第18話 見張り楼と騎士団
見張り楼は、城の中で最も高さのある建物だ。
荒削りの角石を高く組んだ円筒形の塔で、他の館とは連結しない、独立した作りになっている。
主な用途は見張り楼の名の通り、監視だ。戦時の際に登って、戦況を遠望するために設けられている。
エミールとリリーに案内されて、初めてルカが最上階まで登った時。監視台は薄汚れてほこりが積もり、蜘蛛の巣まで張っていた。いくら今は平時とはいえ由々しき状況だ。
なので、さっそく道具を持ち込んで掃除することにした。
せっせと掃いて、ぴかぴかに拭いて、巣は壊すが蜘蛛は逃がしてやる。
監視台がすっかりきれいに清められた頃。遠い東の空が払暁の色に染まり、朝日がゆっくりと登ってくるのが見えた。
澄んだ朝の空気を浴びていると何だか得をしたような、良いことが起こりそうな予感がする。
その「良いことが起こりそうな予感」が的中したのは、ルカが身のすくむような高さのはしごを降りて、足の裏を地面につけた時だった。
「早いな」
「アレクシア様……!」
アレクシアは長い髪を下ろしていた。白く射しこんでくる黎明に映えて、つややかな黒髪が光の輪を作っている。瞳は頭上の天空をそのまま写し取ったような、透き通った深い青の色。
「……好き……!」
ルカはつぶやき、気がつくと両手を祈りの形に組んでいた。
「何を拝んでいる」
「朝から綺麗なものを見られて幸せだなって……」
早朝からアレクシアを摂取できるなんて幸先が良すぎる。今日は良い日になりそうだ。
ちなみに、朝アレクシアに会えれば「良い日になりそうだ」と思えるし、昼に会えれば「今日は良い日だ」と信じられる。夜に会えれば「今日は良い日だった」と噛みしめられる。要するにいつでももれなく幸せな気持ちになれるのだから、恋は偉大だ。
「どこかへ行かれるのですか?」
「ああ。朝の日課でな。騎士たちとの訓練だ」
手に持った剣を示して、アレクシアは笑う。曲線を描いた碗型の鍔がついた、鍛錬用の長剣だ。
アレクシアが剣を使っている姿を想像して、はわわわとルカは浮足立った。そんなの絶対間違いなく好きすぎる。
「一緒に来るか?」
「はい!」
ルカはまるで全力でしっぽを振る子犬のように、わくわくきらきらと瞳を輝かせた。
***
リートベルク騎士団の拠地は居城の北側、城壁に囲まれた一角にあった。
山を切りひらいた広大な敷地の中に、騎士たちの宿舎や武器倉庫、立派な練武場などを備えた駐屯地が形成されている。
「おはよう、みんな」
「「「お嬢様!」」」
「「「おはようございます!」」」
爽やかに言うアレクシアに、野太い声をしたあいさつが重なって返ってくる。
鋼鉄のような筋肉と筋肉と筋肉の群れが、強固な壁となってルカの視界を塞いだ。
「あれ……?」
ルカはきょとんと、筋肉の壁を見上げた。
「騎士……? だよね……?」
思わずそう疑問符が浮かぶほど、彼らは騎士のイメージとかけ離れていた。
みなぎる筋肉。滝のように流れる汗。野性味あふれるすえた匂い。首も四肢もそろって分厚く、鍛え上げられた体躯はたくましいを通り越してゴツい。
全員がそろいの制服をまとっているが、豪快にまくりあげた腕や脚、大胆にはだけた胸板には、芸術的なタトゥーがゴリゴリに入りまくっていた。
良く言えば精悍。悪く言えば凶暴。
王都にいたら、騎士団どころか山賊の集団と誤解されそうほど、屈強さの度合いが過ぎる。
「騎士団長のニコラウスだ。となりは各部隊の隊長たちで、右からユリウス、クラウス、マリウス」
アレクシアが紹介したのは、並みいる騎士の中でもひときわ筋骨隆々とした、大岩のような男たちだ。
「あの人……?」
彼らのうち、ユリウスにどことなく見覚えがあるような気がして、ルカは記憶をたどった。
そうだ。初めてこの地に来て、野生の狼に襲われた日。アレクシアの側に付き添っていた──そしてルカを崖から突き落とした男だ。
(あ、あの時の……!)
的確な一撃だった。部隊長を務めるほどの男だったのなら納得である。
なお、突き落とされたことに関しては全く恨んでいない。大切な令嬢に突然求婚してきた挙動不審な男など、そのくらい手荒な対応をして当然だろう。
ボコボコにされても体が左右に分かれても文句は言えない。突き落とされるくらいで済んで幸いだった。
「ではニコラウス、頼む」
言って、アレクシアは長い黒髪に手をやった。慣れた手つきで髪をまとめ、紐で結う。
くくった髪の間から白いうなじが見えて、ルカの心拍数は気絶寸前まで急上昇した。
(好きぃ……!)
そんな男心に気付くはずもなく、アレクシアは剣を一振りする。
練習用とはいえ鉄製の剣はかなりの重量があるが、まったく重さを感じていないかのような軽快な動きだった。
相手を務める騎士団長のニコラウスは、強靭な騎士たちの中でもひときわ盛り上がった筋肉の持ち主で、アレクシアの倍ほども大きく見える。
合図とともに、二人が同時に鞘から刀身を抜いた。
剣さばきはまさに、電光石火。
目にも止まらない速さで、二人は怒涛のごとく鎬を削る。激しく鍔ぜりあう音が、練武場に鳴り響いた。
「……わぁ」
ルカは呼吸を止めて見入った。
実家のヴァルテン家も、名のある騎士たちを何人も招いて雇っていた。弟のマティアスが高名な騎士との稽古を好み、頻繫に打ち合いを望んだからだ。
だが、ヘルミーネに雇用された騎士たちは、決してマティアスを傷つけることのないよう厳命されていたので、誰も真剣に向き合う者はいなかった。
剣技の極意はおろか、基本の型さえまともに教えることはない。手心を加えてマティアスを勝たせ、ちやほやと褒めそやし、気分良く帰らせるまでが彼らのお仕事。
むしろ本気でマティアスを鍛えようとして怪我でもさせようものなら、ただちに職を失う。
もとより商家あがりのヴァルテン家は、軍事面での貢献を期待されていない。後継者だろうが、お遊び程度に剣術をたしなんでいれば充分と思われていたのだろう。
気が付いていないのは、当のマティアスだけだった。
どんな騎士と戦っても負けたことがないと鼻高々で、自分は天才だと自称し、ルカにもたびたび戦いを挑んできた。特注の高価な剣を振りかざして、丸腰のルカ相手に、だ。
とにかく、マティアスにお膳立てする騎士たちの姿をさんざん見てきたことで、手心を加えているかどうかは見ればわかるようになった。
だからこそ実感する。リートベルク領の騎士たちに忖度はない。
主君の子だろうが女だろうが手加減なしで、全身全力でアレクシアと対峙しているのがよくわかる。
アレクシアと騎士団長のニコラウス、二人が切り結ぶ剣戟の音はすさまじく重く、刃先が交わってひらめく光さえも凄絶だった。
「……すごい」
圧倒されているルカを、各部隊の隊長たちがにやにやと笑いながら取り囲んだ。
「だろ? すごいよなぁ、うちのお嬢は!」
ユリウスの分厚い上腕二頭筋が、ぐいっとルカの肩に回される。
「よう、兄ちゃんも一汗流していくか?」
「はいッ!」
クラウスのキレのある背筋を見上げて、ルカは元気良く答えた。
「よーしその意気だ。まずは小手調べに城の外周を十……いや二十周だ!」
「はいッ!」
マリウスの血管の浮き出た内転筋が走り出すのにつられて、ルカも後を追う。
アレクシアは構えたままの剣筋を、ニコラウスに向けた。
ニコラウスが振りかぶった大剣を自身の刀剣で受け止めて、アレクシアは力強く横に振り払う。わずかに生まれた間隙を縫って、さらに袈裟がけに剣を薙いだ。
よろめくニコラウスが体勢を立て直すよりも先に、アレクシアが跳んだ。防ぐ隙を与えずに、素早く次の剣をくり出す。
ニコラウスの巨体が宙に浮き、砂塵を舞い上げながらどうっと倒れて闘技場に沈んだ。
息一つ乱さないアレクシアの勇姿に、ルカの胸がきゅんと疼く。
「す……き……!」
熱っぽい眼ざしでアレクシアをうっとりと見つめるルカに、ユリウスとクラウスとマリウスは強面の顔を見合わせた。
「……なぁ、これまでお嬢に求婚してきた貴族の若造は何人もいたが……」
「……ああ。お嬢が団長を蹴り倒しているのを見て惚れ直す若造は初めてだな……」
「……普通は引くからな……」
女が武力で上回っていたら、不快感をあらわにする男はめずらしくない。感心するよりも生意気だと怒り、称賛するよりも野蛮だと貶める。
特に戦乱には縁のない中央貴族の、軟弱なボンボンたちはその傾向が強いと思っていたのだが……この小僧は違うようだ。
ユリウスとクラウスとマリウスは口をそろえて、愉快そうに笑った。
「ふーん……おもしれー男……」




