第77話 彼自身の強さなのか
「──公爵閣下」
執事がうやうやしく礼を取り、主賓が到着したことをシュテファンに告げる。
シュテファンは腰を上げた。
「エリーゼ姉上のご到着だ。出迎えに行ってくるよ」
「シュテファン叔父様。私も行きます」
席を立ったアレクシアの左右に、わたしもわたしもと挙手しながらクリスティーナとクリスティーネがまとわりつく。
「エリーゼ姉上、リュディガー殿下。ようこそお越しくださいました」
「エリーゼおばさま!」
「リュディガーお兄さま!」
シュテファンがにこにこと出迎え、双子の娘たちがまろぶように飛び出す。
エリーゼ妃こと、エリーゼ・フロレンティナ・ペルレブルクは上品に微笑した。
星をちりばめたように美しいプラチナブロンドが、庭園の緑のあいだを抜ける風に優雅に揺れる。
四十も半ばを過ぎているが、かつて若き日の国王を虜にしたエリーゼの美貌は今も健在だ。
「クリスティーナ、クリスティーネ。少し見ない間にまた大きくなったわね」
エリーゼはクリスティーナとクリスティーネの額に軽くキスを落とした後、まるで大輪の白薔薇がほころぶようにあでやかに、アレクシアに向き直った。
「アレクシア、またすぐに会えて嬉しいわ」
「私もです。エリーゼ伯母様」
そのままはしゃぐ双子に先導されながら、一同は公爵家の庭園に用意されたお茶会の席につく。
先代オステンブルク公爵の長女エリーゼと、息子である第二王子リュディガー。
次女ルイーゼの娘で、リートベルク辺境伯令嬢のアレクシア。
当代のオステンブルク公爵であるシュテファンと、妻のシュテファニー。そしてクリスティーナ、クリスティーネ、クリストフの三人の子供たち。
気の置けない親戚どうしの内輪の会は、肩ひじを張らない、のんびりとした時間になった。
最年少のクリストフも少しずつ場に慣れてきたようで、おずおずとアレクシアやリュディガーに近寄ってきてくれた。
アレクシアの前には、双子たちからあれもこれもと薦められた菓子が山のように積んである。食べきれないから手伝ってほしい、と耳打ちすると、クリストフはニコッと笑った。
アレクシアの手から直接クッキーを食べるクリストフは、まるで小鳥のヒナのようでとても可愛らしかった。
「ところで、アレクシア。一昨日のパーティーであなたのパートナーを務めていた令息は、今日は一緒に来なかったの?」
「ああ、実に爽やかな好青年だったな。私も話をしてみたかったのだが」
「母上、シュテファン叔父上。事前に聞いていたでしょう。彼は仮の婚約者ですよ。本物ではありません」
エリーゼが問い、シュテファンが同意し、リュディガーが口を挟んだ。
「アレクシアお姉さまのパートナー!? そんな方がいたの?」
「どんな人? リュディガーお兄さまよりも偉い? ヴィクトル伯父さまよりも大きい?」
クリスティーナとクリスティーネが悲鳴じみた声をあげた。
双子はまだ社交界に出る年齢ではなく、公式のパーティーに参加はしていない。
リュディガーは淡々と言い放った。
「男爵家の令息だ。地位は低いし、ヴィクトル叔父上に比べたらずっと小柄だな」
「じゃあ、だめ!」
「ぜんぜん、だめ!」
双子はそろって首を振ったかと思うと、声もぴったりそろえて、
「地位も背も低い男の人なんて!」
「お姉さまには似合わないわ!」
と、きっぱり一刀両断した。
容赦のない二人に、リュディガーは苦笑いする。
王子であるリュディガーより地位が上かつ、ヴィクトルより大柄な男など、国中探しても存在しないだろうに。
「だが、気骨はあると思う。初めて言葉を交わしたのは一年前だが、なかなか肝の座った男だと思った」
「リュディ。その話、先日も言っていた気がするが……詳しく教えてもらえないか?」
「そうか。君は知らないのか」
アレクシアが尋ね、リュディガーは秀麗な目をまたたく。
リュディガーは一年前に王宮のパーティーで起こった顛末について、簡潔に語った。
ナターリア・ハンナ・クレーフェが突然、婚約者だったルカ・ヴァルテンに婚約破棄を突き付けたこと。
かわりに新たな婚約者として登場したのが、マティアス・アウグスト・ヴァルテンであったこと。
王宮のパーティーで我が物顔で浮かれるマティアスとナターリアが目に余り、リュディガーが直々に彼らを叱責したこと。
「そんなことがあったのか……」
アレクシアは愕然とした。
ルカが婚約破棄されたことは知っていたが、両家の間で話し合って決まった話だとばかり思っていた。まさか寝耳に水の状態で、衆人環視の中、破談を突きつけられていたとは。
劇場の三文芝居ではあるまいし。それではルカの名誉も面目も丸つぶれではないか。
しかもあの弟お得意の「悪辣な兄に虐げられた」というデマ付きの寸劇だったというのだから、あまりにも酷い話だ。
「まぁ。王家が主催するパーティーの中で、婚約破棄の宣言だなんて……」
「うーん……大胆不敵というか、怖いもの知らずというか……」
シュテファニーとシュテファンが夫婦で顔を見合わせた。公爵夫妻である二人の入場は貴族の中でもかなり後半であるため、当時の騒動を直接目にすることはなかったのだ。
非常識な行動だが、これが婚約破棄ではなく婚約発表で、王族が行うのならばまだ話はわかる。
二年ほど前、国王が第一王子とアーレンブルク公爵令嬢との婚約を発表したのも、新年を祝うパーティーの中でだった。
第一王子はすなわち王太子でもある。未来の国王と王妃が初々しく添う姿は、集った王侯貴族たちから万雷の拍手と万歳の唱和をもって歓迎された。
「兄上と義姉上の婚約発表に感化でもされたのだろうか。それにしても浅慮だったが……」
リュディガーがため息まじりに言った。
皆に祝福された王太子夫妻の前例を真似たのかもしれないが、ヴァルテン男爵令息とクレーフェ伯爵令嬢は当然ながら王族ではない。事前の許可も一切得ていないのだから論外である。
「それでリュディが咎めたのか。よく処罰せずに見逃したな」
「ああ。ルカ・ヴァルテンの顔を立ててな」
「ルカの?」
一年前のパーティーの当日。当事者の二人はしどろもどろで話にならなかったが、たった一人、王子であるリュディガーにも臆せず声を上げた者がいた。
『国家の祝祭を汚すような騒ぎを起こしたこと、深くお詫び申し上げます』
そう弁護してまっすぐにリュディガーを見上げたのは、婚約者に裏切られ、弟に断罪されたばかりの「末端令息」だった。
『僕にとっては醜聞ですが、本人たちにとっては新たなる婚約の成立。今日のところは慶事に免じて、どうかお目こぼしいただけないでしょうか』
アレクシアは青い目をまぶしそうに眇めた。
「ルカらしいな……」
ルカの立場ならば、リュディガーの尻馬に乗って、弟と元婚約者を懲らしめようとしても良かったはずだ。
王族の権力を利用して、自分を裏切った二人を断罪させ、受けた屈辱を晴らすこともできたはずだ。
それなのに、ルカは驚くほど他人を悪く言わない。
自分を陥れた相手に報復しようともしない。
もっと怒っていいのに──と、こちらがもどかしくなるほどに。
(どうしてそんなに、清いんだ……)
ルカの生い立ちは悲惨といっていいのに、ルカは決して誰のせいにもしない。
無関心を決め込む実父を恨み、理不尽に虐げる継母を憎み、婚約者を奪う異母弟を嫌い、浮気しておいて開き直る元婚約者を罵っても無理はないのに。
ルカが誰かを呪う言葉を、アレクシアはこれまで一度も聞いたことはない。
あれほど贅を極めた豪邸の、あんな窖のような部屋に追いやられて。それでも彼は心優しい青年に育った。
(……どうしたら、あんなにも綺麗でいられる?)
ルカを慈しんだ使用人たちのおかげなのか。
それとも……彼自身の強さなのか。




