第17話 エヴァルトの調査
「変わったご令息ですね。とても大富豪のお坊ちゃんとは思えません」
銀縁の眼鏡を押し上げて、冷静に答えたのはエヴァルトだった。リートベルク邸の執事を務める青年だ。
もっとも正式な執事はエヴァルトの父エッカルトであり、エヴァルトは執事補佐の立場である。
しかし父について執事の仕事を学んでいるうちに息子の方がめきめきと頭角を現し、判断力といい仕事量といい、今やエヴァルトが実質的にリートベルク家の執事を務めている状態だ。
「お嬢様、こちらを」
エヴァルトは書類の束をすっとさし出した。
「ヴァルテン家について、少々調べさせました」
「相変わらず仕事が早いな」
「当然です」
エヴァルトは冷徹に言った。
あのルカという男、純朴な青年に見えるが、本音まではわからない。よこしまな魂胆あってリートベルクに近づく不埒者ならば、速やかに排除しなくてはならない。
「ルカ・ヴァルテン……男爵家の長男か。本当にミドルネームを持っていないのだな」
手に取った書類は、この短期間で調べさせたにしては詳細な内容だった。
リートベルク辺境伯家は武骨で無粋な田舎貴族と揶揄されがちだが、実のところ諜報にも長けている。戦争において情報は何より重要な戦力だからだ。
国防の要として国境地帯を預かるリートベルク家は優秀な間諜を多く抱え、時には他家にさえ巧妙に侵入して必要な情報を探ることを得手としていた。
「年齢は十九歳。私の三つ下か。もっと幼く見えたが……」
書類をめくりながら、アレクシアはつぶやいた。
アレクシアは二十二歳なので、ルカよりも三歳年上になるが、正直に言うとルカの細い体型や幼さの残る顔立ちからしてもっと年が離れているかと思っていた。
「そうですね。私も十五か六くらいかと思いました。余り栄養状態が良くはなさそうですね……」
エヴァルトは眼鏡の奥から、中庭の菜園でせっせと畑を耕すルカを見下ろした。
鍬の使い方といい腰の入り方といい、無駄がなくて手慣れている。少なくとも富豪の御曹司が気まぐれに土いじりをしてみましたという雰囲気ではない。
「ヴァルテン家の私生児と言っていましたが、それにしてもルカ様は質素すぎます」
地味な服装。少ない荷物。痩せた体つき。供の一人も連れず、ミドルネームすら持っていない。ごく普通の客室にも驚き、使用人のするような雑務を手慣れた様子でこなし、豪華でもないありふれた常備食に舌鼓を打っている。
「ミドルネームがない、というのをどう思う? 私の知る限り、そんな貴族は他に聞いたことがないのだが……」
「私も寡聞にして聞きませんね。私生児であっても、貴族の姓を名乗るのならばミドルネームを付けるのが普通です」
アレクシアが問い、エヴァルトが同意した。
平民は名と姓のみを名乗るが、貴族は必ずといっていいほどミドルネームを与えられる。
基本的に息子ならば父親の名を、娘ならば母親の名を付けることが多く、アレクシアのミドルネームである「ルイーゼ」も母の名前である。
貴族の父親と平民の母親との間に庶子が生まれた場合、貴族の籍に入るかどうかでミドルネームの有無が決まる。
父親に認知されて貴族の戸籍に名を連ねるのならば、生まれに関係なくミドルネームを名乗るのが常識だ。
逆に認知されずに平民として生きていくのなら、母方の姓のみを名乗る。
つまり、ルカのように貴族の姓を許されていながらミドルネームを欠いているというのは希有であり、奇異な印象すら受けるのだ。
エヴァルトは束ねた報告書に眼鏡ごしの視線を走らせながら、重々しく言った。
「ルカ様は確かに私生児ですが、生後すぐに父君である男爵から認知され、ヴァルテン家の長男として育ったようです。にも関わらずミドルネームを与えられていないということは……ルカ様が生家で大事にされていた、とは言いがたいでしょう……」
貴族の長子にミドルネームを与えないなど、普通ならば考えられない。
だがそれがまかり通っていたのなら、ヴァルテン家は長男を冷遇していたと暗に語っているにも等しい。
「しかし、ヴァルテン家の財力であれば、私生児が何十人いようがたやすく養えます。ルカ様がいくら肩身の狭い立場だったとしても、生家に暮らしている限りは何不自由ない生活を送れたはず。それなのに、いったいなぜたったお一人でこの地に流れてきたのか……。何か事情があるのだろうとは思いましたが……」
「……婚約破棄?」
書類に綴られた文字に目を留めて、アレクシアはささやいた。
そこにはルカがつい先日まで伯爵令嬢と婚約していたことが記されていた。
しかし、令嬢側からの申し入れで婚約は白紙となったこと、さらに相手の令嬢はすでに別の男と婚約を結んでいることも。
「伯爵令嬢の新しい婚約者は……ルカの弟?」
「そのようです」
新たな婚約者の名はマティアス・アウグスト・ヴァルテン。
男爵家の次男で、ルカとは違い父親の名をミドルネームに持っている。正妻の子と思って間違いないだろう。
「兄弟で婚約者を取り合ったということか? 都会は怖いな……」
アレクシアはリートベルク領に定住し、首都には久しく顔を出していなかった。
辺境伯領は大国テュルキスとの国境に接し、常に油断のならない情勢であること、さらに今は父である辺境伯が不在であり、アレクシアまでが領地を空けられないことが主な理由だが、本音を言えば王都に行きたいとも思っていない。
王宮で開かれる舞踏会だの、令嬢たちの優雅なお茶会だの、とてもこなせる気がしない。憧れるどころか苦手意識さえ感じる。山で獣を狩っているか、騎士たちと剣をふるっている方がよほど性に合っている。
しかし、ルカが中央貴族の御曹司というイメージからかけ離れていたことには、報告書に目を通したことで合点がいった気がした。
「そうか。ルカは婚約者を失い、自暴自棄になっていたのだな……」
ルカはさぞかし伯爵令嬢を愛していたのだろう。婚約を破棄されたことに悲しみ、自分よりも弟を選んだ婚約者の心変わりに深く傷ついたのだろう。
だからもう、婚約者の暮らす首都にはいられなくなった。彼女と弟の寄り添う姿を見るだけでも辛く、何もかも捨ててでも旅立ちたいと思ったのだろう。
城下の森で初めて出会った時。ルカはアレクシアを見て凍りついたように固まり、その場に片膝をついた。
そして言ったのだ。──僕と結婚してください、と。
「あれは聞き間違いかと思っていたが……気の迷いだったのか」
まるでプロポーズかのように聞こえるセリフだった。
てっきり自分が聞き違えたのだと思って流していたが、ルカの過去を考えると、どうやら錯乱して出た言葉なのだろう。
傷心のルカは、愛に飢えていた。
破れた婚約にうなだれ、失った恋に打ちひしがれ、遠ざかった結婚に焦がれていた。
そんな絶望の中にいた時、目の前に現れたのがたまたまアレクシアだったのだろう。
あるいは奪われてしまった婚約者の面影を、偶然出会ったアレクシアに重ねたのかもしれなかった。
破れかぶれの心境にあった人間の言葉を、本気にしても仕方がない。
あのプロポーズの件には決して触れず、忘れてやるのが親切だろう、とアレクシアは心に決めた。
「しかし婚約が破談となって社交界に居場所を失ったばかりか、実家も出てきてしまったというのなら、追い出すのも不憫だな……」
リートベルクの領地や領民に迷惑をかけているというならともかく、ルカはよく働いて城の者たちを助けてくれている。
あるいはがむしゃらに働くことで、婚約者との思い出を忘れようと努めているのかもしれない。
アレクシアも不快なことがある時ほど剣や弓の鍛錬に励み、汗を流してスッキリするタイプだから、体を動かすことで悩みを振り切ろうとするのはよくわかる。
ならばルカの気の済むまでここにいればいいのではないか、とアレクシアは思った。
王都と辺境では、風土も環境もがらりと違う。田舎暮らしが思いのほか性に合うのなら、いたいだけこの地に滞在し、ルカの望むようにして過ごせばいい。
そうすればいつの日にかまた、故郷に戻りたいと思える日も来るだろう。その時が来るまで、好きにさせよう。
失恋で傷ついたルカの心が癒えるまで、温かく見守ろう──。




