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【受賞・書籍化】追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚れする  作者: 朝森さな
【本編】追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚する

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第81話 最新の研究

「何か面白いものはあったか?」

「はい。興味深い論文がありました」


 ルカは手元の報告書を繰ると、向きを直してアレクシアにさし出した。


「辺境伯がおっしゃっていたのはこれだと思います」


 リートベルクを出立する前に、ヴィクトルが見て来いと言っていた研究発表。


 手渡された書類にじっと見入って、アレクシアは不思議そうに青い目を(すが)めた。


「……医学論文……?」


 現在、各国で学者や研究者たちが特に力を注いでいる分野の一つが、医療技術である。


 かつては病気や疾患の原因については、その人間の運命なのだととらえる考えや、犯した罪への罰なのだと受け入れる思想が各国を席巻していた。


 教会に仕える聖職者たちは、疾病は天の思し召しなのだから甘んじて耐えるべきだと唱え、苦痛から救われる方法はただ一つ、神に許しを請うことだと民衆に説いていた。


 しかし時代が下るにつれ、栄養学の進歩とともに食事による療法が進み、薬草学の進化とともに投薬による治療が一般化してきた。


 人間は病や怪我を完全に克服することはできない。


 だが適切な知識と施術によって症状を抑え、緩和し、場合によっては治癒することもできる──という認識が一般的なものとなってきたのだ。


 医療についての研究は、日進月歩とはいかずとも、着実に歩を進めている。

 

 そして昨今、テュルキス王家が国費で抱える肝煎りの医師団が注目している治療法が、輸血という救命法だった。


 人間は多量の血液が体内から失われると死に至る。


 そこで健康な人間から患者へ血液を提供することで、失血死を防ぐことができるのではないか──という発想が生まれたのだ。


 アレクシアは首をかしげた。


「治療に際して輸血を用いるという考えは過去にもあった。実際に成功した例もある。しかし……」


 ある時、大怪我を負って多量の出血をしたことから、死に瀕している子供がいた。


 父親が治療を強く希望し、医師が父親自身から採った血液を、漏斗ろうとと細い管を通して子供に注入したところ、その子は一命をとりとめたのだ。


 万に一つも助からないほどの重症に見えた子供が、輸血によって回復した。

 この事実は、医術が大きく飛躍するきっかけになるかと期待された。


 しかし、ことは美談では済まなかった。


 輸血という方法に新たな医療の可能性を見いだした研究者が、類似の症例に対して積極的な輸血を行ったところ、成功例よりも失敗例が何倍も多く上回ったのだ。


 出血多量の患者が十人いたとして、輸血が成功するのはせいぜい二人か三人といったところ。

 

 アレクシアは記憶をたどりながら語った。


「それでも、放っておけば十人の患者すべてが死に至るのだから、二人や三人でも救えるのならば意義があるという意見もあった。だが……」


 血液を提供する方とて無傷ではない。

 自らの血管に穴を開け、苦痛を伴いながら血を分け与え、術後は重い貧血などの症状に悩まされる。


 それほどの献身を耐えても、十人のうち七人や八人もの患者に死なれてしまっては、虚しくなるのも無理はない。

 

 払う犠牲に対して、効果は見合わない。


 それがこれまで輸血の発想はあれども、実際に普及するには至らなかった理由だった。


 ルカは昂奮を抑えられない様子で、論文内のある箇所を示した。


「テュルキス王家お抱えの医師団が突き止めたのです。これまで知られていなかった、画期的な解決法を……!」


 古くから行われてきた一般的な治療の一つに、瀉血(しゃけつ)という方法がある。

 よどんだ血を抜くことで、体調を改善させるという治療法だ。


 血流の停滞していている部分をメスなどで傷つけて、悪い血を排出させ、血のめぐりを活性化し正常化させるという触れ込みだが、これが世界各国で非常に流行した。

 

 最近では瀉血に医学的根拠はないとする意見も増え、治癒効果はないとして施術をとりやめる医師も出てきたが、未だに効能を信じる者は多く、人気は衰えない。


 発熱でも咳でも頭痛でも腹痛でもとにかく何でも瀉血を行うというくらい、広く一般に普及していた。


 瀉血で抜いた血は病気の原因である悪い血とされ、すぐに廃棄されるのだが、これがたまたま混在してしまったことがあった。


 ある者から取った血液と、別のある者から取った血液がうっかり混じった結果、凝集の反応が起こったのだ。


 この偶然が、天啓につながった。


 テュルキス王国の医師はこの凝集反応に着目し、あえて他人どうしの血液を意図的に混ぜて攪拌かくはんさせた。


 その結果、凝集反応が起こる場合と起こらない場合があることを導き出したのだ。


 人間の血はすべてが同じではない。複数の種類があり、組み合わせによって凝集が起こりえる。


 この発見が、停滞していた輸血の方法の見直しと改善を促進させることになったのだ。

 

「こんなにも先駆的な研究がすでに進んでいるのか? 興味深いな……!」


 アレクシアは食い入るように論文を読みふけった。


 この論文に書かれていることは、テュルキス王国内のみでなく、広く他国でも流用できるのだろうか。同じ検証を行い、同じ成果をあげることが可能なのだろうか。


 様々な疑問が次々と浮かび、好奇心が刺激される。


「つまりこの発表の主旨に沿えば、これまでに起きたような輸血後の死亡事故を防げるということか?」

「はい、そういうことになります」


 正しい処置を行えば、血液の凝固反応を起こすことなく、患者は失血状態から回復させことができる。


 アレクシアの表情が高揚を孕んで、一段と明るくなった。


「なるほど、輸血か……。これは画期的だ」


 大量の出血が予想される状況は、何も病気や怪我だけではない。


 たとえば、女性の出産時もそうだ。


 出産はただでさえ母子ともに命がけであり、分娩中に出血過多に陥ることも少なくない。


 胎児が無事に誕生し、胎盤が正常に出た後でさえ、出血が止まらずに産婦が死亡する例が後を絶たなかった。


 もし出産に先立って、あらかじめ産婦の同意を得られれば、いざという時に輸血を行えるよう、前もって備えておくことができるのではないだろうか。


(ルカのお母様のような女性を……救うことができるかもしれない?)


 出産で女性が亡くなると言えば、他ならぬルカの実母がそうだ。


 医療技術がもっと発達したなら、彼女のような悲劇をもっと減らせるのではないだろうか──とアレクシアは痛む胸の中で思う。

 

 こと国防の最前線であるリートベルクにおいては、戦時における治療法としても活用できそうだった。


 戦死というと、合戦中にその場で負傷し、倒れたまま亡くなる姿を想像しがちである。


 だが実際は戦場で力尽きる人数よりも、負った傷が原因で、駐屯地や野戦病院において失血死する人数の方がずっと多いのだ。


 リートベルクは国防の要。他国が国境を脅かした場合、真っ先に戦場と化す最前線だ。


 衛生的で負担の少ない治療方法をしっかりと確立することができれば、有事の際、リートベルクの領内においても多くの傷病者を救えるということになる。


 まだ課題は多いものの、大いに希望を感じられる研究だ。


「ありがとう。ルカ」


 ──まただ、とルカは目をまたたいた。


 アレクシアが礼を言ってくれた。その一言だけで、報われた気持ちになってしまう。


 密かに悩んでいた憂いが消えて、もやもやしていた鬱屈が昇華されて、幸せな気持ちだけで心が満たされていく。


(……いい匂い……)


 好きな香りを感じて、ルカは陶然とした。


 人工的な香水ではない。清冽で品のある、彼女自身の香りだ。


 変態みたいだと自分でも思うが、指一本触れたりはしないから見逃してほしい。


 ──これ以上を願ったりはしないから、ただ……慕うことを許してほしい。

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