第58話 ルカとナターリア
ナターリアが何も言わず、唇を噛んで立ち去った後。
パーティーは滞りなく、優婉に進んでいった。
アレクシアは身なりの良い、上品な貴婦人と談笑していた。母方の親戚にあたる貴婦人が、彼女を見つけて声をかけてきたのだ。
その貴婦人もアレクシアも、演技ではない笑顔を浮かべながら楽しそうに話し込んでおり、本当に親しい間柄なのだろうと見て取れた。
ルカは気を利かせて一歩退がると、二人にソファーをすすめる。
今のうちに飲み物を取りに行こう、といったんそばを離れた。
アレクシアの好きそうな飲み物を見つくろって戻ると、ちょうど先ほどの貴婦人が会話を終えて、別れのあいさつを告げているところだった。
「元気な姿を見られて嬉しかったわ、アレクシア」
「はい、伯母様。また改めてごあいさつにうかがいます」
貴婦人が立ち去り、アレクシアが一人になった瞬間だった。
待ちかまえていたかのように、未婚の貴族の令息たちがどっと大挙して、アレクシアの前に詰め寄せた。
「リートベルク辺境伯令嬢! お会いできて光栄です!」
「以前よりお慕いしておりました。私は伯爵家の……!」
「私は眉唾物の噂など信じておりませんでした。リートベルク嬢……」
若い令息たちはライバルを押しのけあいながら、必死に自分をアピールする。
アレクシアは誰の誘いにもなびかず、静かにソファーに座っているものの、目は少しも笑っていなかった。
あれは嫌気がさしている顔だな、とルカは察して苦笑する。
「アレク──」
近付いて、名前を呼びかけた時だった。
ぐいっと上着の袖を引かれて、ルカは体勢を崩した。
転びはしなかったが、相手の手は袖を強くつかんだまま離さない。
「ルカ!」
「クレーフェ伯爵令嬢……?」
ナターリアだった。そのまま強引に物影に引きずり込まれて、ルカは目を白黒させる。
「そんな他人行儀に呼ばないで! 前みたいにナターリアと呼んでちょうだい」
「でも……」
「私はあんなお高くとまった女とは違うもの。爵位の差をひけらかしたりしないわ!」
先ほどアレクシアから家格の違いを指摘されたことを、ナターリアはよほど腹に据えかねているらしい。
「侯爵と同等? 何よ、地位を盾にして威張るなんて最低だわ! 山ふぜいが偉そうに!」
山ふぜい、とはベルクの名のつく田舎貴族に対して、城の名の付く中央貴族がしばしば用いる侮蔑の言葉だ。
陰口にも等しい俗語であって、むろん公的なものではないし、そもそもブルクの名を持たないクレーフェ家の人間が言うのはお門違いなのだが。
指摘する隙もなく、ナターリアの立腹は収まらない。愛らしいフューシャピンクのドレスをにぎりしめて、アレクシアへの非難を吐き散らす。
「いくら着飾っても噂通りの野蛮令嬢なのね。だって侯爵と等しいといったって、王家からお声もかからない女じゃない!」
現国王には二人の息子がいる。王太子である第一王子と、第二王子のリュディガーだ。
第一王子はすでにアーレンブルク公爵令嬢を妻に迎えているが、リュディガーは独身だ。結婚はおろか、婚約者もまだ内定していない。
侯爵に等しい家の娘だというなら、王子の妃候補になってもおかしくはない身分だ。しかしアレクシアにそんな話が浮上したこともないのは、あの居丈高な性格と野蛮な本性を見抜かれているからなのだろう。
ナターリアはまじまじとルカを見つめた。
「ルカ、ずいぶん変わったわね……」
「そう?」
「とても素敵になったわ。今のあなたとなら私、婚約破棄なんてしなかったのに……」
ナターリアは目元をうるうると潤ませて、ルカにすがりついた。
「……どうして泣いているか、聞いてはくれないの?」
上目遣いで見つめられて、ルカは「あー……」と頬をかいた。
そういえばナターリアは頻繁にこういう質問をする性格だった、と思い出す。
年頃の少女らしいのかもしれないが、アレクシアは自分の機嫌を他人に取らせるような言動を全くしないから忘れていた。
「えっと……どうして泣いてるの?」
「マティアスったら酷いの!」
面倒だと思ったが突き放すともっと面倒そうで、一応質問すると、ナターリアはさらに涙目になった。
「男爵夫人がわからず屋で話にならないのに、マティアスは婚約者の私をちっとも守ってくれないのよ!」
「婚約? まだ結婚していなかったの?」
ルカは少し驚いた。婚約破棄から一年も経つというのに、弟とナターリアはまだ正式な婚姻を結んでいなかったのか。
貴族の結婚は手続きや準備が多く、時間を要するのはわかる。
だが一年前のパーティーであれほど派手に愛を宣言した二人なのだ。とっくに結婚したものと思っていた。
男爵夫人がわからず屋だと訴えてくるということは、おそらくヘルミーネが結婚の障壁になっているのだろう。
ヘルミーネはマティアスを溺愛している。決して息子を手放さないだろうヘルミーネが、娘に跡を継がせたいクレーフェ伯爵と相いれるはずがない。
両家の意向が折り合わずに、結婚話がこじれているのだろうが、それは婚約する前から予想できたことであって、はっきり言えば今さらだ。むしろなぜそこを不安視せずに婚約したのだろうと思ってしまう。
──そうなんだね頑張って……とルカが心のこもらない返事をしかけた時だった。
「ルカ! あんな高慢な女と婚約したなんて嘘でしょう?」
「高慢? 誰が?」
「誰って、一人しかいないでしょう! リートベルク辺境伯令嬢よ!」
「先ほどのことなら君が先に失礼な言動をしたからであって、アレクシアは普段は全然、高慢なんかじゃ……」
「嘘なんでしょう!? ルカ!」
説明しようとしたが、話を聞いてくれない。
嘘なのだろうとぐいぐい詰め寄るナターリアの剣幕に押されて、ルカはつい首を縦に振ってしまった。
「やっぱりね。そうだと思ったわ」
お見通しだとばかりに、ナターリアはくびれた細い腰に手を当てた。




