第24話 ブリギッタとマリー
「うん。これなら良さそうだ」
くるっと一回りして、アレクシアは満足そうに言った。
長い髪を結い上げてキャスケットの中にしまい、すらりとした身体を生成りのシャツの中に隠す。カーキ色のトラウザーズをまとって、サスペンダーで留める。
わざとくたびれて色あせた靴を履いて、アレクシアは得意げにブリギッタを振りかえった。
「どうだ。男に見えるだろう?」
「見えすぎて嘆かわしいです……」
ブリギッタは頭巾に包まれた頭を押さえて、ため息をついた。
「こんな男よりも男らしい方を、誰も貴族のお姫様だとは思いませんよ……」
「それが狙いだからいいんだ」
ブリギッタが憂いても、アレクシアは気にしない。
ブリギッタはシャツの襟を直してやりながら、くれぐれも騒ぎを起こすな、何かあれば警備している騎士に任せて、自ら危険に関わろうとはするな──などといった注意事項を、口を酸っぱくして言い聞かせた。
「お気を付けていってらっしゃいませ。決して目立つようなことはなさいませんように」
ブリギッタは腰も膝も痛いからと、城で留守番しているそうだ。
不承不承といった様子でアレクシアを送り出してから、ブリギッタはちらりとマリーを振り返った。
「……それにしても、マリー。どうしてお目付け役があのよそ者なのです」
「まぁ、ブリギッタ様。それはご説明したではありませんか。騎士を護衛に付けるのは目立ちすぎますし、かといってお嬢様お一人を野放し……自由にさせるのは心配ですから、ルカ様が適任ですと」
「それはそうだけれど……」
ブリギッタはしわの目立つ目元を、きつく吊り上げた。
「王都から流れてきたよそ者など、私は信用していませんよ。いえ、あの方がこの城のために陰ひなたなく働いてくださっていることは認めます。けれどあの熱心な働きぶりも下心があってのことではなくて? そんな不純な動機の、どこの馬の骨とも知れない不審者を、私のお嬢様のそばに付けておくのは心配でならないわ」
ブリギッタはアレクシアの乳母だった。アレクシアが生まれた時から大切に育ててきたブリギッタにとって「私のお嬢様」は生きがいのような存在だ。
文句を言いつつちゃんとアレクシアの男装を手伝ってやっていたのも、内心は彼女のことが可愛くて仕方ないからである。
マリーは深くうなずいた。
「確かに、ルカ様は一途にお嬢様を想っていらっしゃいますわ。この城のために何くれとなく尽くしてくださる理由にも、お嬢様への恋心は間違いなくあるかと思います」
そこはこの際、はっきりと断言しておく。下手に否定したり、あいまいに濁すのはかえって話がこじれるだろう。
何しろルカのアレクシアへの恋心は非常にわかりやすいのだ。
あんなにもアレクシアに対してだけ熱い視線を注いだり、会うだけで顔を赤らめたり、心の声が言葉になってだだ洩れに洩れたりしているのに、恋愛感情はないなどとごまかすことはできない。
でも、とマリーは長いため息を吐いた。
「でも、うちのお嬢様はとんだ朴念仁ではないですか……」
「それはそうね……」
マリーは嘆き、ブリギッタは頭巾に包まれた頭を抱えた。
ルカは強引に迫りこそしないが、アレクシアへの好意は誰の目にも筒抜けだ。
あんなにも熱い慕情を日々注がれているというのに、どうして想われているアレクシアだけが何も察することなく平然としていられるのか。
こう言っては何だが、子供のエミールやリリーだってルカの好きな相手を察しているのに。
「ですから、ルカ様がご一緒しても問題ないと思うのです。ブリギッタ様が心配されるようなことは何も起こりませんわ。むしろ少しくらいいい雰囲気になってもい……いえ、何でもありません」
独身の男女が二人きりになるのは不道徳と見なされるかもしれないが、懸念されるような甘い展開に進むことはないだろう。ルカにとっては残念なことに。
「私だって、うちのお嬢様があんな弱そうな若造にどうこうされるとは思っていませんよ。剣術だって腕力だって、あの男よりお嬢様の方が勝っているに決まっていますもの。……そんな風にお育てしたつもりはなかったけれども……」
後半の下がったトーンに、ブリギッタの苦悩がにじんでいる。
マリーが苦笑いすると、とブリギッタはしわの寄った額を押さえた。
「お嬢様の身の安全は心配していません。ただ、私はまた……同じことが起きるのが嫌なのです……」
王都からリートベルクにやってきた貴族の若者は、ルカが初めてではない。
これまでも何人もの令息が、アレクシアに求婚するためこの地を訪れてきたのだ。
リートベルクは辺鄙な過疎地に追いやられた田舎貴族とも揶揄されているが、実際は国防の要を担って辺境地区を任された軍閥の重鎮、由緒ある名門の家柄だ。
そして現在のリートベルク辺境伯には、アレクシア一人しか子がいない。
アレクシアはいずれ父の後を継いでこの地の領主に──女辺境伯になる宿命にある。
広大な所領と強い権限を相続することになるアレクシアを求めて、これまで貴族の若者が幾人も辺境伯領へとやってきた。多くは貴族の次男や三男ら、継ぐべき爵位を持たない立場の令息だった。
未来の女辺境伯の婿に収まり、あわよくばリートベルクを牛耳ろうとの算段をもくろんでいただろう求婚者たちは、いずれ劣らぬ地位と権力を誇る名家の御曹司ばかりだった。
しかし、長続きした男はいない。
アレクシアが誰のことも一切相手にしなかったのもあるが、御曹司たちも大概、軟弱だった。彼らの中にはアレクシアより腕の立つ者が一人もいなかったのだ。
最初のうちこそアレクシアを美しいと褒めたたえ、甘ったるい愛の言葉を臆面もなくささやいてきた求婚者たちは、剣でも弓でも素手でもアレクシアに完全敗北を喫すると、あっという間に態度を一変させた。
──女のくせになんと野蛮なのだ、と怒り、こんなはしたない令嬢などこちらから願い下げだ、と吐き捨てて、しっぽを巻いてこの地から逃げ去っていった。
「たいした実力も覚悟もない青二才が、私のお嬢様の周りをうろちょろするだけでも不快だわ。どうせ長くは続かないのだから、最初からお嬢様に近づかないでほしいのです!」
求婚してきた男たちに手のひらを返されても、侮蔑的な捨てゼリフを吐かれても、アレクシアは特に気に留めていなかった。
激怒したのは父の辺境伯と、乳母のブリギッタである。
彼らをはじめとするリートベルク城の面々は大いに気分を害し、警戒心を強めた。よその貴族の令息とみれば牽制し、敵がい心を抱くようになってしまった。
ブリギッタとて、アレクシアにはもう少しお淑やかにしてほしいとは思っている。常々思っているし、本人にも再三にわたって苦言を呈している。
だが長年アレクシアを大切に慈しんできたブリギッタが言うのと、昨日今日リートベルクに来たばかりのよく知らない馬の骨が言うのは全く違う。
名家だろうが資産家だろうが関係ない。
アレクシアに比肩する実力も持たないふがいない令息ごときに「私のお嬢様」を侮辱されるなど、想像しただけでブリギッタのはらわたは煮えくりかえるのだ。
(……ルカ様はそういう方ではないと思うけれど……)
マリーはそう言いたかったが、あえて言葉は飲み込んだ。
かわりにすっと息を吸ってから、これまで脱落していった令息たちの顔をざっと一通り思い浮かべる。
「ブリギッタ様。私もこれまでいらした求婚者がたを見ていて思いました。申し分のない身分のお方だからと言って、私たちのお嬢様を幸せにしてくださるとは限らないのだと……。地位も、権力も、あるに越したことはないのでしょうけれど、あればいいというものでもないのですね……」
アレクシアは確かに令嬢としては規格外に強い。
それは彼女の持ち前の才能に加えて、たゆまぬ研鑽の成果でもある。
アレクシアの才腕も努力も認めず、野蛮だ女らしくないと罵るような男とでは、たとえ結婚したところでどのみち円満な夫婦にはなれないだろう。だからこそマリーは思うのだ。
「私にとっては、お嬢様を心から愛してくださる方が一番なのですわ」
ルカはあんなにも好きな気持ちが全身からあふれているのに、どんなに近くにいてもアレクシアには指一本触れようとしない。
いじらしくて、報われてほしくて、つい背中を押したくなる。
はじめのうちは息子のエミールを助けてもらった恩から、ルカがこの地になじむ手助けをしたいと考えていたマリーだが、ルカ自身を知るうちにますます情にほだされてきた。
一途で純情な恋が可愛らしいと思うし、応援したいと願っている。
ルカは身分も地位も高くない。血筋も高貴とは言えない。だが素直で、謙虚で、周囲の者たちに優しい。
それは貴族にはなかなか持ちえない美徳なのだ。
少なくともルカがこれまでの求婚者たちのように態度を急変させることは、マリーにはもう想像することができなかった。
(頑張ってくださいね、ルカ様……!)
今ごろはアレクシアと一緒に街の入り口にさしかかっているだろうか。
ルカのはじけるような笑顔が目に浮かんで、マリーは温もる胸元を押さえた。




