第75話 オステンブルク公爵家
二人で何冊も本を並べながら、夢中になって話し合う。
これは役に立ちそうだとか、これもきっと使えるだとか、この技術が導入できれば生産量も飛躍的に向上するがその前にあの問題とこの課題を先に解決しなくては継続が困難だ──とか、話は尽きない。
幸いここには多岐にわたる分野の専門書が所蔵されている。気になる点はすぐに関連書籍を探せるのも良かった。
ひたすら本を読み漁り、議論し、書きとめ、検討し、許可を得て写しを取る。
やがて司書がまもなく閉館の時間だと告げに来て初めて、二人は休憩を取ることさえ忘れて没頭していたことに気が付いた。
「うーん。名残惜しいな……」
アレクシアが無念そうに言った。
開館とほぼ同時に訪れたはずなのに、まったく時間が足りない。
積み上げた本と論文の山は返却の手続きを済ませたところだが、どれも時間が許すならまだまだ触れていたかった書物ばかりだ。
「ルカ。私は明日、オステンブルク公爵家に招かれている」
「はい。存じています」
オステンブルク公爵家はアレクシアの母ルイーゼの生家だ。ルイーゼが嫁して以降も親しく交流を続けており、それは彼女の没後も変わらない。
リートベルクの領地が遠い辺境地帯にあるため、そう頻繁に会うことは叶わないが、王都に来た際には必ず公爵家に顔を出すようにしていた。
「現在のオステンブルク公爵はお母様の弟。私にとっては叔父にあたる。公爵家の当主だが堅苦しい方ではなく、温厚でお優しい人柄だ」
温厚で心優しいのは、オステンブルク公爵家の家風かもしれない。亡きルイーゼの人柄もそうだった。
「ルカも来ないか?」
「えっ?」
「エリーゼ伯母様もお忍びでいらっしゃるし、リュディガーも来る予定だ。この機会に親交を深めておいて損はないと思う」
国王の寵妃であるエリーゼ妃。その息子のリュディガー第二王子。それに当代のオステンブルク公爵一家。
上流階級に縁故を作りたいと願う者なら飛びつかずにはいられない魅力的な面々だが、ルカは丁寧に感謝を述べてから、アレクシアの誘いを固辞した。
「それはできません。せっかくのご親族水入らずの席に、僕のような者が混ざるなど恐れ多いです」
もしもルカが本物の婚約者だったなら、遠慮する必要はないのだろう。むしろ堂々と参加し、しっかりとあいさつし、アレクシアを生涯大切にすると親戚一同の前で誓うべきだ。
だが、ルカは偽者だ。王宮のパーティーはすでに終わった。もうアレクシアにはかりそめのパートナーを伴う理由はない。
気のおけない親族だけのだんらんの場に、まがいものの婚約者が混じるのはさすが気が引ける。
ルカは読みかけの本を示して、晴れやかに笑った。
「僕は明日もここに来ます。この続きを学びたいんです」
そうか、とつぶやいたアレクシアは、それ以上無理に誘いをかけることはしなかったが、どことなく寂しそうだった。
***
翌日の朝。リートベルク家のタウンハウスには、早朝から瀟洒な馬車が待機していた。
オステンブルク家の方からアレクシアのために、わざわざ迎えの馬車を寄越したのだ。
「叔父様の心遣いに甘えさせていただこう」
公爵家らしい優美な白い馬を撫でながら、アレクシアは軽く笑う。
「我が家の馬車はルカが使うといい。昨日の司書にも話は通っているはずだ」
「はい、ありがとうございます」
白馬が優雅に毛並みをなびかせながら、オステンブルク公爵家へと戻っていく。
遠ざかる馬車を見送りながら、アレクシアは辺境伯の娘であるだけではなく、公爵の姪でもあるのだ──とルカは改めて痛感した。
さらに伯母は国王の寵愛を受ける妃で、いとこは王子。アレクシア自身は王族ではないが、王家の外戚に連なる高貴な身分と言っていい。
(……最下級の男爵家の、それも庶子でしかない僕とは身分が違いすぎる……)
昨日は日がな一日、図書館で本や論文を読みふけりながら二人でああでもないこうでもないと話し合ったのが、本当に楽しかった。
ただ幸せで、有意義なひとときで、まるでアレクシアとの距離が縮まったかのように錯覚してしまうが、そんなことはない。
二人の間には変わることなく、厳然とした階級の差が存在している。
アレクシアが優しいから、つい勘違いしてしまいそうになるが、思い上がってはいけない。
彼女はルカの手の届く存在ではない。
決して触れることはできない、高嶺の花なのだ。
気を引き締めて、ルカは再び大図書館へと向かった。
連日に及ぶ閲覧許可を得ることができたのは、アレクシアの口利きがあったおかげだが、前日の滞在でルカが行儀の良い利用客だと伝わったためもあるらしい。
昨日の今日だけあって、司書たちはルカの顔を覚えていてくれた。
熱心に読書や研究に打ち込む利用者は、図書館側としても歓迎らしく、司書たちも親切に接してくれる。
「ヴァルテン男爵令息。こちらをお使いください」
昨日通されたのは二階にある半個室だったが、今回はルカ一人ということで、案内されたのは三階だった。
書架と同じ飴色をした長机に、椅子が等間隔に並び、自由に本を閲覧できるようになっている。
まずは昨日の続きから論文をさらいはじめて、さらに詳しく読み込んでいく。
昨日気にかかっていた点に関する有益なデータや、裏付けとなる記述を見つけて、ルカはほくほくと目を細めた。この情報はアレクシアもきっと欲しがるはずだ。
数時間ほど、そうして本に囲まれて過ごした頃だった。
関連書籍を探しに一階に降りた際。ふと、ある論文に目が留まった。
「あ、これは……」
それはつい先日、テュルキス王国お抱えの医師団が共同で上梓したばかりの論文だった。吸い寄せられるように手に取って、ルカは瞠目する。
「これだ……辺境伯がおっしゃっていたのは!」
二人が王宮のパーティーに参加を決めた日。
ルカがアレクシアのパートナーとして同行する許可を求めた際に、ヴィクトルは苦虫を千匹くらい嚙み潰した顔で不承不承、許可を出した。その際に言っていたのだ。
『先日、面白い発表があったようだ。ちょうどいい。そちらにも目を通してきてくれ』
急いで本の閲覧の許可を取り、ルカは自席へと戻った。ページを繰るのももどかしいほど夢中で読み込む。
「こんな画期的な研究があるのか。凄いなぁ……!」




