第56話 入場
「アレクシア・ルイーゼ・リートベルク辺境伯令嬢と、婚約者のルカ・ヴァルテン男爵令息のご入場です!」
高らかに呼ばれた名前に、歓談を楽しんでいた人々はざわざわとどよめいた。
「まぁ、リートベルクの令嬢がいらしたの?」
「社交界に参加されるなど何年ぶりかしら?」
「野蛮と評判の令嬢が、王宮のパーティーに?」
物見高くささやき合う人々の中、とある貴族の夫人が扇で口元を隠しながら嗤った。
「宮廷にふさわしい装いができるのかしら? だって"山"の令嬢よ。都会の流行なんて何もご存知ないのでは?」
山里育ちの粗野な姫君は、いったいどんな場違いな格好で現れ、恥をさらすつもりなのだろうか。
自ら笑いものになって社交界を沸かせてくれるとは、品のない「野蛮令嬢」にも親切なところがあるものだ──。
そうくすくすと笑いを洩らした夫人の前に、絹糸のような髪がさらりと揺れた。
「……!?」
長い髪がシャンデリアからこぼれる光を受けて、黒曜石のように艶々と輝いている。
睦まじく寄り添う二人が、足取りも軽やかに進むたび、爽やかな花の香りがふわりとただよった。
「え……ええ……!?」
「まぁ……!」
「そんな……っ!」
貴族たちは呼吸もまばたきも忘れて、入場してきた二人に見入った。
視線も、心までも縫い付けられて、反らすことができない。
声を失って開けたままだった口から、やっとのことで言葉がこぼれ出た。
「美しい……!」
まるで大広間に流れる時間が、二人を軸にして回り始めたかのようだった。
アレクシアとルカを見つめながら、誰もが感嘆の吐息を洩らす。
「なんて凛として綺麗な方なのかしら……」
「女性なのに背が高い……しかしそれがむしろ魅力的で、美しさを引き立てている……!」
アレクシアは女性としてはかなり長身だが、その分目を疑うほど足が長い。腰は細くて位置が高く、顔は小さくて等身が長い。
すらりとしたスレンダーな体型は、小柄なことを鼻にかけていた令嬢たちがちんちくりんの芋に見えてくるほど、抜群にスタイルが良かった。
「誰? 野蛮令嬢などと言ったのは! 全然違うじゃないの!」
「野蛮どころか……こんな洗練された姫君は王都にもいないぞ!」
リートベルクはただ辺境の危地であるだけでなく、国内でもっとも堅強と言われる監獄を持つことでも知られている。
恐ろしい凶悪な罪人たちを大勢収容している極寒の流刑地、という印象もあいまって、リートベルクの「野蛮令嬢」のイメージはより粗暴なもので固まっていた。それなのに。
人目を引く長身は姿勢の良さも手伝って、ただ惚れ惚れとするしかない。長い睫毛の下に輝く瞳は透き通った青玉の色。陶器のようななめらかな肌と、つややかな黒檀の髪が美しいコントラストを描いている。
「まぁ、素敵なドレス……。なんてよくお似合いなのかしら……」
アレクシアのまとうドレスには、フリルもリボンも見当たらない。ひらひらとした装飾類を潔いほどことごとく排し、かわりに銀の糸で縫い取った刺繍が前面に入っている。
精緻にほどこされた縢り刺繍が裾の先端まで広がるドレスはシンプルかつ優雅で、アレクシアにそれはよく似合っていた。
「ねぇ、お父様! 私もあんなドレスが欲しいわ!」
一人の令嬢が、父親の袖を引いてねだった。
アレクシアの洗練されたドレスを見て、自分のごてごてと着飾ったドレスが急に子どもっぽく思えてきたのだ。
「うむ……しかしあれは着こなすのが難しいぞ……」
ドレスの見事な刺繍が少しも損なわれずに輝いているのは、背の高いアレクシアがすらりと着こなしているからこそだ。
小柄な令嬢では裾まで美しく見せきることは難しいし、かといって刺繍を小さくすれば迫力も失われてしまう。
「ねぇ、ルカ・ヴァルテンって……まさかあのヴァルテン家の長男?」
「嘘でしょう? あの素敵な方が!?」
リートベルク家の令嬢をエスコートしているのは、ため息の洩れるほど爽やかな好青年だった。
明るいハニーブロンドが、幼めながらも整った顔立ちによく似合っている。
すっと通った鼻筋に、形の良い輪郭。アクアマリンをはめ込んだような大きな水色の瞳。
体型は細身だが、よく鍛えられた筋肉で引き締まっているのが、服の外側からも見て取れた。肩の稜線にぴったりと添った袷はフォーマルでありながら堅すぎず、伸びやかな軽快性を演出していた。
確かにヴァルテン家の「末端令息」で違いない。
間違いないはずなのに、一年前とは見違えるように垢抜けていて、誰もが度肝を抜かれた。
まるで原石が磨かれて、きらめく宝石に生まれ変わったかのようだ。
何よりも、パートナーであるリートベルクの令嬢に向ける笑顔が極上だった。
優しく朗らかで、見ているだけで心が温まるような天真爛漫な表情。
そんな視線を捧げられたいと、女性なら誰もが憧れてしまうような愛情に満ちた瞳。
リートベルクの令嬢とヴァルテンの令息に身長差はほとんどないが、背の高さが等しいからこそ二人の顔も距離が近く、それが何とも仲睦まじく見えた。
「……何の騒ぎかしら?」
マティアスとナターリアは少し遅れて、周囲のどよめきに気が付いた。
他の女たちと楽しそうに戯れていたマティアスを、ナターリアが引き離す。
二人が痴話喧嘩しながらホールの中央へと戻って来た時、貴族たちは一点を見つめながら騒然と浮き足立っていた。
どうやら新たに入場してきたカップルを見て騒いでいるらしい。
「えっ……。どうして私たちの入場の時よりも盛り上がっているの?」
ナターリアは動揺する。
つい先ほどまで周囲からちやほやと持てはやされていたはずなのに、もはや誰もマティアスとナターリアに注目してはいなかった。
二重三重の輪になって群がる貴族たちの輪。その輪の中心で集まった人々に堂々と対応しているのは、よく見慣れた──しかし記憶よりもはるかに洗練された人物だった。
「あ、兄上!?」
「ルカ!?」
マティアスとナターリアの声が同時に重なった。
「嘘……!」
ナターリアは目を丸くする。
婚約していた頃のルカはもっと痩せていて、年齢よりも幼く見えて、頼りない男だった。
こんな生き生きとした瞳や、均整の取れた体型や、人を惹きつける爽やかな魅力を持ってはいなかったのに。
「本当にルカなの!?」
まるで地をはいつくばっていた青虫が蝶になり、羽を広げて空にはばたいたかのようだった。
伸び悩んでいたルカの身長はこの一年で目を疑うほど成長し、貧相だった体躯は見違えるほどしっかりした筋肉を付けている。
以前はどこか遠慮がちだった姿勢はまっすぐに伸びていて、パートナーの令嬢と合わせた色の衣装がよく映えている。
(そんな……どうして……)
ナターリアは茫然とした。
無価値だと思って追い払った虫が、こんな美しい蝶に孵化するなんて知らなかった。
つまらない雑草と思って踏みにじった蕾が、こんな大輪の花を開かせるなんて聞いていなかった。
「ルカ……まさか……」
一年前のルカからは想像もできない、立派に変身した姿に目がくらみそうになる。
ナターリアがめまいをこらえて何とか立っていると、となりのマティアスの方が先に胸を押さえてその場に膝をついた。
「……う……美しい……!」
「マティアス!?」
マティアスは初めて目にするアレクシアの美貌に痺れていた。
ふらつくマティアスを叱咤しながら、ナターリアは未練をこめてルカを見上げた。




