第20話 監獄(2)
服役中だった頃のユリウスが初めて目にしたアレクシアは、当時十代の半ばほどだっただろうか。まだあどけなさの残る少女だった。
新任の刑務官かと思うような、飾り気のない質素な軍服に身を包んでいたが、二度見するほど美しかった。
後から知ったが、監獄の内部で不正や虐待が行われていないかの監査も兼ねて、彼女や父の辺境伯がかわるがわる視察に来ているらしい。
その頃のユリウスは、マジメにお勤めなんざまっぴらだ、と看守に刃向かってはしばしば独房に隔離されていたので、領主が定期的に訪れていることすら何も知らなかった。
むさ苦しい男だらけの獄中に若い女がいる。それもとびっきりの上玉だ。
アレクシアが通るだけで、囚人たちはどよめいて色めきたった。
はっきりと覚えていないが、ユリウスはかなり挑発的なことを言った気がする。
傭兵生活で染みついた、汚いスラングまじりの野次を投げつけたが、アレクシアは顔色一つ変えなかった。
澄ました顔のアレクシアと、彼女に媚びへつらう看守たちの様子にますます腹が立って、ユリウスはさらに悪態をついた。
──もうそこの男どもを咥えこんでるのかよ。とんだ淫乱だな。オレの相手もしてくれよ──。
『わかった。相手になろう』
なぜか快諾され、あれよあれよと言ううちに獄舎を出された。
制止しようとする看守をなだめて、アレクシアは同じ剣を二振り用意させると、片方をユリウスに渡す。
『……!』
久しぶりににぎった剣の重みに、体が武者震いした。
ユリウスは腕自慢として鳴らしてきた。剣豪とさえ呼ばれたこともある。獄中生活で鈍ったとはいえ、傭兵時代に培った膂力は未だ衰えていない。
ましてや相手は女だ。簡単に押し倒して、組み敷いてやる──。
そんなことを思った時期もありました。
次の瞬間には、ユリウスは地面に仰向けになって、塀の上に広がる青空を見上げていた。
顔のすぐ横には、転がった自分の剣。避ける間もなく胴に入れられた一撃が、ぐわんぐわんと全身に響いている。
美少女に瞬殺で倒されて呆然とするユリウスは、仰臥した姿勢のままで看守から告げられた。少女がこの地を治める辺境伯の令嬢であることを。
──マジかよ、早く言ってくれよ。
リートベルク行きが決まった時以上に、人生終わった、とユリウスは思った。
どんな過酷な苦役を命じられるのだろうか。
懲罰ならいい方で、下手すれば処刑されるだろう。
ろくな思い出のなかったクズな人生が、走馬灯のように高速で脳裏をよぎった。
『いい腕をしているな』
まさかの褒め言葉。
空耳かと疑っているとアレクシアはさらに、よく鍛えているだとか、騎士向きの体格だとか、重ねて評価してくれた。
ユリウスは思わず唾を吐いた。
『……恵まれたお育ちのお嬢様が、薄汚い囚人をからかって楽しいのかよ』
『そうだ。私は貴族の家に生まれたおかげで、恵まれた暮らしをしてきた。おまえと戦って勝てる力を身につけられたのも、質の高い教育を受けられたおかげだ』
答えるアレクシアの瞳は、監獄の上に広がる蒼穹のように青かった。
『おまえたちの生い立ちや境遇に同情すべき余地はある。だが、世を恨んで腐っているだけではもったいない。おまえはそんな器で終わる人間ではないのだから』
──私の手を取れ、と言って、アレクシアは倒れたユリウスの前に手をさしのべた。
『縁あってリートベルクに来たのだ。一度死んだつもりで生き直せ。人に嫌われ、恐れられ、つまはじきにされる日々に終止符を打て。そして人を守り、感謝され、必要とされる存在になれ』
──必ずなれる、とアレクシアは断言した。
『おまえは健康な体も、強い力も、私に歯向かう度胸も持ち合わせた男なのだから──』
「……参ったな、つーか」
ユリウスは悔しそうに、眉間を押さえて目を反らした。
「そんなこと言われたの、初めてだったんすよねぇ……」
貧苦にあえぎ、地べたを這いながら暮らし、生き抜くためにせこい犯罪にさえ手を染めてきたユリウスにとって、本当のおまえは強い男だ──と言われたのは、まるで頭を強くぶん殴られたような衝撃だった。
それは場所は違えど似たような貧民街に生まれ、似たような後ろ暗い人生を送ってきたクラウスやマリウスも同様だったらしい。
期待されたことなんてなかった。
もったいないと惜しまれたこともなかった。
人を守る存在に必ずなれると、誰かに信じてもらったこともなかった。
そしてユリウスはその日以来、人が変わったように模範囚になったという。
お嬢様のあまっちょろい口説き文句に感動したとか、そんなんじゃない。断じてない。
ただあのお嬢様が言うように、こんな自分でも本当にもっとマシな存在になれるのなら、賭けてみたかった。
もう一度、自分を信じてみたかったのだ。
その後、無事に刑期を務めあげ、監獄を出所したユリウスは、服役中にすっかり意気投合したクラウスとマリウスとともに、本当にリートベルクの騎士見習いとして登用されることとなった。
そこまでを語って、ユリウスは太い首をひねった。
「ルカ様? 息してます?」
ルカは目をつぶっていた。両手を胸の前で交差させたポーズのまま静止していて、微動だにしない。
ユリウスはルカの顔の前でぱっぱっと手を振った。
「ルカ様? ルカ様ァ?」
「あっごめん。良い話すぎて天に召されてた」
「良い話すぎて天に召されてた!?」
ルカは目を閉じたまま祈っていた。頬をつーっと涙がつたう。
「ありがとうありがとう……いいエピソードです……」
「お嬢が絡むとちょいちょいおかしいなこの人!」
できることならそのシーンを目撃したかった、とルカは心底願う。最前列かぶりつきで見たかったが、言っても仕方がない。脳内再生は余裕である。
そんなこんなで、リートベルクの騎士団員にはユリウスたちのような元囚人の騎士も少なくないらしい。
「ニコラウス団長は違いますけどね」
「あの人は正真正銘、生粋の騎士っす」
「騎士団のメンバーの多くはカタギだけど、まぁ、俺らみたいなムショ上がりもいないわけじゃないっすね」
リートベルクの騎士団は、ニコラウスのような生え抜きの騎士たちと、ユリウスたちのような元囚人の騎士たちとが混ざって構成されているということだ。
それで特に軋轢もなく、足並みも乱れず、むしろ団結して騎士団を運営できているのだからたいしたものである。
ちなみに入隊してからのユリウスとクラウスとマリウスは持ち前の強さを発揮してめきめきと頭角を現し、数年経った今では部隊長を任されるまでになった。
もちろん実力に加えて、本人の適性を考えた上での人事なのだろうが、前科があっても登用や昇進のチャンスを与えられることにルカは驚いた。抜擢した方もされた方もすごい。
もちろんユリウスもクラウスもマリウスも今はとっくに悪事から足を洗い、まっとうな騎士として日々の職務を遂行している。
三人とも犯罪者の検挙率が高いのだが、彼らいわく「悪党の考えることなんざ手に取るようにわかるんすよ」らしい。頼もしい。
話が長くなったが、つまりアレクシアは今、あの刑務所内の監査に出向いているということだ。
「……ということは!?」
ルカはいいことに気が付いてしまったというように、水色の瞳を天真爛漫に輝かせた。
「あそこに収容されれば、アレクシア様に稽古をつけてもらえる……?!」
「入りたがらないでくださいルカ様ァ!」
「言うても豚箱っすからね!!」
「そんな汚れなきお目目で憧れるような場所じゃないっすからね!!!」
ユリウスとクラウスとマリウスがわーわー言っているが、あまり耳には入らない。
湖に横たわる浮島と、Xの形になって伸びる監獄を遠目に見つめていたルカは、はっとして身を乗り出した。
(……なんか、いい匂いがする!)
湖の方角から、爽やかで清冽な香りが風に乗って運ばれてくる。
小島を見下ろせば、鉄格子のはまった門扉の一角が開けられ、中から数人の人影が出てきたようだった。
砂粒のように小さいが、アレクシアだ。ルカの嗅覚がそう言っている。
「アレクシア様だ!」
「え、遠くて全然見えないっすけど」
──見間違いじゃないっすか、とクラウスに投げやりに答えられながらも、ルカはかぶりを振った。
「僕にはわかります! 間違いないです!」
「やっべぇなこの人……」
マリウスが引いた顔で後ずさるが、どんなに白い目で見られても気にはならない。
アレクシアの香りがする空気をすーはーと吸い込みながら、ルカは崖っぷちぎりぎりにまで身を乗り出した。
「今日も素敵だぁ……」
もはや心で思うだけでなく、声に出てしまう。
彼女がいるだけで、世界は素晴らしい。
ユリウスとクラウスとマリウスに生温かい目で遠巻きにさ……見守られながら、ルカは今日も片恋に身を焦がすのだった。




