第95話 正々堂々
一寸の乱れもない剣の直刃が絢爛にきらめく。
名のある刀匠が心血を注いで打ったであろう、見事な一振りだ。
「兄上、決着をつけましょう。これで正々堂々、一対一だ」
マティアスは自信に満ちた顔で宣言した。
踏み出しざまに剣をふりかざし、鋭利な切っ先をルカに突きつける。
「いやー、やっべー男だな……」
「正々堂々の意味を見失うな……」
「本当にルカ様の弟なのかよ?」
ユリウスとクラウスとマリウスが一斉にあきれた顔をした。
自分は明らかに高価そうな剣を持ちながら、素手のルカに対して正々堂々の勝負だと言い放つマティアスの正気を疑ってしまう。
マティアス本人が何の疑問も持たず、本気でそう言っている様子なのでなおのこと「やっべー男だな」という感想しか湧かない。
三人は特にルカに加勢するでもなく、積み上げた傭兵たちの上にどっかりと尻を下ろして、やべーやべーと言い合っていた。
「来い!」
来いと呼ばわりながらも、マティアスは地面を蹴って自ら前方に踏み出した。
一気に間合いを詰め、接近する。兄が切っ先の届く位置に入った瞬間、マティアスは勢いよく剣を振り下ろした。
「もらった!」
白刃が煌々と光った。
標的を完全にとらえ、渾身の力で肩から脇へとななめに斬り下ろす。
骨を切り肉を断つ感触が、にぎった剣の柄ごしにはっきりと伝わってきて、マティアスは勝利を確信した。
「あっけないな。こんなものか」
まさに瞬殺。完勝である。
兄がいくら体を鍛え、筋肉を付けようと意味などなかった。農作業くらいには使えるのかもしれないが、武芸ならマティアスの相手ではない。
余裕の笑みを浮かべて、すっと剣を引いた時だった。
「な……っ!?」
きらめく白刃は変わらず、一寸の乱れもなかった。
曇りのない刀身は、兄の血を一滴たりとも吸ってはいない。
「外したか? いや……!」
たしかに手ごたえがあった。
打った感触があったはずなのに。
「入ったはずだ!」
「入ってないよ」
マティアスがわめく間に、兄の姿は忽然と消えていた。
「避けるのは得意なんだ。昔からおまえにさんざん襲撃されてきたせいで」
ルカは素早く飛びすさる。逆に間合いを詰め返して、にぎったこぶしを突き上げた。
「ぐっ……!」
みぞおちに強い一撃を入れられて、マティアスは一瞬、白目を剥いた。
「ああ……おおお……」
腹部を押さえて、マティアスはその場に膝をついた。
取り落とした自慢の剣があえなく地面を転がっていくが、拾うどころか立ち上がることさえできなかった。
一方、ユリウスとクラウスとマリウスは尻の下からもがいて這い出ようとする傭兵たちにげんこつを見舞いながら、わいわいと話し合っていた。
「あー、あれなー」
「ルカ様の得意なやつなー」
「あれマジで騙されんだよなー。どーゆー原理なんだろーな?」
三人が初めて出会った頃のルカは、まだひ弱さの残る青二才だった。
剣術もろくに習ったことがないという痩せた小僧だったが、その当時から一点だけ、格段に秀でていた才能があった。相手の攻撃をかわすのが異常に上手いのだ。
ただ避けるだけではない。打った側は当たったと錯覚するほど確かに手ごたえを感じるのに、実際は入っていないのである。
いったいどこでそんな技を身につけたのかと思っていたが、どうやらこの底意地の悪そうな弟がらみで、習得せざるを得なかった特殊技術らしい。
「ルカ様……苦労したんすねぇ……」
ユリウスは涙ぐんで、鼻水をすすった。
犯罪に手を染め刑務所にまで入ったユリウスとて、相当苦労してきた部類に入るはずなのだが、それでもこの無茶苦茶な弟を見るにつけ、ルカに同情を禁じ得ない。
そんなユリウスの感傷はさておき。
強烈な一撃をお見舞いされたマティアスは、痛みに脂汗をにじませながらうめいていた。
「こ、降伏します!」
片手で腹をかばいながら、もう片方の手を上げてマティアスは叫ぶ。
「兄上、私は丸腰です! 無防備で無抵抗の相手に追い打ちをかけるなど、そんな卑怯な真似を兄上はしないでしょう!?」
すかさずユリウスとクラウスとマリウスがやいやいとヤジを飛ばした。
「おまえは丸腰なんじゃなくて、おまえも、だろーが」
「ルカ様は元から丸腰だっつーの」
「自分が武器を失った途端に卑怯がどーのこーの、都合のいいやつだな。性根が腐ってやがるぜ」
性根が腐っているとまで言われたマティアスは、ギリッと唇を噛んだ。
(下賤な奸賊どもめ……この私に何という口を叩くんだ!)
今さらだが、この男たちは本当に騎士なのか? 山賊や野盗のたぐいではないのか?
こんな野卑な連中と親しそうに群れている兄の気が知れない。賎しい血筋の者どうしお似合いということか──。
そう内心で吐き捨てていると、ユリウスが岩石のように硬い手でマティアスの襟首を押さえつけた。
「おう、大人しくしろや。おまえには今回の騒動について、洗いざらい吐いてもらわねーとなぁ?」
先ほど言っていた「尋問」を行うつもりらしい。ルカはすでにマティアスに背を向けて、クラウスやマリウスと今後の動きを打ち合わせている。
「……っ! ふざけるな!」
マティアスは必死に身をよじった。全力で暴れながら、ユリウスの膝と足首の間を強く蹴りつける。
「下臈が! 汚い手でこの私に触るな!」
いわゆる向こう脛と呼ばれる部分。皮膚の下にすぐ脛骨があるため筋肉で守られにくく、ユリウスがいかに屈強な肉体を誇ろうとも、激痛を感じずにはいられない急所だ。
「ぐっ……!」
さしものユリウスも苦しそうに顔をゆがめ、その場にたたらを踏んだ瞬間。
緩んだユリウスの腕からすかさず逃れて、マティアスはルカに憎悪のこもったまなざしを向けた。
「死ねッ!」
叫びながら、マティアスは金襴に縁取られた豪華な上着の内側から、鋭利な刃を引き抜いた。
護身用に隠し持っていた懐刀だ。刃先をルカに向けて、背後から襲いかかる。
「ルカ様!」
ユリウスは太い腕を伸ばした。が、わずかに届かない。
鋭く尖った匕首の先端が、ルカの後頭部に突き刺さろうとした一瞬。
黒々とした影が、敏捷に森を横切った。
人間よりもはるかに速い、目にも止まらないほどの俊足だった。褐色の毛が数本抜け落ちて、ひらりと宙に舞う。
「ぎゃああああ!!!」
断末魔のような悲鳴をあげて、地面に横臥したのはマティアスだった。
マティアスが死に物狂いでふりまわす右腕に、尖った牙を深々と突き立てているのは、褐色の縞模様をした巨大な猫。
ルカは思わず名前を呼んだ。
「バルー!」
鋭い爪と歯を剥き出しにしてマティアスに噛みついていたのは、アレクシアの飼い猫のバルーだった。
マティアスはなおも無我夢中で腕をふりまわしているが、バルーは彼にしっかりと食らいついていて放さない。
「なんだこの化け猫はッ!? はっ、放せっ!」
「バルー、もういいよ。おいで」
ルカはバルーの両脇に手を入れて抱き上げ、暴れてもがくマティアスから引き離した。
「ぐっ……ああっ……痛い! 痛い!」
バルーの牙が抜けた途端に、噛み傷からは鮮血が噴水のようにほとばしった。
「ありがとう。僕を守ってくれたんだね」
バルーは「まだとどめをさしていない」と言わんばかりにシャーッと毛を逆立てて怒っていたが、ルカに首元を巧みに撫でられるうちに「フ……ミャァァァ……」とまんざらでもない表情になっていく。
「あ……あ……血! 血がこんなに出て……! 助けてくれ! 早く治療をしてくれ!」
「うっせぇな。自業自得だろうが」
自らの血しぶきを浴びたマティアスがぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのを、ユリウスが冷たく突き放した。
「……よくもやってくれたなぁ? お坊ちゃんよぉ」
先ほど蹴りつけられた向こう脛をさすりながら、地獄の獄卒のような顔でユリウスがじりじりと歩み寄っていく。
すでに血の気をなくしていたマティアスの表情が、恐怖に歪んだ。




