第59話 ルカとナターリア(2)
ナターリアは喜色満面の笑みを浮かべた。
「ルカ。やっぱりあなたはあの傲慢な女と婚約なんてしていなかったのね」
ナターリアに対して、自分の家の方が格上だなどど突き付けてくるような高慢ちきな女が、男爵家の私生児であるルカを本気で婚約者に選ぶはずがない。
きっと偽りの関係なのだろうと踏んでいたが、やはりそうだったのだ。
「でも、どうして……? 本物の婚約者なんかじゃないのに、あなたはなぜ嘘をついてまでこのパーティーに来たの……?」
ルカはリートベルク辺境伯令嬢の婚約者だと偽って、このパーティーに参加した。おそらくルカの方から頼み込んだのだろう。
傲慢で野蛮な辺境伯令嬢も、男に相手にされないせいでパートナーを欠いていた。だからルカの申し入れを受諾した。
二人はこのパーティーの日だけの仮の婚約者であって、本当に想いあってなどはいないのだ。
なぜルカはそんな偽装工作をしてまで、このパーティーに参加したかったのだろう──?
そう考えをめぐらせたナターリアの顔は、にわかに感激を孕んだ薔薇色に染まった。
「そんなに私のことが……忘れられなかったの……?」
「え?」
この日のパーティーがルカにとってなんであるか。考るまでもなくすぐにわかる。
ナターリアを奪われた場所だ。
ここは一年前、ナターリアとルカが婚約関係を解消した場所なのだ。
だからルカが舞い戻ってきた理由など一つしかない。
あの日の敗北を返上し、失われた愛を挽回するために決まっている。
「あなたはそんなにも……私のことを愛しているのね……」
「いや、ちょっと待って……!」
「別れたあの日のこと、あなたはずっと覚えていたのね。だから一年後の今日、私をマティアスから奪い返すために、リートベルクの令嬢を利用してこのパーティーに参加した……」
「え、違う。全然違うけど」
ルカは激しく首を振る。
ずっと覚えていたも何も、リートベルク領で暮らしている間、ルカはアレクシアに夢中になるばかりで、ナターリアのことは忘れていた。全然思い出しもしなかった。
「照れないで。わかっているわ、あなたの気持ち……」
ナターリアはルカにしなだれかかり、べたべたと体に触れた。
ルカの胸や腹に鍛えられた筋肉が固く張っているのが、夜会服の上からでもはっきりと感じられる。
ルカが急成長した理由も、ナターリアにはわかっていた。一年前、ナターリアが彼を頼りない、男らしくないと告げて振ったからだ。
だからルカは奮起した。体を鍛え、修練を重ね、己を磨き直して立派な青年に生まれ変わった。すべては愛するナターリアを取り返すためだったのだ。
ルカはリートベルクの令嬢に協力を仰ぎ、偽りのパートナーとしてパーティーに参列する権利を得た。
そして再び王都に舞い戻って、マティアスとの関係に悩んでいたナターリアの前に颯爽と現れたのだ。まるでヒーローの登場のように。
(そうだわ。ルカと婚約し直すのであれば、誰にも非難されない──!)
すべてお芝居だったことにすればいいのだ、とナターリアは密かに膝を打った。
何もかもヴァルテン家の兄弟と示し合わせた狂言だったことにすればいい。
一年前の婚約破棄も含めて全部、退屈な社交界にちょっとした娯楽を提供しただけの、罪のない戯れ。
ナターリアは最初の婚約通り、ルカと結婚してクレーフェ女伯爵になるし、元の鞘に収まった二人はいつまでも幸せに暮らす──。
「でも、困るわ。私はまだマティアスと婚約している身なの」
ナターリアは長い睫毛を伏せた。
二人の男が自分をめぐって争う光景に酔いながら、ルカの引き締まった体に這わせた指をはじく。
「でも、そんなに言うのなら……私、あなたと婚約を結び直してあげてもいいわ」
ルカは絶句する。
絶対に嫌だ。
「クレーフェ伯爵令嬢……」
ルカはナターリアから距離を取って、はっきりと首を横に振った。
「僕は君を愛していないし、再び婚約したいとも全く思っていない」
「はぁ?」
ナターリアの愛らしい顔が、不可解そうに歪んだ。
「男爵家程度の、しかも私生児の分際で! 自分が何を言っているかわかっているの? 私は伯爵令嬢よ!」
先ほど自分は爵位の差をひけらかしたりしないと、地位を盾にするなど最低だと言ってはいなかったか。
発言の矛盾に気付くこともなく、ナターリアは地団太を踏んで詰め寄った。
「あなたは今でも私を愛しているでしょう? ルカ!」
「僕が愛しているのはアレクシアだけだ」
「嘘よ! あんな女のどこがいいの?」
「すべてが」
クレーフェ伯爵令嬢、とゆっくりと呼んで、ルカは噛んで含めるように言った。
「君が言った“運命の人”が、今なら僕にもよくわかるよ」
アレクシアと出会った瞬間から、ルカの瞳には彼女しか映らなくなった。他の女性には何の興味もない。
たとえ結ばれなくても、永遠に叶わない片想いでも、彼女だけを愛し続けるのが自分の運命なのだと心に決めている。
ルカは背筋を伸ばし、居ずまいを正した。
一年前に婚約を破棄されたあの日。最後に告げたのと同じセリフを、もう一度ナターリアに捧げる。
「クレーフェ伯爵令嬢。マティアスと幸せに」
呪いではなく、嫌味ですらなく、祝福の言葉だった。




