第50話 巣ごもりの冬
山野は白く覆われている。
黒衣の城は降り積む雪の中に閉ざされ、巣ごもりの冬を迎えた。
凍てつく寒さが吹き荒れる中でも、城の中は明るく、ほのぼのとした空気が流れていた。
本格的な冬が来る前には、山のような仕事をこなす必要があった。
いわゆる冬支度だ。
防寒着の準備に、もろくなっている箇所の補修。暖を取る道具の手入れに、大がかりなメンテナンス。大量の燃料の確保に、雪害を減らすための事前の対策。
ルカにとって初めて行う作業も多かったが、最初にやり方を学べばすぐに要領をつかんだ。
せっかく付けた体力と腕力と持久力を存分に生かして、周囲と協力しながらルカはせっせと冬支度にいそしんだ。
幸いにも今年は春から秋にかけて、温暖な気候に恵まれることができた。
たっぷりと日照を浴びた芽はすくすくと伸び、伸びた草は緑の飼い葉となり、飼い葉を食んだ家畜はよく肥えた。
肥えた家畜を屠って、長期保存できるハムやソーセージやベーコンにする。収穫した野菜を天日に干して乾燥させる。摘んだ果物を砂糖で煮て瓶詰めにする。他にも様々な加工品に挑戦して、貯蔵庫がいっぱいになるほど大量の保存食を作った。
特にメインディッシュとなる肉の加工には手間ひまをかけた。ハムやソーセージは国民食といってよく、毎日欠かさず食卓にのぼるだけあって、何百もの種類がある。
牛肉と豚肉の配合を変えてみたり、使う部位のうち内臓と赤身肉と脂肪の比率を変えてみたり、加える調味料のうち塩と胡椒とハーブの割合を変えてみたり、熟成の方法を乾燥と燻製で変えてみたりと、さまざまに工夫を凝らす。
苦労の甲斐あってバリエーション豊かにできあがった保存食は、閉じこもりがちな冬の間の食卓を明るく彩ってくれた。
湖を渡る小舟に乗って、孤島にたたずむリートベルク監獄の内部に炊き出しにも行った。
監獄に収容されている囚人たちの中には、世間に悪名とどろかす凶悪犯も少なくないらしい。
確かに人相の悪い服役囚が多いのは事実だが、騎士団でユリウスやクラウスやマリウスたちを見慣れた今となっては、どんな怖い風貌も全然怖くなかった。
むしろ煮炊きして配った食料を美味い美味いとがつがつ平らげてもらえて、作りがいがあるな~とほっこりしたほどだ。
空っぽになった大鍋に、ルカは充実した達成感を噛みしめる。
相手が誰であっても、作った料理をおいしく食べてもらえることは等しく嬉しい。
そして、ついに本格的な冬が到来する。
秋の終わりに降ったひとひらの初雪は、そのまま根雪となった。
山脈に覆いかぶさる冠り雪が、日に日に白色を裾野へと広げる。
やがて広大な辺境地帯は、一面の銀世界に埋め尽くされた。
「わぁ……綺麗……!」
氷点下の寒い空、澄みきった空気の中にキラキラと氷の結晶が舞う。
まるでダイヤモンドを砕いたような細かな氷の粒が逆光の中にきらめいて、ルカは思わず息を飲んだ。
この地に来てはじめて、樹氷というものも目にした。
樹氷とは森に自生する針葉樹の木々に、冷えた水滴や水蒸気が付着して凍結したものだ。
雪が降る場所ならどこでも発生するというわけではなく、複数の気象条件を満たさなくては作られない。王国内で樹氷を見ることができるのは、ここリートベルクの地だけだった。
──冬はこんなにも美しかったのか。
そう感動せずにはいられなかった。
厳しくも崇高な自然の美しさに、圧倒される思いがした。
豪雪が吹き荒れて城を一歩も出ることのできない日でも、退屈することはなかった。
エミールやリリーと室内用の遊戯盤に興じたり、せっかく巣ごもり中なのだからとエヴァルトと協力して大量の事務仕事を片付けたりと、やることは尽きない。
「はー……」
一人になると思い出すのは、先日アレクシアの腕にバンされて壁にドンされた時のことだ。昂ぶりすぎて語彙が死んでいるが気にしない。
亡き母ルイーゼとの大切な思い出を教えてくれたこともとても嬉しかったし、あんなに間近にアレクシアの顔が迫ったのも脳が焼き切れそうになった。とにかく良い。良すぎる。
位置的には男女逆なのかもしれないが、そんなの全然いい。控えめに言って最高だった。
絶景すぎて、何度もあのシーンを脳内で再生しては浸ってしまう。多分、記憶喪失になってもこの記憶は忘れない。
返り血を浴びたアレクシア。熊の脂肪で汚れたルカ。解体したばかりの新鮮なお肉。心なしかこちらを見ている気がする熊の死体。
ロマンティックな要素が皆無と思われるかもしれないが、そんなことは断じてない。
アレクシアがいてくれればそれだけで、ルカの目にはどんな血みどろの屠殺現場だろうと満開のお花畑に見えるし、あの熊もクマさんと呼びたくなるほど愛おしかった。
(……できることなら、触れたい……)
恥ずかしそうに朱の色に染まった、アレクシアの顔。
もしも許されるのなら、あの頬に触れたかった。
あわよくば彼女にもっと近づきたい。あの綺麗な髪を撫でて、あの美しい唇に口付──。
(な、な、何を考えて……!)
思わず自分を戒めたが、不埒な思いは止まらない。
頭から湯気が出そうに火照りながら、ルカはほうっと白い息を吐く。
ちなみにあのクマさんのお肉は丁寧に下処理をし、しばらく熟成させた上で、後日シチューにした。たくさんの野菜や香草と一緒にじっくりことこと煮込んで、エミールやリリーや城のみんなと美味しくいただいた。
凍てつく氷の中に閉ざされた季節でも、心はぽかぽかと温かく、ルカの周囲には笑顔が満ちていた。
「僕はなんて幸せなんだろう……!」
***
「私はなんて不幸なのかしら……!」
白いレースのハンカチを絞って、ナターリア・ハンナ・クレーフェは憂いた。
王宮のパーティーでルカを振り、マティアスとの婚約を宣言したのは、昨年の夏至のことだ。
あれから秋が来て、冬が過ぎようとしているというのに、二人の結婚準備は遅々として進んでいなかった。
「どういうことなの? 話が違うわ!」
婚約者へのご機嫌うかがいと称して、クレーフェ伯爵邸を訪問してきたマティアスに、ナターリアは白いハンカチをにぎりしめて詰め寄った。
「ルカが私の家に婿に入る予定だったこと、あなたも知っているわよね?」
「ああ」
「それなのにどうして、男爵夫人を説得してくれないの?」
マティアスは面倒くさそうな態度を隠そうともせずに、大仰なため息をついた。
「感情的になるのはやめてくれないか? これだから女は困るよ……」




