第48話 熊の解体
騎士団長ニコラウスは人のいい顔で、にっこりと笑った。
「ルカ様が晩酌に付き合ってくださっているおかげで、最近の旦那様はすこぶる機嫌がいいですよ。ありがとうございます」
「そんな、付き合っていただいているのは僕の方ですから!」
「しかし旦那様のお相手は気疲れしませんか? 何しろ迫力のある方ですから」
「いいえ、全然!」
ルカは昨夜ヴィクトルとルイーゼ夫妻のなれそめを聞かせてもらい、全身の水分が干上がるほど号泣したことを語る。
ニコラウスは少し驚いたような顔をして、声をひそめた。
「……旦那様が奥様のことを誰かに語る日が来ようとは、正直意外です。奥様が亡くなられてかなりの月日が経ちますが……あのたくさんの遺品と共に、ずっとお一人で偲んでいらっしゃいましたから……」
長年リートベルク家に仕えているニコラウスは、生前のルイーゼとも面識がある。
元公爵令嬢だというルイーゼは、母になってもずっと愛らしくて美しかった。
どうしてこんな儚い天使のような美女があの野獣のようなヴィクトルと結婚したのか不思議でならなかったが、部下の懐疑の目をよそに、二人はいたって仲睦まじい夫婦だった。
「ぼく、奥さまのこと知らない」
「リリーも」
「そうだろうね。君たちが生まれるよりも前に亡くなってしまわれたから」
ニコラウスは少し寂しそうに相づちを打って、優しい瞳でエミールとリリーを見下ろした。
ルイーゼが没したのは、もう十五年は前になるだろうか。
八歳のエミールや六歳のリリーはもちろん会ったことはないし、騎士たちの中にもルイーゼのことを知らない者が多くなった。
「奥様は本当にお綺麗な方だったんだよ。オステンブルク公爵という大貴族の姫君でいらしたけれど、高貴な血筋をひけらかすようなところは少しもなくて、誰にでもお優しい方だった」
「アレクシアお嬢さまもとってもきれいだよ。お嬢さまは奥さまに似てるんだね」
エミールが気の利いたことを言ったが、ニコラウスは喉に骨が引っかかったような声を出した。
「……お嬢様は……その……確かに見た目は亡くなった奥様に似てお美しいんだが……。中身は旦那様に似て、熊かゴリラかと思」
「誰がゴリラだ」
ニコラウスがぼやいた直後に、鋭く割って入る声があった。
「アレクシア様!」
振り返った直後、全員が固まった。
「「「!?」」」
アレクシアが担いでいるのは、黒い毛皮におおわれた熊だった。
熊の体はふっくらと丸みを帯び、首の下にはまだらの模様がかすかに散っている。鋭い鉤爪のついた太い手はだらりと弛緩し、巨大な頭はまるで着ぐるみのようにアレクシアの頭にのしかかっている。
「え、お嬢様、それ……!?」
「くまさん! こわい!」
「何を持っているんですかお嬢様!」
エミールが後ずさり、リリーが怖がってルカの背後に隠れ、ニコラウスは椅子を倒して立ち上がる。
「土産だ。城下町まで見回りに行ってきたのでな」
もふもふ、と呼ぶにはワイルドすぎる土産を見せてくるアレクシアに、ニコラウスは引き気味の表情を浮かべた。
「……見回りに行って熊を持って帰ってくるってあります?」
「この季節だからな。山から降りてくるかもしれないと思ったら、案の定だった」
冬眠前の熊は食欲旺盛で、森に餌となる山毛欅の実や団栗などの固果類が少ないと、人里にまで降りてくることがある。
領民に被害が出るのを防ぐため、この季節は頻繁に見回りに行くようにしていた。
「アレクシア様! 血が……!」
「ああ。すべて返り血だ。心配いらない」
「良かったぁ……」
ルカは胸を撫で下ろして、興味深そうに熊の丸くて短い尾を撫でた。
「どうやって仕留められたんですか?」
「難しくないぞ。まず至近距離まで引き付けてから矢を射って頭蓋骨に貫通させて、動きが鈍ったところを真正面から剣で刺すだけだ」
難しくないと言いつつ常人には難しい方法を聞かされて、ルカは頬をぽっと赤く染める。
「……しゅき……」
「「なんで!?」」
エミールとニコラウスが同時に突っ込んだ。
今の未開の蛮族みたいな話のどこにときめくポイントがあったというのか。
「一人で熊を仕留めるなんてすごすぎる……!」
「すごいのは、返り血まみれの令嬢を見てそう言えるルカ様だと思いますが……」
ニコラウスは引いた顔でつぶやいた。
騎士団長はルカの揺らがない愛に敬服しつつ、前途多難であろう恋の健闘を密かに祈った。
***
熊を怖がるリリーをニコラウスに任せて、その場を後にする。
血抜きと解体のため、ルカはアレクシアと一緒に熊を担いで移動した。
中庭の一角には屠殺用の道具が一式そろっており、ひととおりの解体作業ができるようになっている。
庭の一角に横たえさせた熊は、本当に心臓を一突きされて絶命していた。余計な外傷がなく、黒色の毛皮は綺麗なままだ。
かなり大柄な熊だ。オスだろう。メスは冬眠中に出産するため、もっと早い時期に巣にこもるのだ。
血抜きの処置をしてから、熊の皮を剝ぐ作業に取りかかる。
「ルカは熊の解体は初めてだろう?」
「はい。鳥や豚は慣れましたが、熊は初めです」
「それなら私がやろう。芋の皮剥きよりは得意だ」
先日の夜中に一緒に芋の皮を剥いた時、ルカの方が上手だったことを覚えているらしい。
アレクシアは少しだけ得意げに、ナイフで熊の皮を切り裂いていく。
下半身から上半身に向かって一気に皮を剥がせば、内部にはたっぷりと脂肪がついていた。文字通りの皮下脂肪だ。
「解体作業は、従僕や厨房の料理人には任せないのですか?」
「任せてもいいが、熊の解体は重労働だからな。私の方が力がある。肉を切り出すところまではやるつもりだ」
確かに鳥や小動物を捌くのとは、かかる労力が違いそうだ。料理人たちでは解体するだけで体力を使い果たしてしまうかもしれない。
ルカは毛皮を傷めないように、内側についた脂を根気よく取っていった。
アレクシアはさらにてきぱきと腑分けを進める。熊の胸を裂いて、新鮮な内臓を取り出した。
鋸のような刃の付いた専用の骨切りナイフを使って、硬い骨を一つずつ砕く。血のしたたる肉を割いて、部位ごとに切って、臓物まですべて無駄なく取り分ける。
「このくらいでいいか。肉の熟成や調理はハンスたちに任せよう」
「はい」
周囲の片付けしながら、ルカはうなずいた。
熊の毛皮は少しでも穴を開けると市場価値が下がってしまうのだが、ほとんど傷めることなく綺麗に剥がしてあった。
(すごい……!)
アレクシアは本当に芋の皮剥きよりも熊の皮剝きの方が得意なのだ。令嬢としてはどうかしているが、ルカ個人としては好感度は上がる一方である。




