第78話 喜ばれると思います
なごやかな身内のお茶会がお開きになったのは、日がゆっくりと傾きはじめた頃だった。
まだ幼いクリストフが、母のシュテファニーの膝でうとうとと眠りに落ちる。
クリスティーナとクリスティーネの姉妹はしきりにアレクシアにまとわりついて、お姉さま帰らないで、とか、お願い泊まっていって、などとしきりにせがんでいた。
半泣きの二人を何とかなだめたあたりで、リュディガーに小突かれて冷やかされる。
「まったく、君はティーナとティーネを惑わせてどうするつもりだ。責任を取れよ」
「いや……私も目を覚ましてほしいと思っているのだが……」
クリスティーナとクリスティーネが慕ってくれるのは可愛いが、自分のせいで双子の良縁を妨げているとしたら申し訳ない。
困った顔をするアレクシアに、リュディガーはふと、ある人物のことを思い出した。
双子とは意味合いが異なるものの、もう一人、アレクシアに執心する者がリュディガーの身近にいるのだ。
「……アレクシア。先日のパーティーだが、本当に君は兄上とは接触しなかったのだな?」
「王太子殿下か? ああ、入場されたのは見かけたが、会話はしていない」
「それでいい。近付かないのがお互いのためだ」
異母兄である第一王子の顔を思い浮かべたリュディガーは白皙の美貌を険しく曇らせて、アレクシアに釘を刺した。
「くれぐれも兄上には絆されるな。頼んだぞ」
「わかっている。私も殿下の思惑に乗る気はない」
「兄上にも困ったものだ。まだ君をあきらめていないとはな……」
リュディガーがぼやいた時、シュテファンが庭園に戻ってきた。家令に命じていた馬車の手配がついたらしく、アレクシアを手招きする。
「アレクシア。リートベルク家のタウンハウスまで送るのでいいかい?」
「いえ、シュテファン叔父様。この後は大図書館へ向かうつもりです」
リュディガーは美貌の顔を訝しそうに傾けた。
「大図書館? 許可は取っているのか?」
「ああ。昨日も行ったんだ。ルカは今も行っている」
「ふぅん……」
リュディガーの声のトーンが落ちた。──ルカ・ヴァルテンと合流するつもりなのか。
「それなら同じ方向ね。ちょうどいいわ。一緒の馬車で行きましょう」
エリーゼが美しく微笑む。ちょうどいい、と言った意味はすぐにわかった。
「あなたにはお話があります、アレクシア」
──来たぞ、とリュディガーが薄く笑う。
「せいぜい叱られろ」
***
車体の扉が重々しく閉められる。
御者が手綱を取り、馬車がゆっくりと走り出した。
エリーゼが口火を切ったのは、別れを惜しむ公爵一家の姿が少しずつ小さくなり、やがて完全に見えなくなってからだった。
「それで、アレクシア。お話というのは、あなたにまつわる噂のことです」
優雅ながらも、威厳のにじむ物言いだった。
エリーゼと向かい合わせに座ったアレクシアは改めて姿勢を正し、彼女のとなりのリュディガーは母の静かな怒りの巻き添えになるまいとしているのか、わざとらしく視線を反らす。
「以前から、社交界であなたを揶揄する噂があることは──あなたも知っていると思うのだけれど」
今日のお茶会の席で話題にしなかったのは、クリスティーナやクリスティーネには聞かせたくない話だからだろう。
慕ってやまないアレクシアが社交界で好き放題に「粗野な田舎の野蛮令嬢」と嘲られていることを知ったら、双子はそろって激怒しかねない。
「私はこれまでどんな流言飛語がはびころうと、口を挟むことはせずにきたわ。でもね、あなたを貶める無礼な噂だけは看過できないの」
──噂の出所を突き止め、主犯はもちろんのこと、面白半分に吹聴する者たちにも相応の報いを受けさせたいと思っている、とエリーゼは静かに語った。
社交界の喧騒を好まないエリーゼは、表舞台に出ることは極めて少ない。
国王はエリーゼを深く寵愛しているが、エリーゼ自身は王妃と第一王子を立てて、常にごく控えめにふるまっている。
だがエリーゼはただの愛妾ではない。先代オステンブルク公爵の長女である。王妃にも劣らない名家の出身なのだ。
これまでは望んで権力の斧をふるうことはなかったが、エリーゼがその気になれば、彼女の力は貴族女性の誰よりも鋭い。アレクシアへのつまらない陰口など、エリーゼの一喝ですぐに終息させられるだろう。
「私は詳しく知らないのですが……その噂というのは、そんなに言われているのですか?」
「言われているよ」
尋ねたアレクシアに、リュディガーが即座に首を縦に振った。
「一昨日のパーティーに本物の君が登場して、少しは風向きも変わったかもしれないが。君はルカ・ヴァルテンとともに早々に退出してしまったから、交流していない貴族も多いだろう」
一昨日のアレクシアの登場は、参列した貴族たちに鮮烈な印象を残した。
ルカ・ヴァルテンと踊ったダンスも絵になっていて、周囲の注目を集めていた。
だがアレクシアは彼以外の男からのダンスの申し込みは一つも受けなかったし、エリーゼと私的な会話を楽しんだだけで、他の貴族とはろくに交流していない。
その後はなぜかマティアスが抜刀する騒動に発展し、ヴァルテン家に招かれて王宮を去っていった。
「……なんでそんなことになるんだ? 貴族の社交としては0点なんだが」
「すまない。つい……」
アレクシアは他の貴族とはほぼ交流することなく、まだ宴もたけなわという時刻に、ヴァルテン家に向かってしまった。
少しは心象を改めた者もいるだろうが、まだまだ「野蛮令嬢」の悪評をくつがえしたとは言いがたいだろう。
粗野で無教養な蛮人という風聞は、依然としてアレクシアに付きまとっている。
「あなたが私たちの親族だと知られていないのは、私が社交界に出ないせいもあるのだけれど。それにしても許しがたい噂だわ。私の可愛い姪になんてことを……」
エリーゼは完全に保護者の目になっていた。
無礼な噂が言いたい放題に流れていることを知りながら特に対処することもなく放置しているアレクシアを、くどくどと説教する。
「あなただけでの問題ではないわ。あなたはルイーゼの娘でもあるのよ。あなたが野蛮令嬢と揶揄されているなんて、ルイーゼが知ったならいったいどう思うかしら?」
「お母様が知ったなら……」
アレクシアは一瞬考えたが、きっと、と相好を崩した。
「きっと喜ばれると思います」
「そうね。そうでしょうね」
エリーゼも同調する。
自らの虚弱な体質をもどかしく感じていたルイーゼにとって、アレクシアが生まれつき健康で活発な娘であることは何よりの喜びだった。
幼いアレクシアが武芸の才能を開花させたことに誰よりも感動していたルイーゼなら、野蛮だの粗野だの噂されたところで侮辱だとさえ感じないだろう。むしろ健やかで闊達だと褒められたくらいに受け取って、天真爛漫に喜びそうですらあった。
「エリーゼ伯母様。私は何と言われても気になりません」
アレクシアはかぶりを振って、涼やかに言った。
エリーゼは国王の寵妃。エリーゼの影響力をもってすればアレクシアへの噂などいくらでも揉み消せる。調子に乗って悪評を広めた者に懲罰を与えることさえ可能だろう。
だが権力で発言を潰せば必ずや反感を招くことになるし、相手に謝罪させれば間違いなく遺恨は残る。
特に気にしてもいない噂の、求めてもいない反省と謝罪のために、エリーゼの敵を作ることなどアレクシアは望んでいない。
「価値観は人それぞれです。私は馬も乗るし剣も使うし弓も引きますが、それが野蛮だと思う者にとっては野蛮なのでしょう。別に他人の価値観まで変えさせようとは思いません」
面と向かって嘲ってくるなら良識を疑うし、その時はそれなりの対応を返すが、陰口程度なら好きにすればいい。悪評などいくら叩かれても死にはしない。
……だいたい他の令嬢たちが詩を詠んだり、刺繍をたしなんだり、お茶会を開いたりしている間、アレクシアは狼を射たり、熊を狩って解体したり、騎士や囚人たちを鍛えたりしているのだから、野蛮ではないと言い張るのも難しい。
領地のために必要だと思うからやっていることだが、淑女らしい行動かと問われれば自信はない。
「私が令嬢として失格なのは事実ですから。誰に何と言われてもいいのです。エリーゼ伯母様は私のために怒ってくださっている。伯母様のそのお気持ちだけで、私は充分です」
「アレクシア……」
エリーゼは麗美なため息をついた。
アレクシアの凛々しい顔立ちの中に、エリーゼの最愛の妹の、天使のような笑顔が重なる。
「……ルイーゼに似た顔で言わないでちょうだい。私はあの子のお願いを聞けなかったことなんてないのよ」
辺境伯家の令息だという、熊のような大男と結婚したいと言われた時も。さんざん反対はしたけれど結局は止められなかった。
あの熊男が誰よりもルイーゼを愛し、幸せにしてくれることはわかっていたから。
「ありがとうございます。エリーゼ伯母様」




