第47話 おっぱいとパンケーキ
初霜の降りた空の下。
ルカはたわわなおっぱいに囲まれていた。
豊満な白い丘がぷるるんと揺れる。
両手に余るほど大きな乳房。ほんのりと淡いピンクの乳首。
ミルクの詰まった腹をはち切れそうに揺らしながら、白と黒のぶち模様の雌牛は低くいなないた。
家畜の乳しぼりは女の仕事である。
男がやっていけないわけではないが、城の内外における雑務にはもっと力のいる仕事が多いので、男はそちらに従事するのだ。
今日はいつも乳しぼりを担当しているメイドの一人が体調をくずして寝込んでいるため、エミールやリリーに頼まれて、ルカも家畜小屋にやって来た。
柵を開けて動物たちを放牧している間に、手早く小屋の中の掃除をする。
汚れた藁をかき出して新しい藁と入れ替えていると、リリーが鶏小屋から生みたての卵を拾って持ってきてくれた。
「みてみて! たまご、たくさんあつめたよ!」
「わ~。本当にたくさんだね」
新鮮な卵はまだほんのりと温かい。
エミールと牧羊犬が協力して、放牧していた牛や山羊たちを順番に連れてきてくれたので、手早く搾乳の作業を進める。
「はいはい、一頭ずつ順番にね~」
牛はおとなしいのだが、山羊には気の荒いタイプもいて、気に入らなければ後ろ足で蹴り飛ばすから注意が必要だ。
まずは熱い湯に浸した布を絞って、乳房を清拭していく。特に乳頭は汚れが詰まりやすいので、念入りに拭いた。きちんと取り除かないと絞った乳の中に汚れが入ってしまうし、適度な刺激を与えることで乳汁の出をよくする効果もある。
優しく揉みほぐして丁寧に拭きあげると、山羊は心地良さそうに鳴きながら身を任せてくれた。
「ルカお兄ちゃん、おっぱい揉むの上手だね!」
「エ、エミール……言い方……」
親指と人さし指で丸を作り、乳首の根元を軽く押さえる。残りの三つの指を順番にすぼめながらギュッとにぎると、白い乳が細い線状になって、勢いよく噴出した。
最初の三回ほどは雑菌が多いのであえて捨てて、その次から容器に注ぐようにする。
両手を使ってリズミカルに絞っていくうちに、牛乳と羊乳と山羊乳がそれぞれ鍋ひとつ分ずつ、なみなみと溜まった。
城内で飼っている家畜の数はそれほど多くない。絞った乳や屠った肉はすべて城に暮らす人間だけで消費していて、外部の商人に卸しているわけではないので、それほど時間はかからなかった。
ルカが鍋をふたつ、エミールがひとつ、リリーが卵をひと籠持って、三人で調理場へと向かった。
「このくらいでいいかな?」
調理場で大きな盥に熱い湯を張り、絞った乳を容器ごとひたす。
生乳は傷みやすく、放っておくとすぐに独特の臭みが出てしまうが、こうして湯に浸ける処置をしておけば殺菌もできるし、臭みも残らない。
ルカはさっそく搾りたての真っ白な牛乳を一杯、グラスに注いだ。
「よーし。いただきます!」
生乳をそのまま飲用する習慣はほとんどない。絞った乳のほとんどはチーズやバターに加工したり、料理や菓子に使っている。
しかしルカは毎日朝と夕に一杯ずつ、搾りたての牛乳を直に飲むようにしていた。
理由はただ一つ。背を伸ばしたいからである。
なんでも動物の乳、特に牛乳には身長を伸ばす効果があるらしい。真偽は不明だが、効くと言われたらやらない選択肢はない。
獣の乳をそのまま飲むなんて……と若干白い目で見られたりもするが、それでも好きな人に追い付きたい、あわよくば追い越したいと思うのが、恋する男心というものだ。
毎回、片手を腰に当て、えいっと勢いで飲み干している。
牛乳のおかげか、はたまた天が祈りを聞き届けてくれたのかはわからないが、実際にルカの身長は伸び続けていた。
毎月少しずつ背が伸び、少しずつアレクシアとの身長差が縮まりつつある。
……追い越した、とは言えない。まだ言えないが、希望は捨てない。あきらめたらそこで終了なのである。
「ごちそうさま!」
──牛さんありがとう。今後ともよろしくお願いします──と敬礼しながら、ルカは残りの乳を手際よく専用の容器に詰めていった。
日課が終われば、お楽しみのおやつの時間である。
「エミール、リリー。今日は何が食べたい?」
「ぼく、パンケーキがいいな」
「リリーも! リリーもパンケーキ!」
エミールが言い出し、リリーも手を挙げて賛成した。
パンケーキは子供のおやつの定番だ。この地方では「シュマレン」とも呼ばれる。
小麦粉と砂糖と乳と卵を混ぜて広げて焼くのだが、ホットケーキのような丸い形ではなく、焼き上がる直前に小さくちぎり、ひと口大に分割して食べる。だから「引き裂く」と呼ぶようになったのだ。
「リリー、おにいちゃんの作るパンケーキがいちばん好き!」
「ありがとう。じゃあ、泡立て頑張ろうかな」
ふわふわな生地を作るには、卵を黄味と白身に分け、卵白を時間をかけて入念に泡立てるのがコツだ。
ルカは筋肉を惜しみなく使ってかき混ぜた卵白を、気泡がつぶれないように注意して混ぜ込んでいった。このひと手間で、ぐんと口当たりがよくなる。
バターを使うとさらに美味しいので、ナイフでカットして鉄板に入れる。じゅわじゅわと溶けるバターの上に生地を落として広げる。
焼き色のついた頃合いを見計らってひと口大に裂く。ここは思いきりが肝心だ。
前もって作ってあったクランベリーのソースとコケモモのジャムを添えれば、パンケーキの完成である。
「はい。こっちがエミールで、こっちがリリーね」
「わーい!」
食べ盛りのエミールと小食のリリーに合わせた量を皿に盛って、二人に渡す。
すでに切ってあるので、ナイフも不要。小さな子供にも食べやすいのが「引き裂く」系パンケーキの良いところだ。
「おっいし~い!」
「リリー、これならもっといっぱいたべたい!」
エミールとリリーが立て続けにそう言ってくれるので、ルカはとても癒された。
実の弟のマティアスとは大違いの可愛さである。この子たちが本当の弟妹だったらな~とつい思ってしまう。
ハンスたちの分も作ろうと、さらに残りの生地を焼いていた時だった。
大きな人影が汗を拭きつつ、ゆっくりとこちらへ向かってきた。
「あー、いい匂いですねぇ。パンケーキですか?」
「ニコラウスさん! お疲れ様です」
ふらっと現れたのはニコラウスだった。リートベルク騎士団の団長を務める大柄な男だ。
鍛錬後だろうか、疲労のにじむ表情のニコラウスは太い手で額を拭った。
「どうぞ、ニコラウスさんも召し上がってください」
「ありがとうございます。最近はこれが楽しみでして」
ニコラウスは地元の名士の家に生まれた生粋の騎士だという。
騎士団には監獄を出所した元囚人の騎士たちも所属しているが、ニコラウスに前科はない。ごく真面目な性格の常識人だ。
規格外な上司とアクの強い部下とに振り回されるニコラウスは、中間管理職ならではの気苦労が尽きないようで、たまにエミールやリリーに作ったおやつを食べに来るのだ。大きな体に似合わず、甘党らしい。
焼きたてのパンケーキを囲みながら、子供たちと騎士団長という不思議なメンバーはほのぼのとお茶会を楽しんだ。




