第15話 末端令息は働く
あくる日の朝。晴れわたる青空の下。
「こんな高い石垣、初めて見た……」
ルカはエミールとともに、高く積まれた堡塁を見上げていた
快適な客室のベッドは、寝心地も素晴らしく快適だった。
安らかな気持ちで眠りにつき、爽やかな気持ちで目覚めた朝。ルカはすぐにエミールの様子を見に行った。
昨日のうちに医師から手当てを受けたというエミールは、怪我をした足首に白い包帯を巻いてはいるものの、顔色は格段によくなっていた。
「よかったねぇ、エミール!」
「ルカ様のおかげですわ」
エミールとルカがわしゃわしゃと戯れていると、エミールの母のマリーが丁寧に礼を言ってくれた。
「狼が出没していたのでしょう? あのまま森にいたら子供たちも危険だったかもしれませんわ。ルカ様が居合わせてくださって、本当に助かりました」
「いえ、僕は大したことはしていなくて……狼を倒してくださったのはアレクシア様で……」
ルカは首を振ったが、名前を呼ぶだけで心の底にひそかな炎がともる。
“守護者”
なんてあの人に似合う、美しい名前なのだろう。
その名の通りルカを守ってくれた彼女の雄姿が、瞼に残って離れない。
まるで心の一番奥に焼き付けたみたいに、すべての記憶をスローモーションで思い出すことができる。
目を開けていても閉じていても、いつだってあの光景が鮮やかによみがえってきて、恋を知ったばかりの胸をきゅんきゅんと締めつけた。
「ルカ様は旅の途中でいらっしゃるのですか?」
「旅というか……特にどこにも行くあてはないのですが……」
実家を出た時に手配された馬車は当然のごとく片道切符だったし、わずかな手持ちの金もその馬車の御者に渡してしまった。正真正銘の一文無しである。
「お兄ちゃん、昨日お城で働きたいって言ってたよね。ぼく、約束どおり推薦してあげるからね!」
「ありがとう、エミール~!」
胸を張るエミールを抱きしめて、二人できゃっきゃとじゃれていると、マリーがエミールを叱った。
「エミール! ルカ様は貴族でいらっしゃるのよ。お兄ちゃんではなくルカ様とお呼びしなさい」
「マリーさん、気にしないでください。僕は貴族といっても末端だし、半分は平民だから」
ルカの実家であるヴァルテン家は金で爵位を買った成り上がりの貴族である上に、地位は最下位である男爵。しかもルカは平民の母との間に生まれた私生児だ。
自分が威張れるような身分ではないことはよく知っているし、継母からも身の程をわきまえろと痛いほど叩き込まれてきた。
だからエミールに敬称を付けずに呼ばれても少しも嫌ではない。むしろ敬われるよりも、親しくしてくれる方がずっと嬉しい。
マリーは目を細めて、まぶしそうに微笑んだ。
「ルカ様、私にできることがあればおっしゃってください。子供たちの恩人ですもの。私も何でも協力させていただきますわ」
***
その後、まだ歩くのは辛いというエミールを背負って、城の中を案内してもらった。
城の中心となる建物は、領主の住まいである居館。装飾は少なく、堅牢な作りだ。窓が高い位置に設けられているのは、敵の侵入を防ぐためだろう。
城壁の上部は歩けるほどの幅があった。外部の敵を見下ろし、必要に応じて攻撃できるようそうなっているらしい。居住と防衛の目的を同時に満たす造りに感心してしまう。
そして、その城壁の手前。
高く積み上げられた堡塁を見上げながら、こんな高い石垣初めて見た──とルカは感嘆の声をあげていた。
「すごい高さだね。さすがは辺境の要を守る城砦……」
リートベルク城の城門は、馬が車を曳いて通れるほど大きかった。
重厚な扉には鉄製の鋲が打ち付けられている。積み上げられた石垣は高く、大砲を跳ね返すくらい頑丈に作られていた。
城の外周をぐるりと取り囲むような形で、防護用の柵がめぐらされている。しかし柵の一部分は劣化して、破損したままになっていた。
人手が足りないのだろうと察し、許可を得てルカが補修に取りかかる。
「これでいい……かな?」
同じ素材の板を用意して、同じ高さにそろえて切り出して、鑢をかけて、つやを出すためのニスを塗って、同じ色のペンキで均一に塗る。
ついでに他のゆるんだ鋲を抜いて交換したり、閂の古びた金具を締め直したり、城門まわりを掃くついでにあちこちを磨き上げたりしていると、エミールがきらきらした尊敬のまなざしで見つめてくれた。
「ルカお兄ちゃん、何でも上手いね!」
「ありがと!」
ルカは釘をくわえたまま、はつらつと答えた。
実家であるヴァルテン家に住んでいた頃から、ルカは働くことに慣れていた。
使用人たちがルカに同情し、陰ながら優しくしてくれたこともあるが、継母のヘルミーネはルカが下働きのような真似をしていると喜んだのだ。
ルカが使用人たちから仕事を教わって、館の掃除や馬の世話や料理の支度をしていると、ヘルミーネはいたく満足そうだった。
働くのは卑しいことで、主人のすべきことではない。労働などという下賤なことは平民にさせればいい。
そう考える貴族は多いが、ヘルミーネは特にそうした選民意識が強かった。
──平民の血は争えないわね、とヘルミーネから嬉しそうに言われたことも何度もある。
そうしている方がお似合いよ。あなたは卑しい血なのだから──と嘲られるのも、慣れてしまえば何とも思わず、むしろ邪魔されないので気が楽だった。
だから使用人たちが教えてくれる仕事は何でも積極的に習ったし、使用人たちの方もルカが自分たちの職務を覚えようとするのを歓迎してくれた。
貴族らしくないのは承知しているが、おかげで働くことに抵抗はない。誰かに喜んでもらえるのならなおさらだ。
「わぁ、立派な畑……!」
城砦の中には広大な庭園が広がり、菜園に果樹園、薬草園まで設けられていた。
万が一戦争が起こった際、門を閉ざして籠城しても耐えられるよう、可能な限り自給自足を試みているのだろう。
ルカは薬草園で水やりをしていた庭師に声をかけ、伸びすぎたハーブをいくつか摘ませてもらった。
その後はリリーも合流して、一緒に調理場へと向かう。
「おはようございます!」
主厨長のハンスたちにあいさつし、食事作りに加わる。
大鍋にたっぷりの卵と野菜を茹でていたから、摘みたての新鮮なハーブを使った緑のソースを作ったら喜んでもらえた。これもヴァルテン家の料理人から習ったレシピのひとつで、肉よりも野菜に合うソースなのだ。
「はぁ……美味しい……! 都会の人は野菜もおしゃれに食べているんですねぇ……」
ソースを和えたサラダをもりもりとほおばりながら、ハンスがうっとりと言った。
「ヴァルテン男爵というと、私でも聞いたことのあるようなお金持ちのおうちですが、やはり抱えている料理人もすごい方なんでしょうか?」
「そうですね。僕に料理を教えてくれた料理人はヨハンと言って、王都でも名の知れた名店で総料理長を務めていた人でした」
ルカがヨハンが働いていた店の名を告げると、ハンスは飛び上がり、「えええ! あの有名店の!?」とふくよかな腹をぷるるんと揺らしながら驚いた。ハンスの憧れの店だったらしい。
「一生に一度でいいから、いつか行ってみたいと思っていたんです! あのお店の元料理長から料理を学んだなんて、うらやましすぎる……!」
指とスプーンをくわえて、ハンスが羨望のまなざしを向けた。口の間からじゅるりとよだれが落ちる。
家格の低いヴァルテン家が、ヨハンのような一流の料理人を引き抜くことができたのは、要するに成金だからである。
平民である使用人たちにとって、仕える家の爵位はそれほど重要ではない。
序列の高い方が名誉ではあるが、それよりも待遇や報酬の方が大事だ。吝嗇な侯爵家や伯爵家よりも、高額の給金を払ってくれる男爵家の方が好まれる。
そんなわけで、上流階級では小馬鹿にされる成金のヴァルテン家も、庶民の間では人気の奉公先だった。男爵夫人の評判は悪かったが、その分も含めての高給と思えば我慢できる。
実際、ヘルミーネがどれほど傲慢にふるまおうとも人気は衰えず、志願者は絶えなかった。
応募者が多ければ倍率も高くなり、自然と、能力の高い者が採用されることになる。
料理人も、管財人も、庭師や下男や種々のメイドたちも、ヴァルテン家に雇用されている者たちはみんな他家よりレベルの高い上級者ぞろいだった。
ルカはそのハイレベルな使用人たちに、幼い頃から揉まれて育ってきたのだ。
実の家族よりもずっとルカに優しく接してくれた使用人たちや、秘蔵のレシピさえ伝授してくれた料理長のヨハンには、感謝してもしきれない。
「ヨハンには全然及ばないのですが、よかったら僕もこの調理場をお手伝いしたいです。ハンスさん、よろしくお願いします」
「願ってもないです! こちらこそぜひよろしくお願いします!」
前のめりで握手を求めるハンスと連れ立って、ルカはさっそく城内の畑へと野菜の収穫に出向いたのだった。




