第96話 孤島にて
孤島側に設けられた埠頭に着岸する前から、尋常でない気配はただよってきていた。
湖に住む鴨や鴫たちが、そろって島から逃げ出していく。黒煙を避けるように高く飛びながら、水鳥たちは群れになって空を横切っていった。
岸に突き出した桟橋に、アレクシアの手が届こうという直前。
数艘の小舟が雑に積み重なって、人目につかない裏手にうち捨てられているのが目に入った。対岸の埠頭に係留してあった舟だ。
まともに乗船して着岸していたなら死角になっていた位置だが、自力で泳いできたことでたまたま気がつくことができた。
(誰かが監視の目を盗んで、この島に上陸したのは間違いなさそうだな……)
やはり不法な侵入者がいることは確実らしい。
気を引き締めながら、アレクシアはさらに島の内部へと向かう。
「……!」
高い塀をくぐった先には、惨憺たる光景が広がっていた。
難攻不落と言われたリートベルク監獄が、見る影もないほどに崩壊していたのだ。
立ててあった鉄柵は折れ、架けてあった鉄条網は破れ、張りめぐらせてあった有刺鉄線はことごとく引き倒されている。
もっとも被害が深刻なのは、四つある獄舎をつなぐ要にあたる場所だった。
遠目から見ても崩潰の様子が見て取れた中央の監視室は、こうして間近で見ると予想以上に甚大な被害を受けている。
黒い釉薬を塗った煉瓦の壁や、同じ色で葺いた屋根瓦が無残に壊れ、火を噴きながらくずれ落ちていた。
「──!」
人の気配を感じ取って、アレクシアは瓦解した建物の中に躊躇なく飛び込んだ。
「大丈夫か?!」
崩落してきた天井にそれぞれ足と腕とを挟まれて、身動きが取れなくなっていたのは、当直に入っていた看守たちだった。
「お……お嬢様……」
「申し訳ありません……」
アレクシアは瓦礫を持ち上げて、二人の看守を救い出した。
二人ともおそらく腕や脚の骨が折れている。だが幸い意識はあるし、返答もできている。対岸に搬送して適切な治療を受けさせれば、命に別条はないだろう。
そう考えていた時だった。
突如、五月雨のような殴打が降り注いだ。
アレクシアは二人の看守を両脇に抱えて、さっと避ける。
「──!」
手にした武器を振り回しながら近づいてくるのは、囚人服を着た数人の男たちだった。
「お嬢様!」
「すぐ片を付ける。悪いが少しだけ待っていてくれ」
アレクシアは看守たちを安全な場所に横たえさせると、彼らの前に立ちふさがった。
「この暴動とやらを扇動しているのは、おまえたちか?」
「ああ? 誰だてめぇ」
目付きの悪い顔ですごむのは、鬼畜、という表現がしっくりとよく似合う獰悪そうな男たちだった。
「邪魔すんじゃねぇ! クソアマが!」
いかにもな悪人顔に残忍酷薄な笑いを浮かべ、明らかに外から持ち込んだとわかる凶器をひらめかせながら、男たちは哄笑した。
「ずいぶんと派手に暴れまわったようだな。なぜこんな真似をする?」
「決まってんだろうが! 獄中生活なんて飽き飽きなんだよ!」
「こんな監獄ぶっ潰して、シャバに出てぇだけだ!」
「そうか。だが飽き飽きだと言っているわりに、おまえたちは私の顔を知らないようだ。私もおまえたちの顔に見覚えがない」
言って、アレクシアは飛びすさった。
次の瞬間には一人の男の背後を取り、後ろ手を捻りあげる。
「このアマ! 何しやがっ……!」
男は吠えながら振りほどこうとしたが、いくら暴れてもアレクシアの手はびくとも緩まなかった。むしろ地面にうつ伏せに押し付けられて、抵抗もむなしく囚人服を捲りあげられる。
肩から背面にかけて浮かぶのは、三匹の蛇がうねりながら絡み合った刺青だった。蛇の尾が交差する背景には、赤い顔料で彫り込んだ炎の図案。
「……顔にも見覚えがなかったが、刺青にはもっと見覚えがないな」
淡々と言われた男たちは、みるみる顔から血の気を失くしていく。
「やはりここの服役囚ではないな。──傭兵か。誰に雇われた?」
アレクシアは尋ねたが、答えは聞き出すまでもなくわかっていた。
すでに先ほど会っている。あの男爵令息しかいない。
この男たちが本物の服役囚でないならば、先ほどヴァルテン家の騎士たちも同じく偽者だろう。
傭兵を騎士や囚人に偽装させて侵入を謀るとは、ずいぶんと金と手間のかかる工作をしたものだ。
(三匹の蛇に、燃え立つ紅蓮の炎……)
どこの傭兵団だろうか。あるいは他国かもしれない──とアレクシアは推察する。
アレクシアも刺青の紋様は解読できないが、こういうことはユリウスやクラウスやマリウスたちが詳しい。彼らに聞けばすぐ答えはわかるだろう。
「おまえたちに収容所への侵入と破壊を依頼したのは、ヴァルテン男爵令息だな。なんと愚かなことを……」
依頼主の名を言い当てられて、囚人もとい傭兵たちは、わかりやすくうろたえだ。
「や、やっちまえ!」
号令とともに、複数の男たちが四方八方から襲いかかった。
アレクシアは剣を抜き、一閃する。
たった一振りで、三人もの男たちがばたばたと薙ぎ倒された。
「はぁ!?」
驚く男たちに反撃の隙を与えずに、アレクシアはさらに剣を薙ぐ。
たじろいだ足元を払われた男たちは大きくもんどりうって倒れると、そのまま動かなくなる。
別の男が昏倒した仲間に駆け寄ろうとした時。
頭上からはアレクシアの怒りに震える声が、静かに響いてきた。
「……男爵令息は自らが起こした火種を自ら沈火させて、英雄の真似事でもしようと思ったのか……?」
先ほど、マティアスはしきりに自分がひと肌脱ぐと主張していた。
自分を頼ってくれればいいと、自分がアレクシアを守る──と。
マティアスは裏から事件の糸を引いた後、遠く離れた場所で傍観していることもできたはずだ。
汚れ仕事は他人に任せ、自らはアリバイを確保して、安全な地から無関係を装っていることもできた。その方がよほど賢明だった。
しかしマティアスはわざわざこの地に足を運んで、アレクシアに自身の存在をアピールした。
自分と自邸の騎士がこの騒動を鎮圧してみせると豪語していたのは、あきらかに己が活躍しようとの魂胆あってのことだろう。
感謝されようとしたのか恩を売ろうとしたのかわからないが、あの男は自ら火を点けた現場に戻ってくる放火犯のごとく、のこのこと犯行現場にやって来たのだ。
そしてこの「暴動」を鎮めるヒーローたらんと、華々しく名乗りを上げた。
その白々しくも図々しい一連の言動が、アレクシアの逆鱗に触れずにはいられない。
「ただの自作自演ではないか! 貴様のくだらない策略に、私の民を巻き込むな!」
「ひいいっ!!」
怒りに任せて振り下ろした刀剣が地面を斬り裂く。
はじけ飛んだ砂礫をくらって、男たちはとっさに地面に伏せた。
「王宮のパーティーで恥をかかされた仕返しだというのなら、私に決闘でも何でも申し込んでくればいいものを……」
貴族としての名誉をかけた決闘であれば、アレクシアは必ず受けて立った。
そして何度でもあの男を返り討ちにしてやった。
それなのにこんなくだらない奸計を弄して、リートベルクの民と地を巻き込もうとするのが許せなかった。




