第67話 男爵邸での晩餐(2)
「それにしても、ルカがまさかリートベルク辺境伯令嬢と婚約していたとは……」
口直しのシャーベットが運ばれてきた頃。ヴァルテン男爵アウグストは、物憂げに閉ざしていた口をようやく開いた。
「まったく存じ上げず、礼を失してしまいました。どうぞお許しください」
「いいえ。ヴァルテン男爵」
アウグストをまっすぐ正面から見返しながら、アレクシアは密かに思った。
(男爵はやはり父親だけあって、ルカと顔立ちが似ているな……)
アウスグトは積年の疲労の色が濃いのか、重たげに隈どられた、陰鬱な翳を宿していた。
今日は王宮で開かれるパーティーのために念入りに身支度を整えているが、それでも生気や覇気といったものに乏しく、薄暗い幽鬼のような印象を与える男だ。
と同時に、若い時分は颯爽とした美青年だっただろうと思わせる面影も残っている。
アウグストの金髪はルカよりも色素が薄く、伏し目がちの瞳は暗さと湿っぽさが勝るものの、しゅっとした輪郭のラインはどことなく父子で通じるものがある。
ルカの方がずっと明るい生命力にあふれているが、隠しきれない品の良さは共通していた。
ヴァルテン男爵家は元を正せば民間の商家の出。
血統的に劣る点を社交界で侮られると自覚していたヴァルテン家は、代々の当主の妻には格上の貴族の家から令嬢を迎えてきた。
初代当主にこそ苦楽を共にしてきた平民出身の糟糠の妻がいたが、その息子である二代目当主の妻は男爵令嬢、三代目当主の妻は伯爵令嬢だ。
この伯爵令嬢とはアウグストの母で、ルカとマティアスの祖母である。
彼女の実家の伯爵家は強い権勢こそ持たない、控えめで目立たない貴族だったが、血筋はきわめて由緒正しい名家だ。
その母方の高貴な青い血を濾して集めたような気品と繊細さを、アウグストは強く受け継いでいるように思われた。
「そ、そうですわ。婚約しただなんて思いもしませんでしたわ。ルカときたら何も知らせて来ないのですもの。本当に昔から私に冷たくて、薄情な子で……」
「ご報告が遅れて申し訳ありません。私たちの婚約が決まったのはごく最近のことなのです」
ぶつくさと愚痴をこぼし始めたヘルミーネを、アレクシアは涼しい顔で遮った。
ルカはとなりでこくこくとうなずくことしかできない。
「ちょうど建国記念パーティーの行われる時期。ならば王都に登った際にヴァルテン男爵夫妻にお会いして、直接ごあいさつするのが筋でしょう。事前に知らせるのはかえって無粋ではないかと、私が提案しました」
「騙されてはいけませんわ、辺境伯令嬢」
「騙す?」
ヘルミーネは口角を上げ、眦をきつく尖らせた。ルカをなじる時いつもそうしていたように。
「ルカは正直にお伝えしていないのですね。出自を偽って令嬢に取り入ったのでしょうが、そんな不誠実な真似を看過することはできませんわ。私から真実を申し上げます。この子は生粋の貴族ではありませんの。ルカは夫の私生児で、生みの母は卑しい平民の……」
「ええ、もちろん存じています。ルカは初めて会った時から出自について教えてくれました」
アレクシアに澄ました顔でいなされて、ヘルミーネはぐっと言葉を飲んだ。
婚約者だと言っているにも関わらず、ルカを貶めることはヴァルテン家にとって得策ではないはずだが、ヘルミーネの中ではもうルカを下げるのが癖になっているのだろう。
ルカを持ち上げるようなセリフは口が裂けても言えないらしく、むしろ故意にアレクシアに悪印象を植え付けようとしているかのようだった。ルカの婚約など破談になればいい、と願っているふしすらある。
「……リートベルク家のような血筋正しい名家の令嬢が、一時の気の迷いに惑わされてはいけませんわ。下賤な庶民の血を引くルカが、偉大な辺境伯家に釣り合うわけがありません。私はあなたのためを思って……」
「ヴァルテン男爵夫人。下賤かどうかは生まれついた身分や階級で決まるものではなく、その者の人品骨柄でしかありません」
さらりと言ったアレクシアを、ヘルミーネは衝撃と怒気とがないまぜになった目で見た。
空いた皿を片付けようとしていた給仕までもが硬直して、食い入るようにアレクシアの言葉に耳をそばだてている。
「現在のノルトハイム侯爵も先代侯爵の庶子でいらした。ですが零落していた侯爵家を一代で立て直し、名家と称えられるまでに再興させた辣腕家でもあります。侯爵のめざましいご活躍は、生まれに関係なく能力のある者は頭角を表すという証左でしょう。ルカも優秀で、我が家をよく助けてくれています。彼の出自を下賤だと思ったことはありません」
「……そ、そうですわね……」
滔々と述べられて、ヘルミーネは引きつった笑いを浮かべた。
以前、クレーフェ伯爵もノルトハイム侯爵の名を引き合いに出していた。
私生児として生まれながら貴族社会で成功を収めた者といえば真っ先に思い浮かぶ人物ではあるが、ヘルミーネに言わせればどれほど英名を馳せようが私生児は私生児だ。
卑しい平民の母を持つ者を当主の座に据えたのは、前侯爵に他に子がおらず、背に腹は代えられなかっただけだ。
現侯爵が手腕を発揮して生家の再建に成功したのは事実だが、それも金勘定を得手とする卑しい庶民の癖が、たまさか時流に乗って上手くいっただけに過ぎないのに。
(なによ! ノルトハイム侯爵なんてどうでもいいわ!)
内心で毒づきながらヘルミーネはハンカチで口元をぬぐい、顔をそむけた。




