第53話 王宮への招待状
厳しい冬が散りながら過ぎ去り、待ち望んだ春を迎える頃。
新たな波乱を呼ぶこととなる一通の封筒が王国中の貴族の邸宅に、リートベルク城にも届けられた。
金縁の上質な紙の上に、流麗な文字が躍る。
封蝋には金箔をちりばめた乳白色のシーリングワックスが落とされ、真珠をかたどった国王の紋章が捺印されている。
王宮への招待状だ。
毎年夏至の到来に合わせて、王家は盛大なパーティーを開催する。
建国を記念したこの宴には、王国中の名だたる貴族たちが招かれ、特に若い令息令嬢たちはこぞって参加する。
「よい機会です。ご出席なさいませ」
「……うーん」
招待状を広げるブリギッタの前で、アレクシアは山猫のバルーを抱いて、モフモフの毛並みを撫でていた。
「昨年は旦那様がご不在ということで欠席の言い訳が立ちましたが、今年はもう言い逃れできませんよ。お嬢様ももうお年頃……を過ぎてとうが立っているご年齢なのです。つべこべ言わずに行っておいでなさいませ」
アレクシアはこの春で二十三歳になった。十六や十七で嫁ぐこともめずらしくない貴族の令嬢としては、嫁き遅れと言われても反論できない年齢だ。
上流階級では幼い頃から婚約者が決まっているケースも少なくないが、アレクシアにはこれまで婚約者がいたことはない。
求婚者ならば何人もいたのだが、誰も長続きしなかった。
意気揚々とリートベルク領にやってきた令息たちは、一に野生動物の脅威にさらされ、二に屈強な騎士たちに歓迎と称して揉まれ、三に当のアレクシアから全く相手にされずそっけなく扱われ、とどめに辺境伯であるヴィクトルの剛腕に肩を叩かれれば、震えが止まらなくなって退散していくのがいつもの流れだった。
アレクシアが粗野で粗暴な「野蛮令嬢」だと噂を流したのも彼らだろう。
アレクシアに相手にされなかった腹いせにでたらめを吹聴し、振られたのではなく自分から見限ったのだと虚勢を張ったのだ。
……でたらめ、と言いきるには弱いのは、ブリギッタもよくわかっているが。
「社交も貴族の務めです。おろそかになさってはいけません」
アレクシアは首をかしげた。
「しかし、一人で行けというのか?」
公式なパーティーには通常、パートナーを伴って参加するものだ。
未婚の令嬢であれば父や兄をパートナーにすることもあるが、ヴィクトルは領地を空けることができない。
ブリギッタは渋面をつくったが、マリーはこともなく笑って、ぐいっと背を押した。ルカの背を、だ。
「大丈夫です! ルカ様がいらっしゃいますわ」
「え?」
「お嬢様。ルカ様をパートナーになさってくださいませ」
ルカがたじろいでも、ブリギッタが眉を吊り上げても、マリーは笑顔で続けた。
「マリー! なんてことを!」
「だって、ブリギッタ様。この城で王宮のパーティーに出席した経験があるのはルカ様だけです。他に適任者がおりますか?」
しれっと主張するマリーの横で、当のルカはしきりに恐縮していた。
「そんな、僕じゃかえって迷惑にな」
「わかった。そうしよう」
「えっ!?」
アレクシアは二つ返事で、あっさりと受け入れた。
驚きに固まるルカの横で、マリーがさらに助言する。
「ただの同伴者では肩書きが弱いですわ。ここは思いきって、婚約者ということになさってはいかがですか?」
「は!? こ……こ……?!」
「私はかまわないが」
ルカは狼狽するが、アレクシアは淡々と承諾する。
「ルカ様、覚悟をお決めください。お嬢様とご一緒されたいですか? それとも、他の男に譲るのですか?」
マリーに詰め寄られて、ルカは固唾を飲んだ。
そんな二者択一、答えは決まっている。
「僕が! 一緒に!! 行きたいです!!!」
力強く言い切って、ルカはヴィクトルの元へ駆け寄った。
「辺境伯! お許しいただけるでしょうか?」
「………………よかろう」
ヴィクトルはしばらくの間、苦虫を百匹くらい嚙み潰したような顔で沈思黙考していたが、やがて重々しくうなずいた。
「あくまで仮だ。仮だからな」
ヴィクトルはルカの人柄は認めているし、同行させたところでアレクシアの意志を無視して迫るようなことはしないと信頼している。
それよりも、王宮のパーティーに顔を出せば間違いなく注目を集めるであろう娘のことが気がかりだった。婚約者を帯同していれば、悪い虫が寄ってくる可能性も減らせるはずだ。
「先日、王都で面白い発表があったようだ。ちょうどいい。そちらにも目を通してきてくれ」
「承知しました」
「あっ、なるほど……最新の研究発表……」
父娘の会話で、ルカは合点した。
首都には国が運営する大図書館があり、そこに併設されるような形で、医療や工学等、様々な産業技術の向上を目的とした研究機関もある。
多くの学者たちが研鑽を重ねるその施設には、このペルレ王国内のみならず、友好国のテュルキス王国やグルナート王国で発表された研究結果も随時集められ、所蔵されている。それをこの機に見聞して来いと、ヴィクトルは言っているのだ。
別の目的ありきとは言え、当のアレクシアも、父である辺境伯もルカの同行を認めた。
ならば、あとは自分の覚悟ひとつだ。
「よろしくお願いします。アレクシア様!」
「様は要らない。これからは呼び捨てにしてくれ」
「え……」
「婚約者に敬語を使われては居心地が悪いからな」
「こんやくしゃ……」
ルカは自分の頬を思いっきり抓った。痛い。
痛いのに「婚約者」の響きが甘美すぎて、これは夢ではないかという疑惑がまだぬぐえない。
(いやいやいや、今回だけ! このパーティーの間だけの話だから!)
仮だ、ふりだ、期間限定の婚約者なんだと自分に言い聞かせて、必死に平静を保つ。
いや、全然保てていない。何をしていても頬が緩むし、顔が火照るし、目尻が下がる。
「婚約者……こんやくしゃ……!」
何度も反芻して、そのたびに感激に震える。
ほんのひとときだけでもアレクシアと婚約者として行動できるなんて、こんな機会はもう二度とない。
だから腹をくくって、全身全力で満喫するしかない、とルカは心に決めた。
一生の思い出にしよう。そうしよう──。




