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【受賞・書籍化】追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚れする  作者: 朝森さな


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第61話 マティアスとアレクシア(2)


 マティアスは子供の頃から、兄の大切にしているものは何でも奪いたくなる性分だった。


 といっても、卑賎な生まれの兄が高価なものを持っていたことなどない。


 せいぜい安っぽい服や粗末な本、つまらない雑貨のたぐいだが、兄が持っている時は不思議とそれらが魅力的に見えてくるのだ。


 だが、兄から力ずくで奪い取ったり、母に言い付けて強引に取り上げると、まるで魔法が解けたかのように、元の安っぽくて粗末でつまらないガラクタに戻ってしまう。


 ナターリアも同じだった。彼女のことは兄の婚約者だったから惹かれただけで、略奪に成功したらすぐにどうでもよくなった。


 捕らえた獲物に興味を失ったマティアスの目には、今も新たな獲物しか見えていなかった。


 辺境伯家の姫君──アレクシア・ルイーゼ・リートベルク。


 兄が彼女を大切そうにエスコートすればするほど、愛おしそうに見つめれば見つめるほど、ますます欲しくてたまらなくなる。奪いたくて振り向かせたくて、我慢できなくなる。


 ごくりと喉を鳴らして、マティアスはアレクシアに近づいた。


 簡単なことだ。兄がマティアスを中傷する内容を吹きこんだというのなら、自分も同じことをすればいい。


「……兄上は長男であることを盾にして、いつも私を虐げていたのです」


 人けのない回廊に出るやいなや、マティアスはぺらぺらと話し始めた。


「兄上が私にどれほどむごい行いをしてきたか、絶舌に尽くしがたいほどです……」


 アレクシアは黙って耳をそばだてる。


 暴露されるルカの「悪行」は、いかにも大げさな語り口だが、中身は実がなくて薄っぺらい。


 さわりを聞いただけでも明らかに嘘くさいとわかる話を饒舌に語るマティアスの、すっかり悦に入った顔を、アレクシアはあきれた目で見つめた。


(……庶子のルカが、正妻の子を虐げていた? そんな虚言をなぜ信じると思うのだ?)


 いや。おそらくクレーフェ伯爵令嬢はこの話を信じたのだ。その成功体験がこの男をますます増長させた。


 初めて出会った時の、ルカの質素な出で立ちを思い出す。


 あんな貧相といっていいほど痩せた兄が、これほど華美に着飾った弟を虐げていたなど片腹痛い。


 また、この一年間を共に過ごしていても、ルカからは一度も弟を悪く言うのを聞いたことがない。


 それなのに今日会ったばかりのこの弟は、ルカをけなす発言をくりかえしている。どちらが人として信用に値するかは、自明の理だろう。


「……このような身内の恥をあえてさらしたのは、ただあなたを思ってのことなのです。リートベルク嬢、あなたが兄の婚約者とお聞きして、私はいてもたってもいられませんでした……」


 アレクシアの沈黙を、感激に言葉も出ないのだろうと解釈して、マティアスの口はさらに脂が乗ってくる。まるで俳優のような熱演ぶりだ。


「あなたのような美しい女性が、悪辣な兄に騙されることが許せない。あなたが兄の本性を知らずに結婚して苦しむのを見過ごすことなど、私には決してできない……!」


 ちょうど大広間からは新たなワルツの演奏が流れてきた。マティアスが特に得意とする曲だ。


「私はどうなってもいいのです。ただあなたを救いたい……」


 ──完璧なタイミングだ、とマティアスはほくそ笑んだ。


 辺境伯令嬢の手を取り、ダンスホールへと舞い戻ろう。


 下賤な兄とのダンスすらあれほど周囲を釘付けにしたのだ。高貴なマティアスと踊ったならば、どんなにか皆が振り返り、パーティーの主役にふさわしい注目を集めることだろう──。


「どうか一曲、私と踊ってはいただけませんか?」

「嫌だ」


 きっぱりとアレクシアは拒否した。


 もはや敬語すらも使いたくない。敬意を払う価値などこの男にはない。


「そうやって事実無根の嘘を並べ立てて、クレーフェ伯爵令嬢をたばかったわけか。騙される伯爵令嬢も大概だが、そなたもつくづく性根が悪いな。このような弟を持ったルカが気の毒だ」

「は……!?」


 マティアスは硬直した。


 女性が自分を拒絶しただけではなく、ルカを擁護している。


 これは現実なのだろうか。悪い白昼夢なのではないか。信じられない。信じることなどできはしない。


 何が起こっているのか理解することができなくて、マティアスはギリギリと歯噛みした。


「なぜ私の言葉を信じないんだ!」

「なぜそなたの言葉を信じなくてはならない」


 怒鳴った声に、アレクシアが冷たく返す。


「私はルカを信頼している。ルカを貶めるそなたの発言は聞くに堪えない」

「なっ……!」


 マティアスは整えた髪をぐしゃぐしゃに乱して、激しく狼狽した。


「なぜ……!? そんなはずは……!」


 兄を信頼している、だと? 信頼とはなんだ?


 兄が正しいかどうかなど関係ない。マティアスが白と言えば白、黒と言えば黒──そういうものだ。実家ではそれが当たり前だった。ずっとそうやって育ってきたのに。


「こんな侮辱を受けるのは初めてだ!」


 マティアスの高いプライドが首をもたげる。


 初めて女性に否定された混乱。

 嘘を見抜かれ指摘された焦燥。

 出来損ないのくせに辺境伯令嬢に認められる兄への嫉妬。

 そして、性根が悪いなどと誹謗中傷された屈辱。


 すべてが今まで味わったことのない苦い感情で、マティアスは愕然とした。


 頭が回らなくて、何も考えられない。ただ目の前の辺境伯令嬢を見返したくて、この状況を今すぐひっくり返したくて、暴れ出したくてたまらなかった。


「くっ!」


 衝動的に手袋を脱いで投げつけそうになったが、かすかに残った理性でかろうじて堪えた。


矜持きょうじだけは高い男だな……)


 アレクシアの脳裏にふと、予感のような考えが去来した。


(……これは……少しつつけばボロを出す……か?)


 見え見えの噓を臆面もなく並べてくるあたり、この男の思慮は浅そうだ。


 この男自ら人目につかない場所に誘導してきたのは、好機なのかもしれない。


 ちらりと視線をやった回廊の壁に、年代物の剣が飾られているのが見えた。湾曲した(つば)に芸術的な装飾を凝らした、アンティークの長剣だ。


 王宮で騒ぎを起こすのは本意ではないが、それよりもこの厚顔無恥な男を自滅させてやりたい気に駆られた。

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