第16話 アレクシアの疑問
リートベルク城に来てから、数日。
ルカはいたって健康的な日々を送っていた。
日の出とともに起きて厨房に入り、薪を組んで火を熾す。ハンスら料理人たちと相談しながら分担して朝食を作り、配膳に後片付け。自分も手早く食事を済ませたら、家畜に餌をやったり、厩舎で馬の世話をしたり、畑で農作業をしたり、城の内外をあちこち掃除したりと、自分からどんどん仕事を見つけては、きびきびと動き回っている。
リートベルクの城はどこも居心地がよく、どんなに働いても不思議と疲れを感じなかった。
ここにはルカを蔑み、踏みにじり、どう扱ってもいいと思い込んでいる弟もいない。
弟だけを露骨に贔屓し、あからさまに差別して、頻繁に罵声を浴びせてくる継母もいない。
ルカをかばうどころか一切無視し、傍観と無関心とを貫く父もいない。
エミールとリリーはお兄ちゃんお兄ちゃんと呼んでルカになついてくれて、とても可愛い。
血のつながった実の弟のマティアスからは一度も慕われたことがなかったので、エミールとリリーが無邪気な笑顔を向けてくれるのには心が癒された。
城の者たちはみんな親切で、兄妹の母のマリーも、ハンスら料理人たちも、従僕や庭師や馬丁たちも、誰もがルカによくしてくれる。
密かに優しくしてくれたヴァルテン家の使用人たちのことを思い出すが、ここではどんなにルカと親しくなっても、誰も使用人を恫喝したりクビにしたりはしないので、ものすごく気が楽だった。
そして、何よりも。この城には彼女がいる。
アレクシア・ルイーゼ・リートベルク。
どこにいても、何をしていても、誰と過ごしていても、いつだって彼女のことを思い出す。
アレクシアの強靭な姿が、しなやかな身のこなしが、どんな宝石よりも美しい青色の眼が、ルカの魂の一番深いところにはっきりと刻まれて、決して消えることのない綺羅星のように燦然と輝いている。
森でアレクシアが放った、星のようにまっすぐに翔ける羽矢。
ルカの命を救ってくれたあの矢は、今も心臓の中心に突き刺さったまま抜けずにいる。
……とはいえ、後悔がないわけではなかった。
『──僕と結婚してください!』
思わず告げてしまったあの言葉を思い出すと、恥ずかしさで体中が火照った。
「あああ……僕……なんてことを……!」
あんな風に体が勝手に動いたのは、言葉が口から勝手にあふれ出たのは、生まれて初めての経験だった。
名前も、身分も、何も知らなかった。でもこの人しかいないと思った。
嘘でも錯覚でも気の迷いでもない。この恋は本物だ。本物だと胸を張って断言できるが、それでもあの本能的に発してしまった告白を思い出すと、ルカは顔から火が出そうになった。
「突然あんな……さぞ引かれただろうな……」
初対面の、第一声が、求婚なのだ。
迷惑がられても、軽蔑されたとしても無理はない。
自分の軽率な発言に落ち込むが、アレクシアの方はあれから何度か顔を合わせても、あの時のルカのプロポーズを蒸し返してくることはなかった。
城の食事は口に合うかとか、必要なものがあれば言ってくれとか、ルカの体を気遣った言葉ばかりかけてくれる。控えめに言って、女神かな? と思う。
出会った日以来、通りすがりに一瞬アレクシアの姿を見るだけでも、ルカの胸は躍った。
あの時の熱情は勘違いや一過性のものなどではなく、本物の炎なのだと確信することができた。
だから、どんな地味な下働きでもいい。ほんの少しでも、アレクシアの役に立てるのならそれでいい。
これからも頑張ってこの城の人々を手伝おう──。
そう決意を新たにしたルカは、張りあいとやりがいを噛みしめながら、水を得た魚のように生き生きと仕事に戻っていった。
***
「……本当にヴァルテン家の令息なのか?」
執務室で書類に囲まれながら、アレクシアは不思議そうに言った。
運んできた茶を机上に乗せて、メイドのマリーがうなずく。
「ルカ様ですか? 毎日楽しそうに働いていらっしゃいますね」
「貴族の男が? 働く……?」
貴族は基本的に労働などしない。好まないどころか下民のすることと馬鹿にし、自分たちの優雅な生活が使用人たちの働きによって支えられていることに感謝すらしない。使用人のやるべき雑務を主人が行うのは卑しいことという認識さえ強い。
リートベルクは辺境地帯なこともあり、当主の娘のアレクシア自身が自ら周辺の警備や巡回に出ることも多いが、それは例外中の例外だ。
治安の良い中央貴族の出身ならば、労働とはほど遠い生活をしてきたはず。
それなのに、あんなにまめまめしく立ち働く貴族の御曹司がいるものだろうか。
初日に案内した客室からも、ルカはすでに引き上げていた。
ブリギッタによれば「気後れするから使用人棟の一角に移らせてほしい」と自ら希望してきたとのこと。
「気後れする……?」
アレクシアは首をかしげた。
部屋は来客にそなえて清掃はしているが、気後れするほど豪華でもない。
富裕で鳴らしたヴァルテン家の方がよほど豪勢な作りをしているはずなのだが。
「それに何だか最近、厨房の料理の質が上がった気がするのだが……」
「それもルカ様ですわ。ハンスたち料理人に、せっせと都会の料理を教えていらっしゃいます」
「嘘だろう?」
「本当です。ハンスは大喜びです」
ハンスは長いこと城の厨房を取りしきっているが、よい意味でプライドが高くない男だ。
食べることが趣味で、三度の飯とおやつが何よりも大好きなハンスは、美味しいものをくれる人は全員友達、と信じている。
ルカは王都で流行している最新の料理にも精通しているが、当然ながらリートベルクの郷土料理に関してはハンスの方が詳しい。
都会の斬新な調理法と、リートベルクの伝統的な調理法と、産地直送の新鮮な食材とをかけあわせて、温厚な二人は和気あいあいと試行錯誤をくりかえしているらしい。
「考えられないな……」
ますます謎が深まって、アレクシアは青い瞳をまたたいた。
普通の貴族の令息なら料理どころか、厨房に立ち入った経験すらないはずだ。
──これは本格的にわけあり令息なのかもしれない。




