第93話 完璧な計画
マティアスは切歯扼腕した。
「くっ……こんな……こんなはずでは……!」
金の力であらゆるドアを開かせて、マティアスはこの地にたどり着いた。
兄と辺境伯令嬢にしてやられたパーティーの日以来、マティアスは二人への復讐を心に誓ったのだ。
明晰と自負する頭脳で思いついた「名案」は、リートベルク領内にある収容所で騒ぎを起こし、マティアスがその解決に乗り出すという作戦だった。
監獄内で大規模な暴動が起き、囚人たちが集団で脱獄したとなれば、リートベルク辺境伯領は大混乱に陥るだろう。
収容所を設立したのはペルレス王家だが、現地における運営と管理の大部分を担っているのは辺境伯家だ。
収容所内で問題が起きた場合、現場責任はリートベルク家が負うことになる。
はじめはヴァルテン男爵家で雇っている騎士たちにやらせるつもりだった。
彼らを囚人に変装させ、収容所に送り込む。内部で騒動を起こさせ、本物の囚人たちを大勢脱獄させる。もちろん紛糾する現場にマティアスが現れたなら、速やかに降伏するようにと事前に打ち合わせておくのは必須だ。
事件を華麗に収拾したマティアスは、リートベルクの救世主として感謝される──という完璧な算段だった。
しかし、ヴァルテン家の騎士たちは誰も乗ってこなかった。
彼らは高給で抱えているだけあって、名の知れた凄腕の強者ばかりだ。
それなのに他領を襲撃することなどできないときっぱり固辞し、いくらでも報酬ははずんでやるから協力しろと誘いをかけても、まったく承諾してくれない。
むしろ、馬鹿なことはやめてください──と口をそろえてマティアスを止めようとさえしてきて、不愉快この上なかった。
『使えない! まったく臆病者ばかりだな!』
自邸の騎士たちにことごとく拒否されたことにより、マティアスは計画の練り直しを迫られた。
そして思い至ったのだ。
いかに達人と言っていい手練れの騎士たちであっても、剣一本では監獄を制圧する自信がないのかもしれない──と。
(剣よりも弓よりも勝るもの……)
その刹那。マティアスの冴えわたる頭脳は、最良の策を瞬時にはじき出した。
(そうだ! あれだ! あれしかない!)
思いついてしまえば、あとは実行に移すだけだ。
第二王子に謹慎を命じられた日々は不自由ではあったものの、使用人たちを手足のように使えば、外部と連絡を取ることは造作もなかった。
それにマティアスは何も、男爵家の本邸だけに閉じこもっていたわけではない。
国内にある複数の別荘にたびたび出向いては、そこに呼びつけた商人や仲介人とじかに交渉を図っていた。
別邸とはいえヴァルテン家の屋敷であることは違いないのだから、謹慎を破ったことにはならないだろう。自分は断じて王子の命令に背いてはいない──とマティアスは自信をもって思っている。
そして、男爵家が所有する別邸の中でももっともグルナート王国に近い、とある山荘にて。
国境を越えて招聘した彼らに、マティアスは相対したのだ。
グルナート王国で狂名をとどろかせる悪逆無比な傭兵集団──「猛煙の蛇蝎」に。
そろいもそろって奇怪な蛇と炎の刺青を入れた彼らは、いかにも残忍そうな常人離れした風格をただよわせていた。さすがに弱腰の騎士たちなどとは面構えが違う。
報酬しだいでどんな危険な依頼だろうと受けてやる──と悪辣に息巻く彼らは、まさにマティアスが求めていた通りの手駒そのものだった。
彼らはもちろん騎士道精神のかけらも知らない破落戸だが、本物の騎士かどうかなど些細なことだ。
外見さえヴァルテン家の騎士の制服を着せて、偽装させておけばいい。どうせ誰にもわかりはしない。
仮に起こした暴動の巻き添えで死傷者が出たとしても、監獄にいるのはどうせ薄汚い罪人たちばかりだ。
服役囚などこの世には必要のないクズなのだから、いくら命を落としたところで何の損失もないだろう。
むしろ刑を執行する手間が省けたことを感謝してほしいくらいだ。
「猛煙の蛇蝎」のメンバーを大金で手なずけ、グルナート王国の役人に賄賂を渡して目当ての武器さえ横流しさせたマティアスの目には、勝利への道筋がはっきりと見えていた。
第二王子から謹慎を解くとはまだ言われていなかったが、そんなことにかまってなどいられない。
マティアスは早く兄の絶望に満ちた顔が見たいのだ。
辺境伯令嬢がマティアスに助けを求める声が聴きたいのだ。
(これでついに、あの女が手に入る!)
まだナターリアという婚約者のいる身だというのに、マティアスの矛先は完全にアレクシアへと移っていた。
ナターリアは顔は可愛らしい方だし、着飾ることが好きで装いも華やかだから、連れて歩くには悪くない。
だが伯爵家の跡継ぎとして育てられたせいなのか気が強く、女のくせに自分の意見を通そうと主張してくるのがわずらわしかった。
ナターリアといい、アレクシアといい、生家の後継者に目されているような女はどいつもこいつも気が強い。
たまたま兄や弟がいないというだけで、自分も男と同等だと勘違いし、分不相応にも思い上がった女たち。
(まったく図々しい! これだから女に爵位など与えるべきではないのだ!)
王国法はなぜ継承順は男が優先としながらも、女にまで叙爵を認めているのか──とマティアスは怒りに駆られる。
まさに悪法としか思えない。可及的速やかに法改正すべきだと訴えたい。
娘しかいない貴族の家に男が婿に入ったなら、婿は「女当主の夫」と見なされるのも理解ができない。
その男を当主とすればいいだろう。その家の血を引く女よりも、他家からの婿だろうと男が当主を務める方がいいに決まっている。
もしもナターリアとの結婚によって、マティアスがクレーフェ伯爵となれるのであれば、我慢して婿に入ってやってもかまわなかった。
だが、婿入りして得られる称号はたかが「女伯爵の夫」だけだ。
妻の尻に敷かれるような、そんな情けない名称が、誇り高いマティアスに似合うはずがない。
たとえ家格は下であっても、自らヴァルテン男爵になる方がずっとマシだというものだ。
爵位は男が継ぐべきものだ。女は貞淑な妻として、男の後ろに控えていればいい。
爵位の重みや当主の責任を、低能な女などに担えるはずがないのだから。
だからこの私が正してやるのだ──とマティアスは息巻いた。
自分は何も間違ってなどいない。
誤った現実を、正しい状態に修正するべく立ち上がっただけだ。
リートベルク監獄は壊滅するが、マティアスの活躍によって窮地を救われる。
過失を問われた辺境伯家は没落し、アレクシアは地位を失うも、英雄たるマティアスに感謝し、保護と助力を求めてくる。
アレクシアが過去の非礼を謝罪し、マティアスに真実の愛を見つけることになるクライマックスのシーンまで、脳内では完璧なシミュレーションが組み立てられていた。
まさに完全無欠。十全十美の計画だった。
──それなのに。
(なぜだ!? なぜこうなる!?)
最強にして最凶の傭兵たちは今、あっさりと正体を見破られた挙句、こてんぱんに圧されている。
彼らならば確実にマティアスの計画を完遂してくれると確信したはずの精鋭たちは、その計画がまだ志半ばだというのに敗れ、気絶して、うず高く積み上げられている。
まだ倒されていない者たちもいるが、ユリウスとクラウスとマリウスのはだけた素肌に浮かぶ刺青を見ただけでおびえて震えあがり、すっかり戦意を喪失していた。




