第80話 前途多難だな…
物思いにふけるリュディガーの横顔を、アレクシアがまっすぐな眼で見つめた。
「リュディ、教えてほしいのだが」
「何?」
「男を幸せにするのはどうしたらいいと思う?」
リュディガーは喉に骨が引っかかったような声を出した。美形で知られる王子にあるまじき失態である。
「あの……アレクシア? それはどういう……?」
「先日、ヴァルテン男爵夫妻に明言したのだ。ルカは私が幸せにすると」
「なんて?」
アレクシアが男爵家に招かれた経緯はリュディガーも知っていた。彼女が招待を受けた現場に一緒にいたからだ。
しかし訪れた先の男爵邸で、そんな愉快な展開になっていようとは予想もしなかった。
「男爵夫人の厚顔なふるまいが目に余ってな。思わず、もうルカには関わるなと言ってしまった。だが宣言はしたものの、恥ずかしながら具体的に何をしたらいいのかわからない。どうしたら彼を幸せにできると思う?」
「恥ずかしがるべきはそこじゃないと思うけれど……。それはその……けっ……」
異性を幸せにするといえば、結婚しかないだろう。
ましてや相手はルカ・ヴァルテンだ。アレクシアに恋していることが全身から伝わってくるような男だ。アレクシアとの結婚は、彼にとって幸せ以外のなにものでもないだろう。
「いくら君でもわかるだろう? 幸せにするといえば、普通……」
リュディガーがみなまで語ることなく、長い睫毛を伏せて目配せすると、アレクシアもうなずいた。
「やはり男爵夫人と次男を完膚なきまでに叩き潰すことだろうか」
「なんで?」
予想していた甘い答えを吹っ飛ばされて、リュディガーは端正なかぶりを振った。
「普通と言っただろう! どうして叩くとか潰すとかになるんだ?!」
「私もわかっている。現実的でないということは」
アレクシアは無念そうにため息をついた。
「あの男爵夫人は許しがたい恥知らずだし、令息はつける薬のない馬鹿息子だが、かといって大々的に潰せるほどの罪状はないのだ。社会的に抹殺できるほどの過失も足りない」
「抹殺する発想から離れてくれ……」
アレクシアは腕は誰よりも立つが、決して好戦的ではない。むしろ無用な争いは嫌う性格だ。他家を追い落としてより自らが高い地位を得ようという気概も乏しい。
そんなアレクシアが誰かを潰したいと言い出すなど初めてのことで、リュディガーは吃驚せずにはいられなかった。
(ヴァルテン男爵夫人はいったい何をしたんだ……?)
生半可な理由ではこうも物騒なことは考えないだろう。
男爵夫人がさぞかしアレクシアの怒りを買う言動をしたであろうことは、想像に難くない。
どんなに怒りに駆られようがリュディガーの威を借り、王族の権力を頼ろうとしないところは、いつもの彼女だが。
「……いいか、よく考えろ。ルカ・ヴァルテンは弟と元婚約者に裏切られても、私に断罪を求めなかった男だぞ。復讐が彼の幸福になると本当に思うのか?」
「それもそうだな。リュディの言う通りだ」
深く同意したアレクシアにリュディガーは、やっとわかったか、と胸を撫で下ろす。
「では謝罪だな。男爵夫人と令息が改心し、これまでの行いを誠心誠意詫びたなら、ルカはきっと喜んでくれると思う。問題はそんな殊勝なことを期待できるほど、常識のある母子ではないということだ……」
(あ、これはだめだ。鈍すぎる)
思わず抱えたリュディガーの頭に、かつてアレクシアに求婚した令息たちの姿が駆けめぐった。
最初こそ熱烈な求愛を押しつけながらも、すぐに彼女の強さに恐れをなし、手のひらを返し、捨てゼリフを吐いて去っていった男たち。
彼らがリートベルクの令嬢は野蛮だ粗野だ品性のかけらもない粗暴な姫君だと風評をばらまいたのは、ただの悔しまぎれで、負け犬の遠吠えでしかない。
だが彼らの愚行のせいで、アレクシアは自分を愛し続ける男などこの世にはいないと悟っているふしがある。
たとえルカ・ヴァルテンに愛を告白された過去があったとしても、彼の想いは長くは続かないはずだと──一時の気の迷いなのだから鵜呑みにしてはいけないと、本気でそう思っているのだろう。
したがって、アレクシアの中では自分との結婚こそがルカの幸福なのだという発想が生まれない。
彼が継母や弟への復讐より、よほどアレクシアと結ばれることの方を望んでいるだろうという考えに結びつかない。
(前途多難だな……)
やれやれと嘆息しながら、リュディガーはアレクシアとともに階段を登った。
***
二人が三階のルカの元へとたどり着いた時。
ルカはすでに机の前に立って、丁重に礼を取っていた。
「やぁ。ルカ・ヴァルテン」
「第二王子殿下にご挨拶申し上げます」
ようやく冷静さを取り戻してきたリュディガーは、興味深そうにルカを見る。
折り目正しく言う彼をながめていると、妙に悪戯心が湧きあがるのを感じた。
王子の従妹を目下悩ませている最中の男を少しくらいからかっても、罰は当たらないだろう。
「先日のパーティーの後、ヴァルテン家ではいろいろとあったようだな……。それにしても公爵家よりも先に男爵家を訪問するとは、君もなかなかいい度胸をしている」
「リュディガー、やめろ」
わざと意地悪そうに皮肉ると、アレクシアがさっと割って入った。
「私が行きたいと望んだんだ。ルカは嫌そうだったのに、私の意向を尊重してくれた」
アレクシアはリュディガーに向かってはっきりと告げ、恐縮しているルカを振り返った。
「ルカに無理をさせたことはわかっていた。本当は男爵家に行きたくはなかったのだろう?」
「それは……。でも、アレクシア様がかばってくださったので、何も嫌な思いはしませんでした」
ルカは一瞬口ごもったが、すぐに晴れ晴れと言った。
ヘルミーネから男爵邸に招かれた時とっさに、嫌だ、と思ったのは事実だ。
一年前に追放された時点で、二度と実家の門をくぐることはないと思っていたし、ルカとしても理不尽に虐げられ続けた場所にはもう帰りたくなかった。
それでも、アレクシアがいてくれた。
ルカが嘲られないよう、何度も矢面に立ってかばってくれた。
ルカのみならず、使用人たちにも累が及ばないように、しっかりと念を押してくれた。
とても嬉しかったし、はっきり言って惚れ直した。この人を好きになって良かった──と再確認するほどに。
「そういえば、リュディはここの入館許可を取っていないのだろう? 司書たちに悪いからもう出たらどうだ? エリーゼ伯母様によろしく伝えてくれ」
王子に対して帰れと言っているも同然の物言いに、不敬ではないかとルカはハラハラするが、リュディガーの方は気分を害した様子もなかった。美貌の表情を崩して、いたって愉快そうに笑っている。
「相変わらずだな。この私にそんな口をきく女性は君くらいだよ」
リュディガーに媚を売り、しなを作り、歓心を買おうと躍起になる令嬢はいくらでもいるが。
素のままでぞんざいに接してくる令嬢はアレクシアだけだ。
親戚として親しく育ってきたからこそ、遠慮も忖度もオブラートも存在しない、正直な距離感。
幼い頃からこのいとこの裏表のなさに親しんでしまったから、社交界での駆け引きには興味を持てないのかもしれない──と省みながら、リュディガーは秀麗な切れ長の緑眼を片方つぶった。
「またね。アレクシア」




