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【受賞・書籍化】追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚れする  作者: 朝森さな


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第14話 リートベルク城

 リートベルク城の門前には落とし梯子(ばしご)が設けられている。門と城壁の間には深い堀が抜かれていた。


 堀の中に水はない。戦時には水を溜めて敵の侵入を防ぐ作りになっているが、今は空洞だ。


 跳ね橋は垂直に上がっていたが、巻き上げ機を左の方向に回すと歯車が重々しく軋み、橋桁がゆっくりと下がってくる。

 

 橋が降りきると同時に、大きな褐色の影が空中に跳躍した。


 アレクシアはふわりと微笑む。


「ただいま、バルー」

「猫?」


 ルカは目を丸くした。


 俊敏に跳ね橋を駆け抜けて、アレクシアの腕の中に飛び込んできたのは、目を疑うほど巨大な猫だった。


 褐色の毛皮に黒い(しま)の模様。ふさふさの尻尾は長くて太く、先端に行くほど縞が色濃くなっている。厚い長毛におおわれた身体は、ルカが今まで見たどんな猫よりもずっと大きかった。


「バルーは山猫だ」


 アレクシアが指をすべらせると、バルーは喉を鳴らして顔をすり寄せてきた。


 ふつうの猫よりもドスの効いた低音だったが、アレクシアも長身で迫力があることもあり、甘えていても違和感はない。


(猫になりたい……!)


 ルカは心底羨ましそうにバルーを見た。


「仔猫の時に森で死にかけていたのを拾った。私が世話をして育てたんだ」


 バルーとは先住民たちの言葉で「熊」という意味だという。たしかに猫というよりも小型の熊のような、獰猛な爪と牙をしている。


 拾った当初は、乳離れしたら野生に返そうと思っていたそうだが、育ったバルーはアレクシアから離れなかったらしい。今ではもっぱら城の厨房に出るネズミや、菜園を荒らす野鳥を捕獲する役目を担っているのだという。


「バルー?」


 ごろごろと喉を鳴らしていたバルーが、不意にアレクシアの腕から飛び降りると、ルカの足元にやって来た。


 噛まれるか引っかかれるかと思ったが、バルーはしきりにすんすんとルカの匂いを嗅いでいるだけで、攻撃してはこない。


「バルーが初対面の人間になつくのはめずらしいな」


 アレクシアが意外そうに言った時だった。


 一人の老婆がゆっくりと近づいてきた。


「お嬢様、お帰りなさいませ」

「ブリギッタ。ちょうど良かった」


 ブリギッタと呼ばれた老婆は、小柄な体を伝統的な羊毛の服に包み、白くなった頭髪に角型の帽子をかぶっていた。


「エミールを助けてくれた恩人だ。客室に案内してくれ」

「かしこまりました」


 アレクシアがきびすを返すと、それまでルカの足元に付きまとっていたバルーもさっと身をひるがえし、彼女の後をついていった。


 ルカは名残り惜しそうにアレクシアの後ろ姿を何度もふりかえりながら、ブリギッタに案内されるまま城内を進んだ。


「こちらのお部屋をお使いくださいませ」

「え……」


 通された客間を見て、ルカは息を飲む。


 濃い青を基調にまとめられた室内は、シンプルだが広々としていた。


 立派な煉瓦作りの暖炉がいつでも使えるよう整備されている。ベッドには上品な天蓋が付いていて、脇には読書用の小さなテーブルと椅子もある。大きく張りだした弓型の窓からは、眼下に広がる森と田園風景を一望のもとに眺めることができる。


「あの、本当に僕がここを使ってもいいんですか?」

「何かご不満でしょうか?」


 ブリギッタはしわの目立つ首をかしげた。


 部屋は清潔に整えてあるが、華美ではない。首都から来た若者の目には質素に映っただろうか──と思案する。


「足りないものがありましたら、おっしゃっていただければ手配させていただきます。もっと広いお部屋の方がよろしければ……」

「充分です! 充分すぎます!」

「他のお荷物は? 馬車に積んであるのなら運ばせましょう」

「いえ、荷物はこれで全部です」

「これで全部……?」


 ルカが示したのは、肩から下げた布の鞄ひとつだけ。


 ブリギッタが不思議そうな顔をした時だった。


 ばたばたとにぎやかな足音が廊下に響いたかと思うと、リリーが息をはずませて、部屋の中に駆け込んできた。


「ルカおにいちゃん!」


 リリーはまだ野いちごの詰まった籠を持っていた。すっかり心を許した様子で、飛びつきながらルカにせがんだ。


「ねぇ、いっしょにおりょうりしよう!」

「うん。いいよ」


 ルカが籠を持ってやると、リリーは空いた手を伸ばしてきたので、二人は手をつないで部屋の外に出た。


「エミールはどう? 大丈夫だった?」

「おいしゃさまがね、てあてしてくれたの。もうしんぱいいらないって」

「そっか。良かった」


 リートベルク城の調理場は城の一階、中庭に面した場所にあった。換気や食材の搬入を考えれば最適の場所だ。


 日暮れの時刻が迫る厨房は、忙しく作業に没頭する料理人たちでごったがえしていた。


 内部の作りはヴァルテン男爵家の厨房と大きく変わらない。管を通して井戸から直接給水する設備や、薪を燃やした熱を利用してパンを焼くしくみのグリルも同じだ。導線や作業効率を考えれば、自然と同じような作りになるものなのだろう。


「こんにちは。お邪魔します」


 ルカがあいさつすると、料理人たちはそろって不審そうな目を向けてきたが、リリーが一緒にいてくれたおかげで、それ以上怪しまれることはなかった。


 主厨長はハンスという名前で、色白でふくよかな体型をした中年の男だった。塩漬けになった豚のあばら肉を、大きなナイフで豪快に切り落としている。本日のメイン料理のようだった。


 野いちごを籠ごと渡すと、ハンスは喜んで礼を言い、デザートに使うと言ってくれた。


「半分はソースにしてはどうですか?」

「ソース? 苺で?」


 ハンスは半信半疑といった様子で首をかしげる。


 肉の味付けは塩か胡椒のみが定番だ。肉汁を使ってブラウンソースくらいは作ることがあるが、フルーツを材料にするなんて聞いたことがない。


 ハンスがそう告げると、ルカは笑って腕をまくった。


「首都では今、フルーツを料理用の味付けに使うのが流行しているんです。僕が作ります」


 まず手の汚れを落としてから、ルカは苺を洗って水けをきった。


 ハンスに酢と砂糖と塩胡椒、それに数種類の香草を借りると、苺の半量をナイフで刻む。調味料を適量取って順番に混ぜてから、慣れた手つきで火を熾して、手付き鍋を置いた。


 手際よくかき混ぜながらしばらく煮詰めるうちに、苺はぐつぐつと泡立ちながら、とろとろとしたソースになっていく。


「どうですか?」


 粗熱を取ったソースを小皿に盛ると、甘酸っぱい匂いが調理場にただよった。


 何だ何だと見に来る料理人たちに囲まれながら、ハンスはおそるおそる一口すくって味見する。


「ん! うまい!」


 ぱくりと口に含んだハンスが、ふくよかな体をぷるぷるふるわせて感激した。


「これ、本当に美味しいです! 肉によく合ってる!」


 苺と酢の酸味は抜けて、まろやかな味わいになっていた。コクのある甘さが塩辛い肉とよく絡み、一段と旨味を引き出している。


 ブレンドした香草も絶妙だった。甘さとしょっぱさのループで無限に食べたくなる美味しさだ。


「よかった。僕の実家の料理人から教えてもらったんです」


 ルカは胸を撫で下ろしながら、にっこりと笑った。


 実家を出た日、見送りに来てくれたヨハンの心配そうな表情を思い出す。


 ヨハンから教わったレシピを再現して、この城の人たちに食べてもらえたと伝えることができたなら、どんなに喜んでくれるだろう。


 その夜の夕食はにぎやかだった。ルカも厨房を片付けた後の一角で、料理人たちと一緒に食事を摂った。


 塩漬けの豚肉に野菜の酢漬け。茹でた卵に蒸した芋。焼きたてのパンに新鮮ないちご。


 特に豪華でもなければ高級でもない、ごくありふれたメニューだったが、ルカはしみじみと舌鼓を打った。


「おいしい……!」


 誰にも気兼ねすることのない、隠れてかきこむ必要もない食事は、体の芯に染みわたるほど美味だった。

 

 料理人たちは口々にルカの作ったソースの味を褒めてくれ、もっと首都の流行を教えてくれと笑っている。


 彼らの屈託のない笑顔にルカは心から安堵したし、実家を出てから初めて、安らかな気持ちで笑うことができた。

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