扮した男たちがわらわらと湧くように集まってきた。
一人が背後から殴りかかってきたのを避けながら、アレクシアは鞘を払って二人を同時に転倒させる。
大柄な男が斧で斬りつけてきたのを跳んでかわすと、別の一撃が降ってきた。足をかけ、転ばせて斬撃を封じてから、剣と蹴りでさらに一人ずつを仕留める。
「な……なんだこの女は……!?」
驚愕したのは、グルナート王国に悪名とどろかす傭兵団「猛煙の蛇蝎」を束ねる首魁の男だった。
対岸から舟を掠奪して、この島に侵入した時。自分たち一味は万全の態勢だった、といっていい。
秘蔵の手段があったことに加え、依頼主である男爵令息は金ならいくらでも出すと大盤ぶるまいしてくれていたので、団員たちはそれぞれ強力な武器を新調していたのだ。
まさに鬼に金棒、竜に翼を得たるごとしだ。
今の自分たちならば、どれほど厳重に警備された要人の暗殺だろうが、どれほど堅牢に築城された城砦の征服だろうが、間違いなく成し遂げられるという自信に満ちあふれていた。
相手はしょせん、塀の中で飼われている腑抜けの囚人たちと、しがない国の役人でしかない刑務官たち。
湖上に孤立した収容所を落とすことなど朝飯前。赤子の手をひねるようなものだ。
その予測通り、確かにリートベルク監獄を陥落はさせた。
四つの監房は要である監視室を中心に派手に崩壊し、瓦礫と化し、今にも倒壊しようとしている。
しかし、一人の女が現れてから風向きが変わった。
自分たちの顔に見覚えがないと言い放ち、服の下に彫った刺青を見抜き、雇われた傭兵かとすぐさま看破した女。
序盤こそ「女一人に何を手間取っている!」と檄を飛ばしたものの、すぐに斜に構えてはいられなくなった。
数十人もの傭兵たちと乱闘になった女は、数の差をものともせず果敢に戦い、蹴散らし、またたく間に島を制圧していく。
「け……けた外れだ……」
腕に覚えがあるからこそ、首魁の男にはアレクシアの強さがひしひしとわかった。
この女は本物だ。背丈も男並みに高いが、膂力は男が束になってもかなわない。
「退がれ」
すくんだ頭上に降ってきたのも、女とは思えない凄みのある声だった。
「命まで取る気はない。死にたくなければおとなしくしていろ」
「は……はい!」
迫力に押されて、首魁の男は従順にうなずいた。
従順にならざるを得ない、といった方が正しい。
(い、命あっての物種だ……!)
野生の獣は本能的に自分よりも強い個体を察して争いを避けるというが、それを身をもって痛感する日が来ようとは思いもしなかった。
この女を前にすると、まるで動物が腹を見せて戦う意志のないことを示すように、降伏と恭順の意を示さずにはいられない。
「開門しろ!」
アレクシアは高らかに命じた。
傭兵たちを相手に斬り結ぶうちに、同様に抗戦を続けていた数人の看守たちと再会することができた。
監視室が最初に襲撃を受けた時、たまたま巡回の時間だったことが幸いしたらしい。
負傷したのは最初に会った二人の看守だけで、残りの数人は無事だった。
彼らと協力しあい、散り散りになっていた本物の囚人たちの身柄を保護していく。
「四つの獄舎をすべて開放する! 独房も懲罰房も、すべてだ!」
──監房が崩壊する前に避難しろ、とアレクシアは命じた。
連なった獄舎のあちこちからは火が噴いている。黒い煙がたちこめ、壁には大きな皹が入ってている。全壊するのは時間の問題だ。
柱や梁が折れ、建物が倒れてきたなら、多くの者が圧死をまぬがれない。
「火の手が早いな……」
アレクシアは一刻も早く監舎の外に出るよう囚人たちに指示し、さらに損壊の少ない南西部の門に彼らを集めるようにと看守たちを促した。
「ここは危険だ。対岸へ渡る」
「ですが、お嬢様……舟が足りません!」
島を取り巻く大きな湖は、監獄と外界とを隔てる天然の濠である。
平素は小舟を浮かべて内陸と島とを行き来しているが、乗れても数人ずつが限界だ。これだけの人数を対岸へと移送するには時間がかかりすぎる。
おろおろとまごつく看守たちに向かって、アレクシアは冷静にうなずいてみせた。
「──大丈夫だ」
湖に面した波止場と監獄の間は、重厚な門に閉ざされていた。太い二本の柱に庇を乗せた、木製の門だ。
アレクシアは門扉を一瞥すると、すっと踵を上げる。そのまま左足を軸にし、回転を加えて蹴りつけた。
強烈な蹴りを叩きこまれた門柱は、みしみしと揺れながら倒壊する。
仮にも貴族の令嬢が門を蹴り壊したのを見て、看守は仰天した。
「お嬢様、何を?!」
「壊せ」
「壊す? 門をですか?」
「ああ。壊して避難に使う」
これはごく一部の関係者しか知らないことだが、この収容所にある門のうち一ヶ所だけは、常緑樹のバルサの木から作られている。
バルサは木目が粗くて美しくないため、家や家具を作る際の材料としては好まれない。
だが木目が粗いということはそれだけ密度が薄く、柔らかい素材であるということでもある。
この特徴のため、バルサはあらゆる木材の中でもとりわけ軽く、浮力が非常に強いのだ。筏を作る材料や、海に浮かべる浮標の素材としてもよく使用され、いざという時の救命胴衣のかわりにもなる。
ひと抱えほどの大きさの木片があれば、人ひとりが湖を渡るのに足りるだろう。
囚人たちに木片を配るようにと命じられて、看守はおろおろと困惑した。
「ですが、お嬢様。それでは……」
囚人たちをむざむざ牢獄から解放することになってしまう。
現在収容されている服役囚の中に、とりたてて看守たちを手こずらせている問題児はいないが、どんなに殊勝にしていようとも犯罪者は犯罪者だ。
無事に対岸に泳ぎついたとして、全員がおとなしくその場に留まっているとは限らない。
縛めを外れ、自由な外界に解き放たれたなら、これを好機とばかりに逃亡を図る輩が出ることだろう。
「かまわない」
アレクシアは陸地を見つめて、首肯した。
「お父様がいる」




