第85話 もっと役に立ちたいんです
(……うちの管財人といえば……)
ルカはヴァルテン家を支える管財人たちの姿を思い浮かべた。
真っ先に思い出すのはモニカだった。
『ご婚約おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。ルカ様、本当にようございましたね』
先日実家に寄った時に駆けつけてきてくれた、鳶色の髪の女性。慎ましくて控えめな服装に、眼鏡の奥の丸い瞳。
ルカの婚約を疑いもせずに、モニカはやさしく祝福の言葉をかけてくれた。
温和で優しい雰囲気の女性だが、あれでもモニカは仕事となると、とてつもなく博識で有能なのだ。
「実家の管財人の中でも特に敏腕だったのは女性でした。モニカさんという方です」
「女性の管財人ですか? ヴァルテン家に雇用されるだけでも狭き門ですが、その中でも敏腕ということはさぞかし優秀なのでしょうね。一度お会いしてみたいです」
エヴァルトは興味深そうに言い、ルカは「きっとエヴァルトさんとも話が合うと思います」と笑顔で応じた。
モニカが王都の最高学府を首席で卒業し、ヴァルテン家に管財人として採用されたのは数年ほど前になるだろうか。
鳴り物入りで登用されたモニカは、人あたりこそ柔らかかったが仕事ぶりは期待以上で、すぐに男爵家の維持に欠かせない人材になった。
ルカは普段から本邸ではなく使用人棟で寝起きしていたこともあり、モニカともすぐ顔見知りになった。
ルカがモニカの仕事に興味を持つと、彼女は快く勉強を教えてくれた。
モニカの私物の本や学生時代のテキストを借りながら、男爵家の営む事業の経営について学ぶ時間は、彼女が結婚を機に使用人棟を離れ、夫との新居に移り住むまで続いた。
もしも経営の勉強をしているところをヘルミーネに見られたなら、ルカはきっと激しく叱責されたことだろう。
──私生児のくせに生意気だ、と。家の乗っ取りでも企んでこんな僭越な真似をしているのか──と。
しかしヘルミーネは財産を使うことには熱心でも、管理や運用には関心がなかった。
自分はひたすら消費するのみで、金を増やすのは他者の役割だと決めつけていた彼女は、使用人棟には顔を出すこともなかった。
成果さえ上げていれば現場など気にかけることもなかったおかげで、ルカはこっそりとモニカたちに師事することができたのだ。
現場を気にかけることがなかったのはヘルミーネだけではない。
恥ずかしながら、当主である父のアウグストも、後継者である弟のマティアスもそうだった。
男爵家の管財人たちがよく「旦那様やマティアス様が、ルカ様の半分でも実務に興味を持ってくださればいいのですが……」とため息まじりに嘆いていたのを覚えている。無気力な父と無関心な弟で本当に申し訳なかった。
彼らからは「ルカ様、どうか大人になったらマティアス様を助けてさしあげてくださいね」とも何度か頼まれた。
マティアスの才覚に不安はあれど、私生児のルカが当主になれないことは承知だったのだろう。
せめてルカに弟を補佐してほしいと願っていたようだが、モニカがぽつりと「それにはマティアス様がルカ様の意見に耳を傾けてくださらなくてはいけないですよね……」とつぶやいたら、全員が頭を抱えていた。
あのマティアスがルカの意見など聞き入れるはずがないことは、誰の目にも明らかだったのだ。
(つくづく、男爵家を支えてくれていたのは彼らなんだな……)
ルカはしみじみと実感する。
ヴァルテン家の屋台骨を支える精鋭たちが、みんな善人ばかりだったのは幸運だった。
彼らはその気になれば、ヴァルテン家の富を着服することもできたのだ。
主人である男爵夫妻と跡取り息子の無能をいいことに、隠れて資産を横領し、自らの私腹を肥やすこともきっと可能だった。
それなのに彼らは誠心誠意ヴァルテン家に仕え、一意専心に働き、ルカのことさえ可愛がってくれた。
ルカは家族には恵まれなかったが、良心的な使用人たちに恵まれた。本当に感謝しかない。
──でも、とルカは顔を上げて、エヴァルトをまっすぐに見すえた。
「エヴァルトさん。僕は二度と男爵家に戻ることはありません。実家のために働くこともしません」
以前のルカはモニカたちに頼まれたこともあり、跡を継ぐことはできなくても生家を支える気でいた。冷たく当たられても弟を助ける気でいた。
でも、もうそのつもりはない。
「モニカさんと再会して思いました。僕はもう一度経営を学びたい。もっとアレクシア様の役に立ちたいんです」
掃除や料理や種々の雑務も大事な仕事だ。これからも決しておろそかにする気はない。
だが、もうそれだけでは足りない。
「僕には何もありません。だからといって自分の無力に甘んじて、手をこまねいているのも違うと思うんです」
できることなら、魔法の力がほしかった。
ルカには実は秘められた特別な超能力や、不思議な特殊スキルがあって、それを使ってリートベルクの抱える難問をちゃちゃっと解決して、民に感謝されてアレクシアにも必要とされて、なんやかんやあって二人はいつまでも幸せに暮らしましためでたしめでたし──。
そんな流れだったなら、楽だった。
しかし、子供みたいな幻想を抱いても仕方がない。
この世界に、魔法や超能力やチートなスキルはない。
守護してくれる天使も、助けてくれる妖精も、力を貸してくれる精霊もいない。
いないものはいないのだ。夢見たってどうしようもない。
だから、魔力ではない現実的な方法でアレクシアの役に立ちたい。
奇跡ではない堅実な手段で、リートベルクのために貢献したいのだ。
「僕は一生、アレクシア様のことが好きです。この想いを手放せる日は来ません」
四の五の言っても仕方ない。
好きなものは好きなのだ。
手が届かないとか、想っても報われないとか、わかっていても心は変わらない。
無情で残酷な現実を前にしても、この気持ちを捨てることなんて到底できない。
恋が叶わなくても、実らなくても、一番好きなのはアレクシアなのだ。
二番目に好きになれる人を他に探して、そっちで手を打とうなんて、器用な真似はルカにはできない。
別の女性に心変わりして、この恋を過去のものにできる日は決して来ない。
(何があっても、この想いは変わらない……)
そう確信できた。
だから、片想いでいい。
彼女の近くで生きられるだけでいい。
「リートベルクのために生涯を捧げたい。それが僕の目標です。ですからエヴァルトさん、これまで以上にこうした実務に関わらせていただけませんか?」
アレクシアにとって最も大切なのは、リートベルク領の安寧と領民の幸福だ。彼女が人生を賭して担う使命のために、ルカができる努力はすべてしたいと思っている。
「ルカ様がそこまで言っていただけるとは……」
エヴァルトは眼鏡のフレームを押さえて、思考をめぐらした。
ルカはアレクシアに愛を告白しておきながら、強引に想いを遂げようとはしない。
愛していることは偽らないのだが、自身の分はわきまえすぎるほどわきまえている。
本心と自制のはざまで耐えながらも、ただ愛する女性のためにできることを考え、模索している。
そして出した答えが「リートベルクのために生涯を捧げたい」なのだろう。
(……うーむ……)
メイドのマリーはルカの恋の成就を応援し、乳母のブリギッタは断固として反対しているが、エヴァルトはその中間だった。
ルカの人間性は好ましいと思っているが、さすがにアレクシアとの身分に格差があることは否めない。出自が劣ることを無視できるほど、貴族社会は簡単ではない。
結果としてエヴァルトはルカの恋路を邪魔するでもなく、後押しするでもなく、静観するという中立的な立場を取り続けている。
「実を言いますと、ルカ様。私は来月から昇格することが決まったのです」
「そうなんですか! おめでとうございます!」
それはつい先日、内示が出たばかりの話だった。
長らくリートベルク邸の執事を務めていた父のエッカルトが家令に昇格し、執事補佐だったエヴァルトが正式に執事に就任することが決定したのだ。
「ですから今のお申し出は、私にとっては願ってもありません。ルカ様、まずは私の元で働き、ゆくゆくはこの城の経営の一端を担ってみませんか? ルカ様が協力してださったなら、私としても大いに助かります」
「もちろんです! 精一杯努力します!」
晴れ晴れと誓うルカを見ながら、エヴァルトは遠い男爵家に思いを馳せた。
ルカがこの地に来てすでに一年以上。
その間にヴァルテン家側が長男を探すそぶりは一切なかった。
ルカ自身も実家には二度と帰らないと言っているのだから、男爵家は本気で長男を放擲し、ルカは完全に実家に見切りをつけたのだと思っていいだろう。
(この方をみすみす手放すとは、男爵家は実にもったいないことをしたな……)
だが、男爵家が後悔してももう遅い。
(──もはや乞われてもヴァルテン家に帰すつもりはない)




