第68話 肖像画
食後はサロンへと移った。
壁一面に金箔をちりばめたサロンは、絢美の一言に尽きる。
テュルキス王国風で統一した調度品は、壺も瓶も瑪瑙を彫った置物も、すべて一流の品ばかりでそろえていた。
透かし彫りの衝立が立てかけられた脇に、赤い布張りの椅子が人数分用意されていた。中央には木目調が美しい円形のテーブルが置かれている。
机上は装花で飾られ、すぐに焼きたての小菓子や様々なセイボリーがワゴンに乗せて運ばれてくる。
ヘルミーネが顎を引き、視線で命じると、侍女がうやうやしく茶を淹れ始めた。
特別な伝手を使って調達した秘蔵の葉が、白磁のポットの中にふわふわと泳ぐ。黄緑色に抽出された茶がカップに注がれて、花のような芳香を放った。
「テュルキス王家御用達の茶葉を取り寄せましたのよ。お気に召すと良いのですけれど」
「ありがとうございます。男爵夫人」
アレクシアは物音ひとつ立てず、優雅に茶を喫する。
硬い表情のままのルカに対して、アレクシアは終始落ち着き払っていた。
飾られた調度品の一つ一つ、手に持ったティーカップの一脚さえとてつもなく値の張る品であることを感じつつも、物怖じはしない。価値を正確に理解しつつも、委縮はしていない。
アレクシアの堂々とした立ち居ふるまいが、恐悚としてばかりのルカにはひたすらまぶしかった。居心地が良いとは言えないこの家で、彼女の存在だけが心強い。
「先ほどから思っていましたが、見事な肖像画ですね」
カップをソーサーに置いて、アレクシアは視線を上げた。
先ほどのダイニングホールにも、このサロンの壁にも、さらには途中の階段や長い回廊の至るところにも、大ぶりの肖像画が多く飾られている。
ヘルミーネは誇らしげに胸を張った。
「ええ、有名な画家を呼んで描かせましたの」
絵画に描かれているのはマティアスだった。
アウグストやヘルミーネの姿を描いた絵もあるが、大半はマティアスがモデルになっている。
彼の生まれた時から現在に至るまでの成長をつぶさに追った構成になっていて、ざっと数えても二十は下らない数がありそうだった。
絹の産着にくるまれた、乳児のマティアスの絵。
丈夫に育つようにとの風習だろう、女児の服を着た幼少期の絵。
将校のような軍服を身に付け、勇ましい勲章やサッシュを肩に掛けた少年時代の絵。
どの肖像画も立派な額に装丁され、まるで美術館のように等間隔に並べられていた。
「リートベルク嬢にお褒めいただいて光栄ですわ。私もとても気に入っておりますのよ。我が子の成長は大切に記録しておきたいものですもの」
高名な画家に依頼したというだけあって、どの絵画も見事な筆致だった。
発色が褪せることなく鮮やかなのは、高価な顔料を惜しげもなく使っているからだろう。
「そのようですね。私の父もよく母と私の肖像画を描かせていました」
「辺境伯もそうでしたのね。わかりますとも、それが親の愛というものですわ」
「ええ、夫人のまぶしいほどの愛情を感じます。まるでこの家には、ご子息は一人しかおられないかのようだ」
アレクシアが指摘し、ヘルミーネはようやく自らの失態を悟る。はっと口元を押さえて、
「ルカは肖像画が嫌いでしたの!」
と、何も聞かれていないのに、甲高い声を大きく張り上げた。
「私はルカの絵も描いてもらおうとちゃんと言ったのですよ? 家族なのですから、当然のことですわ! で、でもこの子はちっとも言うことを聞かなくて……」
「そうですか」
「ほら、小さな子供はじっとできないものでしょう? ルカもそうだったのです。大人しくモデルになってはくれなくて、画家も匙を投げてしまったのですわ!」
アレクシアは黙ってルカに視線を向けた。
ルカが小さく首を振ると、それだけでアレクシアは察してくれたようだった。
言うまでもなく、ヘルミーネがルカの肖像画を描かせようとしたことなど一度もない。
顔を見ることさえ嫌がって疎んじていた継子の姿を、彼女がわざわざ描き残そうとなどするはずがなかった。
ナターリアとの婚約話が浮上した時も、本来ならば当人たちの姿を描いた肖像画を両家で交換するのが慣例だったのに、ヘルミーネは許さなかった。
──そんな手間をかけるのは無駄だ、と一蹴し、ナターリアの肖像を持ってきた仲介人にもすげなく突っぱねたため、仲介人は不服そうにルカを睨んでいた。
それに、肖像画を描いている間にじっとしていられなかったのはマティアスの方だ。
子供のころはよく、画家が少し筆を進めただけですぐに退屈だと騒ぎ、もう嫌だと泣きわめいては逃げ出そうとしていた。
ヘルミーネが菓子やら玩具やらを際限なくマティアスに与え、無理矢理なだめすかしていたのを、何度も見たことがある。
「ルカは大きくなってからも反抗的で、いくら言っても私たちと一緒に肖像画に収まることはしてくれなくて……とても辛かったですわ……」
ヘルミーネはいかにも悲しそうにハンカチを手折って、目元を拭った。
夫の婚外子にも優しく接した寛大な正妻と、その慈愛の心も理解せずに反抗してばかりいた、癇癪持ちの継子。
そういう設定でいくことにしたのだろう。ぺらぺらと紡がれる言葉は語るほどに脂が乗ってきて、真に迫る勢いだ。
「私が継母だからいけないのです。なさぬ仲だから、ルカはなついてくれなかったのです……。私がいくら歩み寄っても心を開いてくれなくて、どんなに悲しかったことか……」
ヘルミーネは肩をふるわせて、弱々しく嘆く。
芝居がかった口上は、あのマティアスの口ぶりと瓜二つで、アレクシアはあきれるしかなかった。
なさぬ仲だと言っているが、ルカは生まれてすぐに母を亡くしている。実母との思い出など皆無のはずだ。
物心つく前の赤子の頃から同じ屋敷で暮らしていながら、ルカが心を開かなかったとしたら、それは男爵夫人の側の力不足だろう。
なついてもらえなかったとぼやいたところで同情の余地などないのに、どうしてそんなわざとらしい作り話で、アレクシアの歓心を得られると思うのか。
空涙とわかっていても、目の前でよよと泣かれるのは鬱陶しい。──男爵夫人、と声をかけようとした時だった。
サロンの扉を叩く音がした。
執事が一礼をして入ってくると、ヘルミーネにそっと耳打ちする。
「奥様。客室の用意が整いました」
「あら、そう」
ヘルミーネはけろっと顔を上げると、含み笑いを浮かべた。
「辺境伯令嬢。さぁ、ご案内いたしますわ」
「男爵夫人。その前に、ルカの部屋を見てみたいのですが」
ヘルミーネの張りつけた微笑がにわかに凍り、額には青筋とともに汗がにじんだ。
「……ルカの部屋……ですか?」
「ええ。婚約者の過ごした部屋を見てみたいと思うのは普通のことでしょう? 婚約者と言っても結婚前ですから、むろん同室に泊まると言っているわけではありません。私はお心遣いに甘えさせていただきますが、ルカはきっとなつかしい自分の部屋で過ごしたいはずです」
「ルカの部屋は……その……もうないのです」
「どういうことですか?」
「実は……もう片付けてしまいましたの」
「片付けた?」
アレクシアは不思議そうにくりかえし、ヘルミーネを見据えたまま首をかしげた。
貴族の子女は結婚などで実家を離れることがあっても、使っていた部屋はしばらく残しておくことが多い。
嫁ぎ先が近くであれば何かの折に実家に顔を出すこともめずらしくないし、たとえ遠く離れた領地に移り住むことになった場合でも、社交シーズンが訪れたり公式のパーティーが開かれれば実家に宿泊することもある。
その際に心おきなく使えるようにと、整えた自室を確保しておくのだ。
もちろんいつまでも部屋を取っておくというわけではなく、主人が代替わりすれば一新されるし、疎遠になったり本人が亡くなったりすれば当然、別の者に明け渡す。
ルカはまだ正式に他家の人間になったわけではなく、未婚の身だ。
一年間ほど不在にしていたとはいえ、当主の長男である彼の部屋を早々に処分してしまうなど通常ならば考えられない。
部屋数が足りないならばともかく、ヴァルテン家はこれだけ広い豪邸だ。空き部屋もふんだんに余っていることだろう。
「……ルカはクレーフェ伯爵令嬢に婚約を破棄されたことで自棄を起こし、自分からこの家を出ていってしまったでしょう? ですから戻ってきた時にまだ部屋があれば、過去のことを思い出して傷つくのではないかと心配して……。そう! すべてこの子を案じてしたことなのですわ!」
ああ言えばこう言う──とアレクシアはあきれたように乾いた笑いを洩らした。
婚約者に捨てられたことと、部屋をさっさと畳むことに何の関係があるのか。
むしろ息子が傷心だからこそ、いつ帰ってきても安らげるように、自室はそのままにしておくのが親心というものではないのか。
そう問い詰めても堂々めぐりになりそうで、そっとアレクシアが嘆息すると、ルカも困ったように苦笑いしていた。




