第26話 秋の祭り(2)
噴水の湧く広場の前では、他国から流れてきたらしい吟遊詩人が竪琴を手にして壮大な叙事詩を歌い上げていた。
若いカップルたちが足を止めてうっとりと聞き惚れているのを、アレクシアは微笑ましそうに見つめている。
「アレクシア様、喉が渇きませんか?」
ルカの手に持った袋からは炒ったアーモンドの香ばしい香りがした。先ほどまた別の屋台の店員から売り付けられて買ったものだ。
アレクシアはすすめられたら何でもすぐ買う上に、定価を払ったことがない。いつも多めに上乗せしている。
「何か飲まれますか?」
「そうだな……」
ルカが尋ねると、アレクシアは少し考えながら、ゆっくりとあたりを見渡し、
「あれにしよう」
と、木樽が並んでいる店を示した。
「これは……林檎の匂いですか?」
「そうだ。林檎酒だ」
樽から直接カップに注がれたのは、透明な琥珀色の液体だった。光に透かすと金色にも見えるそれは、芳醇な林檎の香りを放っている。
「甘くて美味しいです。すっきりしているのに、深い余韻が残りますね」
「前年度の林檎の出来によって味が変わるんだ。昨年はもっとクセがあったが、今年はルカの言うようにすっきりした口当たりだな」
アレクシアは満足そうに笑んだ。
「このまま飲むだけでなく、肉を浸けるのにも使えそうですね。今度作ってみます」
「いいな。よろしく頼む」
豚や羊の肉にも合いそうだし、臭みの強いジビエも林檎酒に漬け込めば食べやすくなりそうだ。
わくわくと胸をはずませながら、ルカは琥珀色の林檎酒を丁寧に味わった。
祭りの屋台は見切れないほど多く、集まった人の数はさらに多かった。
二人は気の向くままに店をのぞいて回り、足の向くままに街を散策した。
露店の食べ物は歩きながらでも、ワンハンドで食べられるように工夫されているものが多い。
あれがいいこれがいいと見比べるのも、いろんな種類を試したいからと半分に割って分け合うのも、とても嬉しくて面白かった。
(楽しい!)
ルカはしみじみと噛みしめながら、ぐっと拳をにぎりしめる。
(楽しすぎる……!!)
規模で言えばリートベルクの祭りよりも、王都の祭りの方がより盛大だ。何と言っても人口が違う。
凝った装飾の派手さにしても屋台の出店数にしても、王家のお膝元に恥じない大がかりなものだった。
それでもルカには、このリートベルクの祭りの方が何百倍も輝いて見える。
言わずもがな、アレクシアがいるからだ。
アレクシアと並んで歩き、目につくものについて自由に語り合い、食べたいものを気ままに食べ歩く。
何もかもがとてつもなく楽しすぎて、笑顔以外の表情を作ることができない。
初参加のルカにあれこれと説明してくれる得意げなアレクシアの顔も美しすぎるし、ちょっと行儀悪くつまみ食いする唇も魅力的すぎる。
夢ならば醒めないでほしいし、現実ならばずっとこうしていたい。
(ずっとアレクシア様と一緒にいられたらいいのに……)
ルカは一秒一秒を噛みしめるように、アレクシアとのひとときを全身で堪能する。
デートでないことはよくわかっているが、今この時がひたすら幸せでならなかった。
透明なガラスの瓶を、ところせましと並べた露店の前。
ルカは小さな蓋がついた小瓶を手に取ると、熱心に店員の説明を聞いていた。
「ルカ、それは?」
「薬草を練り込んだ、軟膏だそうです」
小瓶の中には深緑色の膏薬が入っている。十種類もの薬草が配合され、肌や関節に塗り込むと痛みを抑えてくれるとの触れ込みだった。
「これ、ブリギッタさんへのお土産にどうでしょうか?」
「ブリギッタに?」
ブリギッタはこのところ、前にもまして膝や腰が痛むとぼやきがちだった。特に冷える季節になってくると痛みもひどくなるらしい。
「あ、お肌に合わないとか、あるでしょうか?」
「いや、大丈夫だと思うが……。ルカはブリギッタを苦手だとは思っていないのか?」
「ブリギッタさんをですか? いえ、全然思いませんけど」
ルカはすっかり城に溶け込んでいるように見えるが、中にはよそ者の彼を快く思わず、あからさまに眉をひそめる人間もいた。ブリギッタはその筆頭だ。
ブリギッタはアレクシアが幼い頃、乳母を務めていた。病弱だった実母にかわって、貴族の淑女たれと厳しく教育してくれたのだ。
アレクシアに対しては愛情と責任があるからこそ、口うるさく小言を畳みかけてくるブリギッタは、ルカのような外部の人間に対しては、本気で不信のこもった厳しい目を向けている。
「お城の人たちはみんな優しいです。もちろんブリギッタさんもいい方です。誰も嫌がらせをしたり、悪評を流したり、理不尽な暴力をふるったりしませんから」
ほら、とルカは屈託なく言った。
「ずっと同じ家に住んでいても、些細なことで怒鳴られたり、意味もなく殴られたり、やっていない罪をなすりつけられたりってあるじゃないですか」
「ないが」
アレクシアは即座に否定した。どんな物騒な家なのだ。
ルカの感覚では要するに、ブリギッタのように手厳しい態度を取ってくる程度では、まったく悪意を感じられないらしい。
嫌がらせもせず、暴力もふるわず、冤罪も着せてこないならばいい人ということだ。いい人の基準がザルすぎる。
詳しく話を聞くべきかアレクシアは迷ったが、膏薬の支払いを済ませたルカが「ブリギッタさん喜んでくれるといいなぁ」とにこにこしているのを見ると、何だか毒気を抜かれてしまう。
露店の集中する目抜き通りを北上しながら、二人は街道を進む。
四つ辻が交差する脇は、広場になっていた。
広場の真ん中に、旅芸人たちが集まっている。
顔を白塗りにした道化たちが飛んだり跳ねたり踊ったり、輪を投げたり球を転がしたり宙返りしてみせたり、わいわいがやがやと盛り上がっていた。
赤い服を着た道化の両肩に、黄色い服を着た道化が立つ。さらにその肩の上に青い服を着た道化が逆立ちして、車座になった観客からはわぁっと歓声が沸いた。
熟練の技を驚きとともに鑑賞しながら、ルカも拍手を送った。
ふと横を見ると、アレクシアはろくに舞台を見てはいなかった。舞台に熱中する観衆たちのことを、愛おしそうにながめていた。
「……アレクシア様は、お祭りが特別好きなわけではないのですね」
「え?」
「こうやって街の人々が……リートベルクの民が楽しそうに過ごしていることが嬉しいのですね」
アレクシアは祭りそのものが好きなわけではない。領民が幸せそうにしていることが嬉しいのだ。
辺境伯領の人々が生き生きと祭りの日を満喫していることに、何よりも癒されるのだ。
だからこの祭りにも公務として訪問するのではなく、わざわざ庶民の変装をしてまで直接見に来ているのだ。
ルカがそう伝えると、アレクシアは少し照れたようにはにかんだ。
「そうだな。嬉しい」
隣国と国境を接するリートベルクの地は、幾度となく戦禍の炎にさらされてきた。
この地に古来から続く豊穣と収穫の祭りも、くりかえされる戦乱によってたびたび中断を余儀なくされてきた。
「祭りを開催することができるのは、平和の証拠だ。それが嬉しい」
アレクシアはしみじみと言った。細められた青の瞳が、街を行き交う人々を慈しむように見つめている。
(ああ~! もう……好き!)
胸をきゅんきゅん締めつけられて、ルカが立ちくらんだ時だった。
「あれっ……?」
ルカが大きな瞳をまたたいたのは、前方から来る人間たちにどこか見覚えがあったからだ。
そうだ、先ほどアレクシアを格好いいと噂して、色めき立っていた少女たちだ。
少女たちの方も、アレクシアとルカに気付いた様子だった。
きゃあっと黄色い歓声をあげながら立ち止まった少女の横を、中肉中背の男が身を低くかがめて通りすぎた。
男はわざと左半身を寄せて、少女に軽くぶつかったようにも見える。
「……?」
「ルカ? どうかしたか?」
「いえ……今の男の人、何だか違和感が……」
ほんの一瞬だが、男が妙な動きをしているように見えた。
「気のせいかもしれません。申し訳ありません」
「いや……」
アレクシアはかぶりを振る。
足早に立ち去っていく男を冷静に見つめながら、顔をしかめた時だった。
「ああっ!」
三人の少女のうちの一人が、絹を裂くような悲鳴をあげてその場にしゃがみ込んだ。
「わ、私のスカートが……」
少女たちは手製の、格子柄のスカートを巻いていた。
ウールの梳毛を織った伝統的なスカートで、腰の位置に穴を開けてベルトを通し、そこに吊り下げるような形で硬貨や紙幣を入れた小さな巾着を持ち歩いている。
彼女たちだけではなく、財布がわりの巾着をそうやって紐で括りつけて持ち運ぶのは、どこの村でもよく行われている一般的な出で立ちだ。
だが、少女の腰に結んでいた紐は鋭利な刃物で切り取られ、巾着はどこかに持ち去られていた。
刀傷は紐だけではなく、スカートの格子柄も大きく傷つけ、裾まで切り裂いて残っている。
「……ひどい」
「大丈夫か!?」
アレクシアは駆け寄った。泣き出した少女のそばに片膝をつく。
「服はともかく、そなた自身は? 怪我はしていないか?」
「あっ……は、はい、大丈夫です……」
密かに憧れていたアレクシアから声をかけられて、少女は涙が引っ込んだようだった。顔を赤らめながら、どぎまぎと答える。
「アレクシア様。このくらいしかありませんが、せめて……」
ルカは有り金をすべてさし出した。直接渡さなかったのはおびえている女性に不用意に触れないようにとの判断だったが、アレクシアも意を汲んで受け取ると、そのまま少女ににぎらせた。
「アレクシア様って……? まさか……お嬢様!?」
辺境伯の一人娘であり、後継者でもある令嬢の名は領内では有名である。
あやかって同じ名前を付けられた女の子もめずらしくはないが、様を付けて呼ばれるような身分の貴人は滅多にいない。
「償いになるとは思わないが、せめてこれを新しい服を作る足しにしてほしい。そなたたちも協力してくれるか?」
「はっ、はい! もちろんです!
水を向けられた少女の友人二人が、直立不動で返事をする。
アレクシアはもう一度、真摯に詫びた。
「祭りの場で怖い思いをさせてすまなかった。どうか許してほしい」




